第34話 降伏の余波
私達は戦火残る会津に背を向けて、出羽国庄内藩を目指した。土方は一刻も早く鶴岡城につきたいと急ぎ、足を進めた。本来ならば先に書状を送り、返事を待つのが筋であろう。しかし今はそれが難しい。なぜなら東北の殆どの藩が、新政府軍に従うと意志を示し始めたからだ。書状を送っても藩主に届かないまたは、届いても見なかったことにされかねない。一か八かの援軍要請だった。
「市村くん大丈夫ですか。息が上がっている」
私に心配の顔色を見せたのは相馬だった。実は自分で傷つけた腕がここに来て枷となっていた。血は止まったものの、その痛みは隠せなかった。
「大丈夫ですよ相馬さん。私の足が遅いだけです。お先にどうぞ」
「いや、君の足が遅いわけないでしょう。伏見では誰よりも速かった。やはりどこか具合が」
相馬が私の顔を覗き込みながら隣を歩く。怪我をしていることは知られたくないのに、相馬の腕が時々掠る。
「っ――」
思わず腕を抑え、その拍子によろけた。ぐわんと景色が揺れて体が地に向かって行くのを止めることはできなかった。
(まずい……)
「市村くんっ」
そんな私を支えたのは、いつの間にか後ろに回っていた島田だった。私の脇に腕を差し込んで態勢を戻してくれてたのだ。
「島田さん。すみません」
「昨夜遅くまで私に代わり準備をしてもらい申し訳ない。償いとして次の休憩場所まで背負いますよ」
「えっ、わっ。し、島田さん」
「軽いなぁ。わはは! 走れますぞ!」
そんな島田を見て相馬は笑った。前を歩く沢が振り向いて呆れた顔をする。私だけ楽をするのが申し訳なくて島田に降ろすように訴えた。すると島田は小声で事情は承知していると言った。土方が島田に腕のことを話したのだろう。何処までも私は、土方の手を煩わせている。だけども、これ以上の強がりは迷惑以外の何ものでもないと思った。
「ありがとうございます」
だから私は、ほんの少しだけ甘えることにした。島田の背中は大きくて熱いくらいだった。土方とはまた全然違う。そんな事を思いながら、先頭を行く土方を見つめた。
*
間もなく庄内藩が収める地までとなった時、いつ書いたのか土方は懐から庄内藩藩主に当てた書状を取り出した。
「強引だが、もうこうするしかない」
土方はそれを持って鶴岡城へ向かうつもりだ。するとその時、知らせが入る。
「大鳥殿の率いる伝習隊が、会津を離れました」
「なんだと!!」
ここにいる全員がその言葉を疑った。旧幕府軍の陸の要である伝習隊が、会津を見捨てたからだ。幕府にとって会津は切っても切れぬ糸で繋がっていたはずなのに。万が一、会津が落ちたら、もう行き場はない。
「こうしちゃいられねえ。早くここを抜けなねばならん」
「土方さん!」
先の道筋を確認していた数名のが血相を変えて戻って出た。何事かと土方が問う。
「米沢藩から通行の許可が下りません」
「どういうことだ」
土方は自分が話をつけるという。お供しますと何人かが名乗り出たが、土方は私を選んだ。
「テツ、お前が来い」
私が土方の隣に並ぶと、皆が「お気をつけと」声をかけてくれた。しかし、同じ年代の沢だけは違った。ギロリと私を睨んでふいと顔を逸らしたのだ。沢は自分が行きたかったに違いない。しかし全てに劣る私が指名され、それが面白くないのだろう。
「行くぞ」
「はい」
私は腰に差した沖田の刀にそっと手を添えた。この刀が今の私に勇気をくれる。沖田が私と一緒に土方を護ってくれている気がするからだ。
「新選組、土方歳三。庄内藩へ行く途中である。通行の許可をいただきたい」
低く落ち着いた声で土方はそう告げた。この東北でも戦争の
「許可は出せない」
「なぜです。あなた方には迷惑はかけない、半日で通過します」
土方がそう告げても首を縦に振らなかった。ここを通過できなければ援軍を求めることができなくなってしまう。まさか、城に辿り着けずに終わるとでも言うのか。
「理由をお聞かせ願いたい」
土方は強引な突破はしなかった。会津と同盟国である米沢藩と間違いを起こしてはもともこもない。すると、奥から大きな男が現れた。
「我々は新政府軍へ降伏の準備を整えているところである。これより先は何者であろうとも、一歩たりとも進むことは許されていない」
男が片手を上げると、銃を持った兵士たちが横一列に並び私達を威嚇した。私は反射的に刀の柄に手を添え、土方の前に出た。
「ご迷惑をお掛けした。事情はよく分かりました。失礼する。テツ、行くぞ」
「土方さん!」
土方は私を片手で制し、意外にもあっさりとそれを受け入れた。あまりにも呆気なく、あまりにも簡単に、私達の援軍を求める行軍が終わった。
