第29話 傷を癒すために

 会津入りした私達は、先に入っていた山口と合流し会津藩へその報告に行った。鳥羽伏見から負け続けでここまで来たにも関わらず、会津藩の反応はとても良かった。これまでの戦いを労うような言葉もいただき、その上、土方の傷を見て治療に専念するようにと療養する宿まで紹介してくれたのだ。


「山口先生、お久しぶりです!」

「鉄之助ご苦労であったな。背も伸びたのではないか」

「本当ですか。だったら嬉しいです。少しは大きくなってお役に立てるようになりたい」

「あんたは相変わらずだな。まあ、そこが良いのだが」


 会津では山口二郎が新選組を率いている。藩との関係も良好なようで、藩が抱える若い兵士たちに稽古をつけたりしているようだ。


「テツ」

「土方さん。お話は終わりましたか」

「ああ」


 傷によく効くという東山温泉を紹介され、そこに移動するのだが、話を終えた土方の顔色が思わしくない。


「土方さん。何か、ありましたか」

「俺はいらねえって言ったんだが……」


 後ろから荷物を抱えた女がやって来た。


「お待たせしました。では、参りましょうか土方さん」


 自然な素振りでその女は土方の腕に絡まった。私も山口もぽかんとした顔でその女を見る。あまりにも馴れ馴れしい素振りに驚いたのが正直なところだ。


「土方さん。そちらの女子おなごは」


 山口が怪訝な顔をして問いかけた。


「会津藩から世話役をつけると言われてな。その、断りきれなかった」

「ああ」


 山口はそれだけで納得したようだが、私には意味がわからない。なぜ土方の世話役に女をつけるのだと。


「私では、役不足ということでしょうか」

「テツ。そういう意味じゃねえんだ」

「では、どういう意味でしょうか」


 なんだか腹の虫のいどころが悪い。女はにこにこと嬉しそうに土方にくっついている。それを見ると益々具合が悪い。この湧き上がる苛立ちはいったいなんだろう。すると女がようやく口を開いた。


「お小姓さんには出来ないこともあります。大人の女がいた方がなにかと、ねえ。男性の事情もおありでしょうし、それにお小姓さんはまだ子供のようですし」

「子供ではありませんっ」

「テツ。決まったことだ、控えろ」

「っ……」


 なんだかとても悔しい気持ちになった。子供のお前にはできない事があるのだと言われた気がするからだ。しかし、会津藩が手配したことなら何も言えない。土方も従うしかなかったのは分かる。そんなとき、山口が私の顔を見てニヤリと笑った。


「鉄之助。むくれるな」

「むくれていませんよ」


 山口はまたも笑いながら「横恋慕は面倒だな」と言い去っていった。妙なことは言わないでもらいたい。


「では参りましょう。お小姓さん、荷物はこれとこれです。お願いしますね」

「……はい」


 いろいろな女の人に会ったけれど、私はこの女が嫌いだ! 荷物を背負い二人の後ろをついてくだけだなんて、なんだかとても腑に落ちない。


「なんなんだ……寄り添いすぎだ。土方さんの歩みの邪魔になるじゃないかっ」


 こんな情けない独り言を吐き出してやり過ごすしかないなんて、長くなるであろう療養生活を思うと気が重くなった。




 

 宿につくと女は甲斐甲斐しく土方の身の回りを整え始めた。まるで女房気取りだ。


「テツ、ちょっと付き合え」

「あら、わたくしが」

「いや、厠で用をたしたいだけだ。遠慮願いたい」

「失礼しました。こちらでお待ちしております」


 私は土方に肩を貸し部屋を出た。背の低い私の肩を支えにひょっこり、ひょっこりと歩く土方を見ていると申し訳なく思えてきた。女と歩いているときの方が、なんなく歩いていた気がしたからだ。


「すみません、歩きにくいですよね」

「何言っている。怪我をしてるんだから当たり前だろう」

「でも、あの女の人……えっと」

「お梅とか言っていたな」

「お梅さんと歩いているときは、こんな感じではなかったですよ。私の背が低いから支えになってないのですよね」

「テツ」


 不甲斐なさがこみ上げてくる。こんな嫌味のような言い方なんてしたくなかった。土方のためを思えば、世話人が付いたほうがいいに決まっている。土方の側に置いてもらえるだけで感謝しなくてはならないのに、今の私の心は曇っている。


「すみません。私、頑張りますから……土方さんのお役に立てるようしっかりします」


 口に出せばそういう気持ちが湧いてくる。私はそう、信じている。


「はぁ。まったくお前というやつは。まだまだ分かっちゃいねえな」

「え」

「俺がお梅の前でこんな痛々しい動きをしてみろ、どうなる。四六時中つき纏われるだろう。俺はあの手の女は苦手なんだ。しかし会津藩からの申し出だからな、無下にできやしねえ」

