第35話 土方の決断

 それから土方は仙台に行くことを告げた。事実、会津を捨てたことになる。しかし、それに対して誰からも非難の声は上がらなかった。土方隊についた全員が仙台行きに同意したのだ。土方はこれから先も強要はしない、しかし着いてくるものは拒まない。共に最期まで戦おうと言った。


「指揮を任せられたならこれまでどうり厳しく揮う。しかし意見は言ってもらって構わない。我々は同士である。上も下も、ない」


 土方はある隊士に一通の文を渡した。会津に残る新選組に宛てたものだ。恐らく、援軍が叶わなかった旨と会津には戻らないことが記してあると思われた。


「仙台に品川を出港した榎本軍の艦隊が近々つくだろう。彼らと合流する。行きたい者だけついて参れ」

「此処に残る者たちは土方隊の新選組として、全員ついていきます」

「そうか……分かった」


 家族のもとへ帰る者もいたが、離隊は最小限に抑えられた。私達は仙台に向けて出発した。



     *




 慶応四年の秋、元号が明治へと変わった。新政府軍は日本の殆どを手に入れ、明治政府と名を改めた。京に置いていた朝廷が江戸に移り、江戸も東の都と称して東京と変わる。未だ会津だけは明治政府に抵抗を続けているという。山口もその中で自身の正義と誠を貫いているに違いない。そんな中、榎本の艦隊が仙台に入港したと知らせが入った。


「榎本武揚に会ってくる」

「お一人でですか」

「ああ。悪いがテツはここで待っていてくれ」

「はい」


 土方は榎本武揚との会合に出掛けていった。





「お前は土方さん、土方さんだな」

「なんですか」


 一人で過ごす私に沢中輔が嫌味たらしく声をかけてきた。どうもこの男とは馬が合わない。


「魚の糞のようだ。お小姓さんは。夜も主人と一緒なんだろ。まさかあっちの世話もしているのかい」

「小姓とはっ、そういうものです! それと、あっちの世話とはなんですかっ」

「え、知らないんだ。噂だけどね、土方さんは衆道なんだろうって。それも随分と幼い者を好むって話さ。それ、お前のことだろう」

「なんてことを! 土方さんはっ、衆道なんかではありません!」

「証拠はあるのかい、お小姓さん」


 カッとなり叫んだところにそんなことを聞かれた。証拠は、なくはないが言えるわけがない。


「証拠はっ……」


 言葉に詰まる私を嘲笑いながら沢は去っていった。その去り際、


「戦場では大人しくしていてくれよな。お前は役に立たない。よくそんな腕でここまで来たもんだ。腰の刀が泣いているぞ」


 私に返す言葉はなかった。沢の言う事に間違いはなかったからだ。



 暫くして、土方が帰ってきた。しかし、榎本との会合がどうだったのかを気にするよりも、沢から言われた言葉をずっと頭に引っ掛かっていた。私のせいで土方が衆道だと思われていることと、沖田から貰った刀が泣いているという言葉が頭から離れなかった。もっと男らしく、果敢に戦場で成果を上げていたらそんな事は思われなかったのかもしれない。土方の背に隠れ、護られながらここまでやって来たのは間違いない。沖田のこの刀もお飾りだと言われればその通りだ。


「皆を集めてくれ」


 土方に捨てられたくないという個人的なわがままは、土方の荷を重くしただけなのだろう。


「テツ、聞こえなかったか」

「はいっ。あ、すみません……えっと」 

「皆を集めてくれと、言ったんだが」

「すぐに!」


 だめだ。こんな事では土方の役には立てない。私は一体何をしているのだろう。急いで部屋を飛び出して、皆を集めた。昔のような大人数ではないけれど、それでも直ぐに全員を揃えるのには時間がかかった。稽古をしている者や、町の様子を伺いに行く者などそれぞれの時間を過ごしていたからだ。


「市村くん!」

「あ、島田さん」

「もう全員そろいましたよ。君も早く」

「はい」


 私は会合の末席に腰を下ろした。なんとなく土方のそばに座るのは気が引けたのだ。土方から離れると、周りは当然知らぬ者たちばかりで顔は見たことあれど、言葉は交わしたことがない事に気づいた。私は空気のように気配を抑えて座っていたけれど、なぜか彼からの注目を浴びていた。無言ではあるけれど、私をじろじろ見ている。いつも土方の隣にいるこの男は何者だと、こいつが土方の小姓かと見定めているのだろう。居心地の悪さを感じながら、土方の話に耳を傾けた。土方に近い場所に相馬や島田、そして沢中輔がいた。ここから見ると、なんと頼もしい面子だろうか。あそこに自分も並んでいたのかと思うと、申し訳無さで胸が詰まった。