「どうしますか……副長」
ずっと土方と共にここまで来た古い新選組隊士がそう言うと、土方は黙って遠くの空を見上げた。
「副長はもういない。新選組は会津と伴に、今も戦っている。それを求めるならば、会津に戻っても構わない」
「土方さん……」
その後、大鳥圭介が会津を離れた理由が分かった。抵抗を続けていた旧幕府軍艦隊を率いる榎本武揚が、品川を脱出したからだ。大鳥と榎本は最後まで新政府軍には従わないということらしい。
「明日の朝、今後のことを話す。それまでに
それだけ残すと土方は一晩の宿を求めて歩いていった。もう強要はしないと、自らの意志で歩めとその背中が語っていた。
その晩、私は土方と同じ部屋で過ごしていた。小姓という立場がそれを許してくれている。京を出て随分経つけれど、土方にまともに茶を淹れていないことに気づいた。思えば毎日が慌ただしく命がけの日々で、食べられるだけでも有難い現状だった。今夜もただ夜が更け、陽が昇るのを静かに待つしかないのだ。
「こっちの夏は夜は涼しいな」
「はい、京はいつまでも暑かったですね」
「お前の国も暑いのか」
「私の国、ですか。そうですね、暑かったと思います。もう、忘れました」
国を離れたのは一年ほど前だというのに、どうしても思い出せないのだ。新選組に出会う前の私はどう過ごしていたのだろうか。それほどに日々が濃く刻まれていた。
「もう少し側に来い」
「しかし」
「もう皆寝ているだろうよ。それより、腕の傷はどうだ。まだ痛むか」
土方は私が思っているよりも心は凪いでいるように見えた。
「大丈夫です。治りは早い方ですから」
「そうか」
「はいっ……あっ」
ぐっと土方に引き寄せられ、あっという間にその胡座の上に乗せられてしまった。一人にしてくれと言われるのではないかと構えていた私は躊躇ってしまう。こんなふうにされては鉄之助ではいられなくなるから。
「こら、暴れるんじゃねえ」
「土方さんっ、重いですよ。これでは休まらないではないですか」
「お前が嫌ならやめる」
嫌な気持ちなんて微塵もない。分かっていて言っているのだろうか。だとしたら狡い大人だなと思う。
「嫌とか、そういうことは」
「なら大人しくこうされていろ」
ぎゅっとその胸に押し付けらた。右耳に聞こえてくる土方の心音が私の心を落ち着かせた。この音が鳴り続ける限り、私は生きていられるような気がする。土方はこれからどうするのか決めているのだろうか。援軍叶わずで会津に戻るのか。いや、新選組の旗を山口に託してしまったから、もう会津には土方の居場所はない。ならば降伏の道を選ぶのだろうか。私はそっと土方の顔を盗み見た。何を思って今をこうしているのだろうか。
「このまま寝ちまえ」
「寝ませんよ。土方さんが寝ないのならば私も寝ません。私はあなたの小姓ですから」
「ふんっ。生意気な小姓だな」
「生意気だなんてっ、私は忠実に……ん!」
煩いから黙れとでも言うように、土方は私の口をその唇で塞いだ。暫く振りのその口づけに、不覚にも私のすべてが喜んだ。求められる事への喜びが、私の中の女を呼び起こすようで恐ろしくもあった。でも、こんな些細なことで土方の気持ちが少しでも和らぐのなら、喜んで受けたい。私にしかできない事だと信じで。
「随分と大人になったな」
「時は進んでいますから。生きている限り成長するのです」
「やっぱり生意気だな」
そう呟く土方の目尻は下がっていた。鬼のようなあの姿はこの頃は見ない。それが良かったのかは分からない。ただ感じるのは、土方の周りの態度も変わった。土方の顔色一つで生死が分かつ恐怖がなくなり、それぞれが意見を言うようになった。それも互いを労いながらである。
「土方さん」
「なんだ」
ふと視線を私に移した土方の黒目が微かに揺れている。
「なんでもありません」
「ばか野郎」
これからどうするのですか、と言う言葉を思わず飲み込んだ。土方も決め兼ねている。そう感じたから。
「私の主はすぐにばか野郎と言う。酷いですね」
「ばか野郎にばか野郎と言って何が悪い」
「やっぱり酷いです」
「はっ、拗ねるな。ばか野郎はお前だけで足りている」
お前は特別なんだと、そう言われた気がした。そう思い込んでもいいだろうか。私は土方の特別であり続けたい。それが例えばか野郎だとしても。
「寝るか」
「はい」
どんな決意を聞かされても、私の心は変わらない。最期まで土方と伴にあるということだけは。
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