第33話 その誠、会津と共に

 日に日に暑さは増していき、ここ会津でも体中を伝う汗を拭うのに忙しくなってきた。銃を握る手が滑り、弾を上手くこめられない。でも、そんな言い訳を言う者は誰もいなかった。いや、言っている暇も余裕もなかったのだ。


「酷いな……」


 あの土方がそんな言葉を漏らした。これまでの土方なら大声で叱咤しながら走り抜けたであろう。しかし、今の土方は立ち止まりぐるりと辺りを見回しては、この戦いの惨劇に眉を歪めている。命令なくして逃げる者に、自らの剣を浴びせたあの冷徹な土方ではない。


「この戦争に、終わりは来るのか。こいつなんてまだ、子供じゃねえか」


 残念ながら息絶え横たわるのは会津の兵士たちばかりで、中には誰が見ても年端の行かない幼い顔をした者もいた。会津は自分達が護るのだと、規定の年齢を下回る志願者が続出したそうだ。将来の会津を支えなければならない若き命が、無残にも散っていく。


「負けて、しまうのでしょうか」


 私は聞いてはならないことだと承知の上で、抑えられない感情と共につい言葉をこぼした。土方はそれには何も言わなかった。ただ無言で、息絶えた会津兵士の見開いた瞳をそっと閉じる。反対の手の硬く握られた拳が、血管をむき出しにして怒りを表しているようにも見えた。


「テツ。お前は俺より前に絶対に出るなよ。いいな」

「はい」


 まだ、本調子ではない土方の剣さばきでは本陣の戦いに参加できなかった。それでも、数え切れないほどの新政府軍の兵士を斬ったし、私もその傍らで銃を放った。


「土方さん、このまま進軍しますか。会津城はもはや籠城戦手前といった感じで、中にはいる事は難しいと思われます」


 冷静に現状報告をする島田も、息が上がり汗がぼたぼたと落ちている。その後ろには山口が土方隊に付けるといった、相馬と沢もいた。


「分かっている」

「失礼しました」


 土方は静かに立ち上がると、遠くの空を仰いだ。また、何か一人で悩んでいるに違いない。もう、私は土方から離れないと決めたから、だから何があっても共に行くつもりでいる。


「また、来ました!」

「鉄砲隊、構えろ!」


 相馬の知らせに、土方はすぐさま反応した。私も姿勢を低くし、銃口を向ける。土方は私の隣に立ち腕を振り上げた。それがすっと降りた瞬間、鉄砲隊が火を噴く。休む暇も、考える暇も与えてはくれない。ひたすらに引き金を引き、弾をこめ、それが切れると腰から刀を抜いた。弾が湧いて出ることはない旧幕府軍は、やはり最後は旧式の刀に頼らざるえなかった。


「退け――っ」


 日が暮れると、ようやく休戦となる。これがもうひと月は続いていた。




     *




 本陣にいない私達ですら身も心もぼろぼろだった。長引く戦争と物資が不足し始めて、不安が大きくなり気力も減退する一方だ。


「ご苦労だった。また夜明けとともに始まるんだろう。休める時に休んでくれ」

「はい」


 日に日に数を減らす旧幕府軍の兵士たち。今日をなんとか生き延びた者に、土方は労いの言葉を送った。全員がそこから引くと、土方はその場に残った私に、ようやく言葉をくれた。


「テツ」

「はい」

「辛くはないか」

「いえ。私は土方さんのお側で戦えさえすれば何も」

「そうかよ」


 土方はそう言うと、ふぅと息を吐きながらその場に胡座をかいて座った。そして、じいっと戸の向こうを見ている。何かを言うわけでもなく、かと言って厳しい表情をしているわけでもない。ただ分かるのは、土方は何か一つの決断をしたのではないかと言うことだ。私は土方が口を開くまで、隣に腰を下ろしてその時をじっと待った。


 どれくらい経ったか、土方は視線をそのままに口を開いた。


「庄内藩に……援軍を、求めに行く」


 その言葉を聞いて私は咄嗟に立ち上がり、土方の正面に座り直した。また置いて行かれるのではないかという不安と、今度こそは自分も共に行くと言う意志を伝えたかったから。


「土方さん!」

「なんだ。近えな」


 思わず土方が顔を引くくらい私は迫っていた。


「また、お一人で行くおつもりですかっ。今回はそうはさせまん。私も共に、参ります」

「テツ」

「不安なのです。甲州で土方さんの背中を見送ってからずっと。私は沖田さんを護るどころか見失ってしまうし。あの時は運良く土方さんに見つけてもらいましたけど、もしあのまま」

「おい、落ち着け」

「嫌なんです! もう、離れたくありません」


 ダメだ、常葉! 鉄之助であり続けろ。こんな事ではますます置いて行かれるではないか。私は俯いた。既に鉄之助の顔は崩れ、泣くまいと決めたはずの涙が勝手に頬を伝っていった。この会津では泣き言も言えずに、みな戦っているというのに。私はなんて愚かなのだろう。なんて甘ったれなのだろう。私はそんな自分が許せず、懐に忍ばせた短刀に手を掛けた。