「知らせによると、東北も降伏をするそうだ。この列島ではもはや会津だけとなってしまった。それも恐らく……。今後、これより北に進軍を考えている。最後の決断だ。よく考えるんだ。海を越えても構わない者だけが残ってくれ」


 その言葉に広間はざわざわと忙しくなった。海を越えると言う事が何を指しているのか、まだよく分からなかったのだ。すると一人の男が言った。


「仙台よりも、津軽よりも北と言うことでしょうか」

「そうなるな」

「蝦夷に行くのですね!」


 蝦夷と言う言葉を、私は初めて聞いた。まるで異国のような響きに驚きを隠せなかった。これが最後の地になるのだろうと、なぜか確信する自分がいた。


「二度と、こっちの土は踏めないかもしれない。それを踏まえて決めてくれ。以上だ」


 土方がそう締めくくって会合は終わった。皆が続々と広間から出る中、私は動くことができなかった。言葉にできない様々な感情が体を動かしてはくれなかったのだ。ただ、広間の床をじいっと見ているだけだった。


「テツ」


 しんと静まり返った広間に土方の私を呼ぶ声がした。いつもなら「はい」と威勢よく答えただろう。しかしできなかった。かろうじて声に反応して顔を上げた程度だ。張り付いた唇が開かず、声を出す機をなくしていた。土方は一歩、一歩と私に歩み寄り、ゆっくりと腰を下ろした。そして、私の眼をじいっと覗き込んだ。


「何を考えている。どうせ、ろくなことじゃねえだろ」

「ろくなことじゃないだなんて」

「お前が難しい顔をしているときは、ろくなことがない。一人で考えるな。言ってみろ」


 土方は私と視線を合わせるために背を丸めている。急かす様子はなく、ただ眼で私に抱えてないで口に出せと言っていた。


「その……」


 今の自分の気持ちを吐き出すのは躊躇われた。だったら離隊しろと言われるのがとても怖かったからだ。今の私がそれを言われたら、死ねと言われるのと変わらないから。気づけば土方の行く道が私の道になってしまっていた。それはいつからなのか思い出せない。ただ、思い出せるのはあの頃の幹部の顔だ。いつも怖い顔をした副長の土方に、臆することなく言葉を交わす彼らだった。鬼の副長だと言われる土方が、彼らの声だけは耳を傾けた。見えない絆が彼らにあった。その絆という糸を束ねた土方にいつからか惹かれていたのだ。


「私も」


 誰よりも恐ろしく、誰よりも優しい鬼を演じた土方と。


「蝦夷に一緒に行きたいです」

「ああ」


 最期の刻まで離れない。例えお前は役に立たないと言われても、離れはしない。こんな私でも、盾くらいにはなれるだろうから。


「これからもお側においてください。土方さんの小姓として、最後まで仕えます」

「なんだあらたまって。お前には何編でも言うしかねえな。俺はお前を手放しはしない。しっかりついてこい」

「はい」


 また、泣いてしまった。あれほど鉄之助でいなければならないと言い聞かせたのに。


「テツはどんだけ涙を溜めてやがる。困ったもんだ」

「すみませっ」


 土方は私の頭を抱え込んだ。そのせいで体が前に倒れてしまった。倒れた体は土方が受け止めて、私の全部を包み込んだ。少しばかり速い土方の鼓動は私の鼓動までも急がせる。


(土方も、不安なのだろうか)


「冬はたいそう雪が積もるらしい」

「雪が」

「京とは比べものにならないほど、積もるんだと。人が簡単に埋もれるくらいにな」

「そんなにっ」

「寒いぞ」

「見たいです! 埋もれる程の、雪」

「あ? くくっ。まだまだガキだな」


 久しぶりに土方が笑った。それだけで私の心は救われた。まだ、役に立てると思ったから。


 蝦夷の地は、さらなる厳しきものになるだろう。だから、迷ってはいけない。



(愛おしき者の為に、この私の全てを……捧ぐ)

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