第30話 報せ
ある日、久しぶりに松本良順がやって来た。会津藩松平容保より近藤勇の墓を建てることの許しが出たとの話だった。場所は会津若松が見渡せる天寧寺という寺だそうだ。
「松本先生、いろいろとありがとうございます」
「いや私にできることをしただけだよ。墓にはなんとか彼の遺髪を少しだが、納めることができる」
「はい」
新政府軍から首を取り戻すことは叶わず、近藤の遺品さえも回収することを拒まれたそうだ。身内にですらその仕打ちの為、遺髪があるだけ奇跡的なものだと言える。
「それからこれは確実な情報ではないのだが、上野で戦争が起きた。彰義隊が中心となって新政府軍に抵抗した戦だ。圧倒的な戦力に彼らも散っていったよ」
「そうですか」
「その中に、原田くんもいたらしいという話だ」
「原田が、彰義隊に。永倉と別の隊にいたはずじゃ」
二人のやり取りに私は口から心臓が飛び出しそうだった。上野で起きた戦争に原田が加わり、散っていったという話に体が震えた。まさかあの原田がこの世から、こんなに早く消えるとは全く想像していなかった事だ。
「すみません、少し席を外します」
耐えきれずに部屋から出てしまった。あちこちで起きている戦争だから、いつ何処で命を落としてもおかしくない。分かっていたことなのに、自分が関わった仲間たちはなぜか大丈夫だと思っていた。新選組の組長を勤めた男たちは、私の中で死なないのだと勝手に決めつけていたからだ。いや、生き残って欲しいという願望が強かっただけかもしれない。ふと見上げた空は青く清々しく、間もなく夏が来ると告げている。それとは逆で、私の心は暗雲が広がっていった。
「原田先生。あなたは死なないと、思っていました」
共に戦った日々が昨日のことのように蘇る。腰に差した刀に手を添えると、今にも原田が現れそうだ。『鉄之助! 走れ』と私の手を引いて林道を駆け抜けたあの大きな背中はもう、ない。私は鞘に置いた手をそのままに、反対の手で柄を撫でた。そこには沖田が編んでくれた浅葱色の飾緒がある。沖田は今、どうしているのか。近藤の死も知らずに伏せているのかもしれない。
そんなことを思った時、信じられない事が起きた。
『鉄之助くん』
「え」
目の前に穏やかな笑みを浮かべた沖田が立っているではないか。私は慌てて立ち上がり駆け寄った。沖田が、私達を追って来てくれたのだ。
「沖田先生! ご無事だったのですね。心配したんですよ」
私は沖田の着物の裾を握りしめ地面に膝をついた。沖田は軍服を着ていなかったのだ。
『鉄之助くん。泣かないでよ、大袈裟だね。僕の刀も役に立ってるみたいで安心したよ。その子、手入れをしてやれば一生使えるからさ、これからも仲良くしてやってよ』
「何を言っているのですか。この刀はまた沖田先生が使うのですよ」
そう言うと、沖田はまたにこりと笑った。そして、私と同じように腰を落とした。沖田の無邪気な瞳と合う。
『近藤さんの所に逝かなくちゃいけないから、悪いけどあとのことは頼んだよ』
そして私の頬を優しく撫でた。その手は氷のように冷たく、私の脳が目を覚ます。
「行かないでください! 沖田先生! 沖田先生!」
大声を出したのと同時に沖田の姿は見えなくなっていた。そして沖田の飾織がはらりと落ちた。激しい戦いでも切れることのなかった浅葱の紐が、風に吹かれて落ちてしまったのだ。
「いや、嫌だ! 嘘だっ。うわぁぁーー」
後ろから誰かが私を呼ぶ声がするけれど、体の力が抜けた私は地面に突っ伏したまま動くことができなかった。
*
夢を見ていた。私の常葉という名を呼びながら、誰が優しく頭をなでてくれる。それは男の声でいつも聞き慣れたもののように思えた。何度も何度も私の名を呼び、頭だけでなく頬や肩、背中を撫でる。温かくて大きなその手に私も自分の手を重ねた。その手が誰なのか確かめたくて、重い瞼を持ち上げた。
