第11話 開戦

 それから私は山口に時間が空けば稽古を頼んだ。山口の指導は女である私にはちょうどよかった。型を仕込まれても振る力が足りない。だからぎりぎりの間合いで刀を素早く抜く技を習った。相手の懐に飛び込んで抜き、素早く離れる。一太刀でとどめを刺すには喉を掻っ切るか、心臓を一突きにするしかない。私の力では前者が妥当だろう。


「あんたは相手の隙きを突くのは得意であろう。突いた隙きは必ずものにせねばならぬ。躊躇いは死を意味する」

「はい」

「死んでは事を成すことができない。あんたがその刀で成すべきことは、己の身の確保と副長から与えられた使命を全うすることだ」

「はい」

「あんたは総司の為に戦うのではない。勘違いはするな」

「っ、はい」


 そうだ。誰からも沖田の代わりになれと言われていない。私は市村鉄之助であり、土方歳三の小姓だ。気を負いすぎれば大事なことをし損じる。それを山口は言っているのだ。


「ありがとうございました」


 忙しい山口に稽古をつけてもらうだけでも有り難いことだ。他の隊士が望んでも、簡単に叶うことではないのだから。


「もしもこの戦がいい方向にいったらならば、ひとつ頼みがある」


 山口は口元を少しだけ上げて笑う。この人が笑うことなんて滅多にないのに、それを見てしまった私は焦る。


「な、なんでしょうか」

「そんなに構えるな。餓鬼に手を出す趣味はない」

「なっ」

「くくっ。なあに簡単だ。その時が来たら」

「来たら……」


 じり、と山口が近づく。そして、肩と肩がぶつかるほどの距離でこう言った。


「その時は、あんたの名を知りたい」

「私の名を……ぇ」


 にやりと笑って山口は行ってしまった。

 私が本当の名を明かす時は来るのだろうか。常葉という名を彼らが呼ぶ日が……。


『常葉』


 私は何故だかその名を、土方に一番最初に呼んでもらいたい。そう思った。







――パーン!

 と乾いた銃声が響いた。

――ズドドドーン! ゴゴゴー 

 地響きが鳴り響く。



 慶応四年の始まりは、新しい年を嘲笑うかのような幕開けだった。



「きゃっ」


 軍医の椿さんの悲鳴があがると、男たちが次々に指をさした。


「おいっ、あれを見ろぉ!」


 薩長軍が布陣している北側から煙が上がり、瞬く間にドカンとまた大きな音が届いた。すると、後方にある伏見奉行所から火の手が上がる。大砲の弾がここまで飛んできたのだ。


「応戦しろ!」


 土方の怒声が響き渡った。

 私と椿さんは土方の側から離れるなと言われている。指揮を取る土方の動きから目を離さぬように走り回った。隊服の下に鎖帷子を着ているため、動くたびにジャリと嫌な音がする。


「椿さん、大丈夫ですか」

「はい。なんとか」


 一月という息が凍りそうなほど寒いこの季節に、私たちは額から汗を流していた。


「撃てぇぇ――」

 

 会津藩も負けじと砲弾を放つけれど、上手に布陣した敵にはとうてい届かない。振り返れば伏見奉行所の方向から黒い煙が上がっていた。


「源さんが奉行所の警護に当たっている。至急退避を伝令!」

「御意」


 監察の山崎が奉行所に走った。その奉行所は火の海と化している。はっと顔を上げる椿さんの不安と恐怖に満ちた顔を、私は見てしまう。好いた男が火の海に飛び込むのを黙って見送るその姿はあまりにも苦しい。


「椿、心の準備をしておけ。かなりの死傷者が出る」

「はい」


 土方の無情な言葉が現実として突きつける。この戦いに情などない。今をどうにかして切り抜けることを考えなければ。


「此処はもう駄目だ。淀まで退け! 徳川軍と合流する。そこで立て直しだ」


 土方の判断は早かった。先月、肩を撃たれて負傷した近藤に代わり、この新選組を率いるのは副長である土方だった。


「テツ、椿っ、前を見て走れっ」


 土方が腰に差していた刀を抜き、辺りを牽制しながら走る。私もその背から離されぬよう刀を抜いて走った。暫く走ると他で布陣していた原田隊と合流した。


「原田っ。鉄之助を頼む」

「おう、分った。鉄之助は俺について来い」

「副長っ!」


 俺から離れるなと言った土方が私に原田のもとへ行けと言う。土方は椿さんの手を掴み街道を駆けていく。


「鉄之助っ。上から弾が降ってくるぞ、こっちに来い!」


 大砲の着弾で人間が人形のように吹き飛ばされる。頭を上げると銃弾が掠めそうなほど近くを飛んでいった。


「原田先生っ、な、仲間がっ」

「鉄之助見るな! 走れーっ」


 これが戦争というものか。お爺が言っていた。これが始まると、人は人ではなくなるのだと。常世兄様もこの戦いのどこかにいるのだろうか。今となっては兄様が追う側で、私は追われる側……。



