第31話 女と知られて

 どれくらい眠っただろうか。気づいたら障子から薄日が差し、外はすっかり明るくなっていた。まだ頭はぼんやりしているけれど、体をゆっくり起こしてみる。部屋には誰もいない。私は眠りに落ちる前のことを思い出し、次第と顔が火照るのを感じた。


「私、土方さんになんてことを……っ!」


 ぎゅっと自分の体を抱きしめる。こんな薄っぺらい色気も何もない幼い体で、よくもあんなことを言ったものだ。思い出すだけで恥ずかしさで身悶えそうになる。土方に縋るように抱きついてからの後の記憶が曖昧で、だけどもなんとなく残る感覚が羞恥を煽った。


「やだ、私……どうなったのかな」


 その時、部屋の障子がすっと開いた。土方だとばかり思っていた私はその者の姿を見て焦った。


「お、目が覚めたかな」

「まっ……松本先生」


 にこやかな笑みを向けてくれたのは、松本良順だった。油断していた私は慌てて顔や髪を整える。はだけてしまった胸元の合わせに手をかけて不味いことに気づく。


(さらしが、ない!)


 視線だけ泳がせるも見当たらない。いくら小振りな方だとはいえ、男よりは膨らみがある。まずい……。


「そんなに慌てて身なりを整える必要はないよ。今日一日はゆっくり寝ていたほうがいい」

「いえ、そういうわけには。どこも悪くないのに、私ごときがこのような」

「体も心も疲れがたまるとね、死んでしまうのだよ。君は土方くんの小姓だろ。しっかり治さなければ、この先ついて行くのは厳しいね」

「申し訳ありません」


 胸の合わせを緩まぬように手で押さえ、私は顔を俯けた。早く立ち去って欲しい。


「男と女では、体の造りが違う。それは、どんなに鍛えても変えられない。自分でうまく制御しなければ駄目になってしまう」

「せ、先生っ!!」


 松本のその言葉に私は血の気が引いた。私は片手で口元を覆う。その言葉は私が女だから向けられたのだと気づいたからだ。知られてしまったら、土方はなんというか。もう連れていけないと言われるかもしれない。


「おやおや、顔色が悪い。心配しなくていい。君が女であることは土方くんから聞いた。それに私は医者だからね、患者の秘密は厳守するよ」

「え、土方さんが」

「そうだよ。よほど心配だったのだろうね。だから安心して休みなさい。今しか休むことはできないよ」

「……はい。ありがとうございます」


 土方が私が女であることを明かした。ならば私はどうなるのだろう。役に立たない上に倒れて迷惑をかけてしまったから、ここで見切りをつけられてしまったのか。


「成長期にさらしは良くないが、まあ致し方ないな。今日一日は巻かないように」

「はい」


 暫くして、島田が私に食事を運んできてくれた。土方でないことに落胆し、同時に安堵が広がる。


「市村くん、食事です。昨日から何も食べていないでしょう。しっかり食べて元気になってください」

「ありがとうございます。島田先生にまで、ご迷惑を」

「いえ。私こそ気づかなくて申し訳ない。もっと気をつけるべきでした。これからは一人で抱えず、私になんでも言ってください」

「そんな……島田先生は何も悪くないです」


 島田は何故か顔を赤くして、頭をガシガシ掻きながらこう言った。


「いやぁ……どうりでその、こう、愛らしいというか。なのに剣術は強くて驚きました。土方さんも隅に置けないなぁ。わははは」

「し、島田先生……」

「いやいや、わははは。大丈夫ですよ。自分は元諸士調役兼監察ですからね、他言は致しません!」


 安心しなさいと言わんばかりの太い声でそう言った。待って……、と言うことは島田魁も私が女であることを知っているのでは。


「知って! 知っているのですか島田先生も」

「はい、昨晩聞きました」

「あああ……なんて事を」


 もう、頭を抱えるしかなかった。土方は何を考えているのか、ますます分からない。知られてはならぬと言っていたではないか。


 その後の私は、自分の身分が知られたことへの動揺で食事も喉を通らず、布団の中で微睡んで過ごした。今日より先のことは考えられなくなっていた。





「入るぞ」


 そんな時、昨晩以来の土方が私の返事も待たずに入ってきた。私は思わず布団を被って隠れた。隠れても意味がないことは知っているけれど、私は土方にどんな顔を向けたら良いのか分からなかったのだ。


「テツ、起きているんだろ。何を拗ねてやがる。飯も食ってねえって、島田が心配していたぞ」

「……」

「おい」

「……」

「はぁ。手間かけやがって、ほら飯食うぞ起きろっ」


 いきなり土方は私が着た布団を豪快に剥いだ。


「やっ、何をするのですかっ」

「飯だ、飯」

「ちょっと待ってください。土方さんっ、ちょ、んぐっ」


 私を引き起こしたと思ったら、握り飯を掴んで私の口に押し当ててきた。目で口を開けろ、食えと高圧的に訴えている。鼻にも押し込んできそうな勢いに負け、ほんの少しだけ口を開いた。そのまま入ってくるのかと構えたが、その握り飯は私の口から離れた。