「おい……」

「愚かな常葉は消えねばなりません」

「待て!」


 私は土方の制止を聞かずに素早く短刀を抜くと、そのまま上腕に突き刺した。


「うっ……く……」

「なにやってるんだ! ばか野郎がっ!」


 土方は私の手から短刀を奪い、私の体を引き寄せた。そして血が滲む上腕に手拭いを巻きつけた。きつくきつく縛られて、痛みの感覚は遠のいた。けれど、じんわりと血の滲む手拭いが自分の愚かさを更に強調した。


「お前はっ……。俺がいつ、お前を置いていくと言った」

「連れて行って、くれるのですか」

「だからっ、何遍言えば分かるんだ。手放しはしないと、言っただろ!」


 ここに来て初めて土方が怒鳴った。あの精悍たる顔がギュッと歪んだのだ。私は「すみません」と消え入りそうな声を絞り出し、何度も詫びた。


「いや。すまないのは俺の方だ。そんな風に思わせちまったんだからな。けど、頼むから自分を傷つけるのだけは止めてくれ。護ってやりたくても、これじゃ護れねえだろうが」

「土方さん……」



 土方が私を護ろうとしていたと知った。それに心が喜び舞い上がりそうになる。いや、違う。私が土方を護らなければいけないんだ。土方の小姓として恥じなく振る舞わなければならないというのに。なのに、私がこんなだから……。





 翌朝もまた大砲の音で始まり、率いていた兵士の数が減り士気とは何かを思い出す暇もなく一日が終わった。そしてとうとう土方が山口に援軍の話を持ちかけた。山口は僅かでも可能性があるなら頼みたいと申し出た。


「すぐにでも立つが、お前はどうする」

「俺はここから離れません。援軍が叶おうが叶うまいが、この地で最後まで戦います。会津の為に、我が正義を貫きたくこの場での離隊をお許しください」

「待ってください」


 私は思わず口を挟んでしまった。いち小姓が、決してしてはならない事だ。それでもどんどん曾ての新選組が壊れていくを目の当たりにして、それがとても恐ろしく悲しかったのだ。


「市村。土方さんを頼む」

「山口先生……」


 山口はあらためて土方の方を向くと、沢中輔と相馬主計も連れて行ってくれと告げた。まるで私達が二度と会津には戻らない事が前提の様に。土方はその二人に自分についてくる意志があるのかを問うた。


「土方さん、私はあなたについていく。どうか新選組のお役に立たせてください」


 相馬の真っ直ぐな言葉に土方は頷いた。そして、私と変わらぬ若さの沢もあとに続く。


「間違いなく、お役に立ててみせます」


 私と違い、沢はとても自信を持っていた。その言動に劣ることなく、身のこなしも剣さばきも私より上手うわてだった。


「分かった、お前たちも連れて行く。出発は明朝だ。それぞれ準備をしておけ」

「はい」


 二人が部屋から出ていき、私と土方と山口の三人が残った。いつもはそのまま何かしらの話をするのに、今夜は違った。


「テツ。悪いがお前も外してくれ」

「はい」


 私も静かに部屋を出た。夜は嘘のように涼し気な風が吹いていた。土方と山口は二人で何を話すというのか。まさかこれが本当に、山口との最後になるとでも言うのだろうか。振り返れば私達は、別ればかりを繰り返してきた。


 常に、この時が最後だと思わなければならないのだ。


「沖田先生は近藤局長に会えたのでしょうか……」


 そうやって私は、無意識に今に目を背け、彼方の星を眺めて誤魔化していた。なんて私は無力なんだろう。持ちうる術はなんの役にも立たず、ただ鉄之助の面を被った紛いの小姓。せめてこの命、無駄なく土方の為に使いたい。私にはそうする事でしか此処に居る意味を生むことができないのだから。





 そして、また朝が来る。



「では、これより出発する」


 土方はそう告げると、右腕に掛けた大きな布を山口に渡した。山口は無言でそれを受け取り静かに広げる。山口の鋭い眼差しが捉えたそれには金色の誠の刺繍が入っていた。


「土方さん!」


 それを見た山口が声を上げた。あの、いつもどんな時も冷静な山口が目を見開いて土方を見上げる。


「新選組は会津と共に……。それが局長である近藤さんの遺志だと思っている。それを引き継げるのは山口、お前だけだ」

「しかしっ」

「俺達の心も、この旗のもとにある。新選組を頼んだ」

「はい」


 山口はその旗を両手で広げ、会津に残る者たちに大きく掲げて見せた。


「我々は、会津と共に!」


 男たちのそれに答える声が、私達を包み込んだ。


 もう、私達は会津には戻らないのだろう。例え援軍が叶っても、それに加わることはないのだろうと余計な勘が冴えわたる。


「山口先生っ、ご武運を!」



 兵士たちの雄叫びで私の声は掻き消される。けれど、山口は私の声を拾い振り返った。私は忘れない! 口角をぐいと上げた山口の顔は、とても晴々としていたことを。

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