「はい」

「お前っ、まだ分かってねえだろう。いいか、俺はな、お前だからこうして痛いときは痛いと言えるんだ。お前にしか、弱音を吐かないんだぞ」

「はい……えっ。私、だけ」

「おう。もう言わないからな、覚えておけ。よし、ここで待っていろ。用をたしてくる」


 今、土方は私にだけだと言った。他の者には痛くても痛いとは言わないと。私はとても簡単な人間だと思う。その言葉を聞いたら、曇っていた心があっという間に晴れていった。私しか知らない土方がある。それがとても嬉しかった。


「なんだテツその顔は」

「まさか顔が戻っていますか!」

「違う。顔がだらしなくニヤけている、しっかりしろ」


 そう言って土方は私の頭をガシガシと撫でた。その少し乱暴に触れる手が、土方の励ましであり優しさだと私は知っている。そう、私だけが知っていること。




 それからはお梅さんがどんなに土方に近づいても、着替えの手伝いをしようとも、食事の介助をしようとも気にならなかった。風に当たりたいとき、厠に行くときは私を呼んで何でもない話をしてくれる。緑が濃くなったとか、虫の鳴き声が煩いとかそんな事だ。いつも神経を尖らせていたのを知っているから、不謹慎にも土方が怪我をしてよかったと思ってしまった。


 そんなある日、そろそろ湯に浸かっていい頃だと会津藩の医者が土方に告げる。


「昔からこの東山温泉は傷に効くと言われています。多くの武士や殿様がこの湯で癒やしました。体を温めるのはいいことです。二日に一度入るといいでしょう。それに、いい鍛錬になりますよ」

「そうですか。ありがとうございます」


 土方の傷も殆ど塞がり、本人も暇だとぼやいていたのでそれを聞いて嬉しそうだ。さっそく湯に浸かると言うのでお供をすることになった。最初はお梅さんが付き添うと言い出して大変だった。背中を流すのも私の仕事だと引かないし、それには流石の土方も頭を抱えた。


「お梅さん。土方さんの風呂の世話は小姓である私の仕事です。女のあなたが入るより、私の方が都合が良いと思います」


 勢いで、そんなことを言ってしまった。するとお梅さんはふんっと鼻で笑いこう言ったのだ。


「でも、お小姓さんでは下のお世話はできませんでしょう。男の事情を鎮めるのは女の仕事です。まだお小姓さんには分からないかもしれませんけど」

「おっ、男の事情は男同士でなんとか」

「テツ!」


 土方が慌てて仲裁に入ってきた。


「お梅さん。悪いがその必要はない。こんな大変な時にそんな気にはなれん」

「しかし、健康な男ならば」

「必要ないと言っている。テツ、行くぞ。日が暮れる」

「はい」


 お梅さんの苦虫を噛み潰したような顔を私は忘れない。なんて顔をしているのだ。土方はどこの男よりも男前なのは誰が見ても思うことだろう。それが女なら、あわよくば良い仲になりたいと思うのは仕方がない。


(だけどっ、駄目だから。お梅さんにはこれ以上、土方さんに触れさせない)


 そして私は肝心な男の事情を知らないと言うことに、気づかない振りをして蓋をした。温泉地まで一刻はかかる。まだ本調子ではない土方の足だと半日近くかかるかもしれない。ゆっくりと確かめるように私と土方は山道を登った。暫く歩いていると、土方の足が止まる。


「休憩しますか、土方さん」

「なあテツ、ここからの眺めはどうだ」

「ええ、とても良いと思います。春は桜が咲きますし、秋には紅葉が見られます」

「此処に近藤さんの墓を建てようと思う。この近くに寺があるんだ。近藤さんにはゆっくりと眠ってもらいたい。それぐらいしか、俺にはできない」

「はい」


 近藤が斬首刑となり、噂ではその首を京の街で晒していると聞かされた。なぜそこまで恨まれなければならないのか、そこまで罪人扱いされなければならないのか、悔しさとやるせなさだけが残った。土方がどんな思いで此処に墓を建てると言ったのか、側にいる私にも計り知れない。彼らの中にある強い絆を簡単に断ち切ることはできないし、他人が入り込めるものではない。


「よし、行くか」

「はい」


 土方が近藤の死を乗り越えたのだと、私は思った。少しずつゆっくりと過去になっていく。私達はそれを胸に生きていくのだと思っていた。



「テツは入らなくていいのか」

「女湯に入って驚かれても困りますし、かと言って男湯でかち合うのもまずいですから」

「俺が先に上がって見張ってやるぞ」

「見張りを土方さんきさせるなんて! バチが当たったら困ります」

「なんだそりゃ」

「とにかく、お気になさらずに。背中は流しに行きますからっ」


 温泉に入ってみたい気持ちはあるけれど、今の身分ではいろいろと面倒だから諦めている。温泉の湯で手足だけ洗わせてもらい、私はそれで満足した。


 こうして土方の温泉治療が始まった。夏がすぐそこまで迫った皐月の頃だった。

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