■■■



 昨晩、土方が私の部屋にやって来た。土方は連日忙しく、まともに言葉を交わしていなかったので正直、戸惑った。


「テツ。お前、なかなか見込みがあるらしいな。山口が言っていた。稽古のつけがいがあるってな」

「ああ、いえ。山口先生のお教えがよいのです」

「そうか」


 そう答えると土方は僅かに眉を下げた。そんな顔を見るのは初めてかもしれない。困ったような、なにか物足りないような顔だったからだ。


「副長、あの」

「いや。なら心配はいらねえなと、思ってな。明日にでも戦が始まるだろう。お前は山口の隊につくか」


 急にそんな事を言うので、つい私は声を上げて反論してしまう。


「嫌です。私は副長の小姓なのです。どうしてそのような事を言うのですか。私は副長のお役に立つよう稽古をしてきたのです。それでは、意味がありません!」


 本音を言えば泣きそうなくらい悲しかった。もう要らないと言われた気がしたから。


「テツ」

「副長。私は副長の側から離れません」

「分かったからそんな顔をするな」


 土方は俯く私の頭に手を置いた。ずしりと土方の手の重みがかかる。いつかのようにそれは、とても温かだ。


「顔を上げてみせろ。まさか男が泣いているんじゃないだろうな」

「泣いてなんかっ!」


 反射的に顔を上げ土方の顔を睨みつけた。土方を睨むなんて、あとで思えば命知らずだなと思う。しかし土方は私と目を合わせると、頬をくっと上げて笑ったのだ。私がまた見たいと思った、あの笑みを。そして、


「いい顔をしやがる」


 そう言って私の頬を手の甲で撫でた。


「っ」


 言葉にできない熱いものが、腹の中で弾けた気がした。


「お前は俺から離れるな。何があっても死ぬなよ。その総司の刀がお前を護ってくれるだろう」

「はい」



■■■

 


 私の視界に土方がいない。自分の身の危険より、土方の身が心配でならなかった。戦うことのできない椿さんを護る為に土方は彼女一人を連れて走ることを選んだ。軍医を亡くしてはこの隊の存続も危ういからだ。


「鉄之助、うしろ!」

「分かっていますよ!」


 初めて生きた人間を斬った。どの藩の人間なのか分からない。ただ、刀を上げ向かってくる者は斬った。斬って、蹴り倒して、ひたすら走った。不思議なことに何人も斬ったのに沖田の刀は衰えることはなかった。浴びた血を一度払うと、もとのように妖しく光る。


「走れ――」


 ごろごろ転がる屍を乗り越えて私は走った。走ることは得意だ。でも、膝は震えていた。


「鉄之助」


 原田が私のもとに走りより、隊服の袖で私の顔を拭った。充満する血の臭いは鼻孔の奥をつき、脳のてっぺんまで蔓延した。原田が私の顔に付着した血を拭いたのだ。見れば原田の顔にも飛び散っている。


「原田先生……」

「酷い有り様だな」

「はい」


 原田が私の背に手を置き、行くぞと軽く叩いた。俺がいるだろう、大丈夫だと言ってくれた気がした。そんな原田は、まだ衆道か両刀かと悩んでいるのだろうかとか、そんなくだらない事が脳裏を掠めた。


 とにかく早く、土方と合流したかった。だから、足を止めるわけにはいかない。


「退けぇ」


 そんな味方の怒号に混じって「新選組の首を頂戴致す」という地を這うような声が聞こえた。私が直ぐに思い浮かんだのは土方の姿だ。


「副長!」

「おい、鉄之助」

「原田先生、こっちです」


 吹き飛んだ家の瓦礫を避けながら、私はその声の方へ走った。原田が追いつけなくなるのも気に留めず。


「原田先生っ、あそこに」


 黒い装束に身を包んだ集団が、土方と椿さんを取り囲んでいた。それを見た原田が叫ぶ。


「土方さん!」


 その声が届いたのか土方は一瞬振り向いて私たちを確認し、再び周囲の男たちを斬り倒した。応援が来たと知った黒い集団はすぐに散った。こちらにも向かってくる。敵か味方かなど考える暇はない。刃を向けてくるものは全て敵と思うしかなかった。

 その時、原田が何かに気づいて焦ったように声を上げた。


「椿、走れぇ!」


 椿さんの背後に黒い影が立つ。土方は別の者と刀を交えており助けることができない。椿さんがほんの隙きをついて短刀を居合のように抜き斬りつける。しかし、倒れはしない。私は走った。私なら間に合う! と。


(あっ、山崎さん)


 その男の背から監察の山崎が現れ胸を一突きした。椿さんは助かった。しかし、息をつく暇はなかった。土方が刀を振り上げるその後ろに、黒い殺意に満ちた塊が迫っていた。土方は気づいていないのか、前の敵を仕留めることで手一杯だ。まったく振り向く素振りはない。


(だめっ、副長の首は渡さない!)


 私は強く、地を蹴った。疾風はやての術を初めて使った瞬間だった。

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