「んっ、ううっ」
「しっかりしろ、目を開けろ」
「うっ」
言われるがままに目を開けると薄暗い中に鋭い二つの光が見えた。ここは、どこだろう。
「テツ」
「ひじかた、さん」
「そうだ。分かるか、俺が見えるか」
少しずつ視界が広がって、見ればその光は土方の眼だった。上から私を見下ろしている。もしかして私は倒れたのだろうか。
「あっ、私っ……すみません」
起き上がろうとすると、土方に肩を押され布団に体を押し付けられた。
「起きるな。寝ていろ」
「あのっ、私はどうしてこんなことに」
「痛いところはないか。苦しいところはないのか」
「あ、ありません」
「なんて顔をしている。泣いたんだろう……何があった」
「あ……」
土方まで泣きそうな顔をして私の頬にそっと触れた。ああ、夢の中で私を撫でていたのはこの手だ。もしかして私の名も呼んでくれたのだろうか。
「心配した。お前の何かを呼ぶ声は普通じゃなかった。見に行くとお前は倒れていた。まさかお前まで俺を、置いていったのかと思っちまったじゃねえか」
「土方さん、お、沖田さんが」
また涙が溢れてきた。途切れ途切れになりながらも見たままを話す。千切れてしまった刀の飾織の話もすると、土方が懐からその千切れた飾織の端を出して見せた。私が倒れても握りしめて離さなかったものだと。
「そうか……総司はお前に、会いにきたか。俺には挨拶もしねえであのやろう」
土方はそう言いながら私の胸に顔を伏せた。そして「みんな逝っちまったな」と震える声で呟いた。私はその言葉を聞いて思わず土方の頭を抱きしめた。土方が泣いているように思えたから。
「私はいきませんから。土方さんのお側に、最期までいますから。だから……泣かないで」
指を曲げると土方の髪が指に絡まる。短くなったその髪は思っていたよりも柔らかい。私はただこうして土方の顔を隠してあげることしかできない。土方の背にある荷を私が背負うことはできないけれど、こうして側で慰めてあげたい。
(私が、女になれば、いいのよ)
「あの、私を、私を抱いてくれませんか」
「……」
「何もできないですけど、その……えっと。土方さんなら、構いません」
土方は無言で顔をゆっくり上げた。向けられた眼が見たことないくらいに、ぎらぎらと光っている。
「お前は意味がわかって言っているのか。閨の言葉の意味も知らないお前が、寝ぼけたことを言うな」
「私だって女ですよ。言葉は知らなくても……か、体が知っています」
「生意気な口をききやがって」
土方は私に覆い被さって来た。両肘を私の顔の横についてじいっと私の顔を見る。そして私の口をその唇で塞いだ。体を封じ込まれて逃げ場はない。次第に私は土方の口吸いに、思考を奪われていった。甘く痺れる感覚がする。
「は、あ……」
「女の顔を、している」
「ふっ、んっ」
もう何がなんだか分からない。土方が耳元で囁いただけで、私は体の制御を失ってしまった。
「おまえ、生まれた月はいつだ」
「しもっ、霜月」
「霜月で十六か……」
土方の手が私の腹を優しく撫で、腰を背中を撫でた。私の知らない感覚が頭のてっぺんまで登っていく。
「ひじっ、かたさ」
「力を抜いていろ」
「まってください。変です、土方さん。わたし、おかし……いっ」
寝間着の上から撫でられているだけなのに、心臓は恐ろしく早く鳴り、目の前がぼんやりと薄くなる。
「おかしくなんかない。それでいい、間違っちゃいない」
混乱する私を土方は優しく抱きかかえ、労るように何度も背中を擦ってくれた。そのうち私の体は脱力して、強い眠気が襲ってきた。
「土方さ……」
「そのまんま眠っちまえ」
私は夢も見ないほど、深い眠りについた。
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