(な、なんなのよ……)


 むっとしたのが伝わってしまったのか。土方は私の顔をギロリと睨むと、その手に持った握り飯をひと摘みちぎった。そして、ぶっきらぼうにまた私の口元に差し出してくる。私は恐る恐るそれに手を伸ばした。すると、ふんっと喉を鳴らしそれが遠ざかる。


「えっ」


 まさか、土方が食べさせてくれるとでも言うのか。土方は戸惑う私の顔を見て、顎をくっと上に上げた。たぶん、口を開けろと……言っている。私は一か八か、そっと口を開けてみた。


「ちっせえ口だな」

「んっ」


 舌の上に優しく乗った飯は、ほんのり塩味がしてゆっくり咀嚼すると優しい甘みが広がった。固くも軟くもない、程よいものだった。


「おいしい……」

「だろう。会津の米はよそのとは比べ物にならない。こんないい飯、もう食えるか分からないんだぞ。しっかり食え。お前が元に戻らなけりゃ、稽古もできやしねぇ」

「稽古。土方さんが私と稽古をっ」

「ああ」


 その言葉に沈んでいた気持ちが一気に上昇した。カッと火がついたように、体が体温を取り戻していくのが分かった。今まで、一度も土方と剣を交えたことがなかった。ずっと忙しく文机に向かう姿しか知らない私は、土方が自分と立ち合う姿を想像して胸が高鳴った。


「土方さんが稽古をつけてくれるんですか!」

「つけるというか、お前が俺の剣の感覚を呼び戻すんだろ」

「わっ、私で、良いのですか。島田先生もおいでですよ」


 嬉しさと同時に嘘なのではないかと疑ってしまう。でも土方はふっと頬を緩めて「俺はお前とやりてえんだよ」と言ったのだ。稽古とは言え、土方と真正面から向き合えることに私は興奮した。


「いい顔しやがる。ほら、飯を食え。ひょろい奴とは稽古はしねえぞ」

「はい。ちゃんと食べます、食べますから」


 お前とやりてえんだよという言葉に頬が緩んで仕方がない。私は雛鳥のように土方が与える握り飯の欠片を嚥下した。


「茶も飲め。喉に引っかかる」

「早く、稽古をしたくて」

「ばあか。今の今で稽古なんぞするか。先ずはゆっくり休んでからだ。それに、今のお前は鉄之助じゃないしな」

「あっ」


 土方が私の頭を撫でながらそう言った。すっかり油断をしてしまい、常葉の顔のままでいたのを忘れていたのだ。


「全く、お前は」

「土方さんが、イケないのですよ……松本先生も、島田先生もご存知でした。私が、女だって言いましたよね」

「ん、ああ」

「私はもしかして、会津で終わりですか。他の者にばれてしまっては、もうお側には置いてもらえないのですよね……」

「おい……なんでそうなる」

「だって」


 土方が言ったではないか。大阪から船に乗ったあの日、俺以外に知られるなと。知られたら仕置だぞと言ったのだ。あの時点で沖田と山口には知れていたけれど、恐ろしくて言えなかった。土方に捨てられたくなかったから。


「ああ、仕置するってやつか。そんなこと、言ったんだな俺は」

「まさか! 忘れていたのですかっ。ずっとビクビクしていたのに。沖田先生や山口先生には既にバレていてどうしようかと悩みました。土方さんがあんなことを仰るから、私っ」

「おい、お前。総司と山口は知っていたのか。俺よりも先に」

「あっ……」


 私は反射的に手で口を隠した。もう隠しようも言い訳もできない事にとても焦った。土方は怒ってしまっただろうか……恐る恐る顔を上げてみる。


「はぁ……なんだ、そうか。俺はあの頃、お前は衆道なんじゃねえのかって思っていた」

「原田先生はそう思っていたみたいですよ。原田先生の場合は、自分が衆道かって悩んでおいででしたが」

「はっ、あいつは馬鹿か……。まあ、あいつらしいと言えばらしいがな」

「怒っていませんか」

「俺がか」

「はい」


 私がそう聞くと、土方は「怒っているよ」と言って私の手首を掴んで引き倒した。突然のことに受け身を取るので精一杯で、目を上げると土方は眉間にシワを寄せたまま覆い被さってきた。土方は私の両手を頭の上で押さえつけ、私の体を跨いだ。


「土方さっ」

「危うく原田に盗られちまうところだったんだな」

「えっ」


 目の前に土方の端正な顔があり、その鋭い視線に射抜かれた私は、ピクリとも動けなくなった。


「もう、寝ろ。明日から稽古をして体を戻す。早く山口が率いる新選組と合流したい」


 体を起こした土方が私の頬をそっとなぞった。


「はい」


 

 そして、この会津でもまた熾烈しれつで残酷な戦いが待っていると、今の私は想像していなかった。多くの若き魂が散りゆくなんて、思っていなかった。

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