第8話 君が君でいる限り
季節の移り変わりの早さは南国で育った私には辛い。秋も深まり、もうそこまで冬がやってきている。
「寒い。お腹が、痛い」
布団から出なけばならない刻限が迫る中、私はいやな痛みと闘っていた。とうとう来てしまったのだ。女としては避けて通ることのできない月のものが。これでも始まらぬように抑えてきたつもりだった。けれど成長というものはどうにも止められないらしい。私はまだ日が昇る前の暗い廊下を、厠に向かって静かに歩いた。
「やっぱりか。はぁ、どうして女はこうも面倒なのだ。私は鉄之助なんだからコレもいっその事来なくていいのに」
初めて迎えたソレは何故か泣きたくなるほど惨めな気分だった。国にいたらめでたいと喜ばれたであろう初潮も、今は女になってしまったことが憎くて仕方がなかった。私は処置を施し、また来た廊下に足を向ける。具合が悪いと部屋に篭もろうとも考えた。しかし毎月やってくる度に篭もれば、流石に知られてしまう。
「はぁ」
吐く息が白く目に映り、夜が明けたことを知った。
「年頃の
「わっ、沖田先生。おはようございます」
「おはよ。じゃなくてさ、顔色悪いけど起きて大丈夫なのかい」
「え、悪い、ですか」
「うん」
沖田がじいっと上から私を見ている。
「血の気が引いたように見えるね」
「気のせいですよ、気のせいだ」
「そうかなぁ」
首を傾げてまだ、じろじろど私を見ている。私は男にアレが分かるわけがない、大丈夫だ、大丈夫だと言い聞かせた。
「では、私はこれで」
「鉄之助くん、ちょっと」
「うえっ、な、なんですかっ」
沖田は去ろうとした私の腕を掴んで、私の部屋とは逆方向へ引っ張っていく。どんなに踏ん張っても、すたすたと歩く沖田の足は止まらない。本当に病人なのかと疑うほど力強かった。
「ここはっ」
「僕の部屋だよ。今日は鉄之助くんに僕の世話をしてもらうよ。近藤さんと土方さんには僕から言っておくから」
「でもっ」
「あの二人、僕には甘いんだ」
「……」
にこと笑って、そこに居るようにと言い残して部屋を出ていった。土方の部屋に行ったのだろう。私はこの隙きに出ていくことも考えた。でも、できなかった。沖田の、何でもお見通しと言っているような微笑みと、下腹の鈍痛には抗えなかったのだ。
暫くすると、沖田が握り飯とお茶を盆に乗せて戻ってきた。
「あれ、横になっていればよかったのに」
「ひと様の部屋でとんでもないです」
「そう、まあいいけど。椿ちゃんに作ってもらったんだ。一緒に食べようよ。あと、土方さんには許可貰ったから安心して」
「あの、私は何をしたらよいのでしょうか」
そう私が尋ねると、沖田は不思議そうに首を倒した。私までつられて首を傾げる。
「まず、朝餉を一緒に食べる。その後は昼までのんびりと過ごすんだよ」
「ええっ」
「いつも一人で過ごしてるからさ、寂しいんだよね」
「はあ」
沖田の考えていることはよく分からない。分からないけれど憎めないし、嫌な気分にはならない。何故か沖田のことは鉄之助の記憶にはあまり残っていなかった。鉄之助はもしや沖田と接触したことがなかったのか。だとしたら私は初っ端から間違った行動をしていたことになる。そんな私の焦りなど知らずに、沖田は白く細い腕を伸ばして握り飯を掴んだ。他の男たちとは違って大きな口で食べることはないし、何よりも所作が美しかった。
「いただきます。鉄之助くんも食べなよ」
「いただきます」
ほんのり塩がきいた握り飯は、いつもより味があって美味しく感じた。沖田は何を話すでもなく静かに食べる。その後、温めのお茶を啜ると、ごろんと畳に横になった。両腕を頭の下に敷いて静かに瞼を下ろす。
「君も横になったらいい。昼までは何もしないよ」
「でも」
「まったく、遠慮しているのか頑固なのか知らないけど、ほらっ」
「うあっ」
沖田の動きは速く、私は身構えることすらできなかった。手首を掴まれてそのまま引き倒されたのだ。そして、そのままの勢いで沖田は私を自分の方に引き寄せた。
「おっ、おっ」
「少しは黙りなよ……眠いんだ」
「え、えぇぇ」
私は沖田に背を向けて横になっている。背には沖田の体温があった。何気に沖田は私が逃げないようしっかりと私の体に腕を絡ませている。片方の
『総司』
『土方さん、なにか』
『テツはどうだ』
『ご覧のとおりですよ。まったく無理ばかりして。よほど人には知られたくないんでしょうね』
『何がだ』
『いえ、別に。強がりな小僧だって言いたかったんですよ』
『まったく、まだまだ子供だな……今日はお前に任せたよ。ああ、それから』
『大丈夫ですよ。咳はしていません。鉄之助くんに
『いや、そうじゃねぇんだ』
『はいはい。仕事が溜まりますよ、行った行った』
『……悪いな』
遠くで「椿ちゃんも鉄之助くんもどうしてここなんですかね」という呆れたような声がした。起きなければと思うけれど瞼が重くて上げられない。確かここは沖田の部屋だ。もう日が暮れるかもしれない。
「うっ……ん、っ」
起きなければっ……。
「んんっ」
『おい、常葉。いつまで寝ているんだ。起きろ』
体がぐらぐらと揺れる。耳もとで私を呼ぶ声がした。兄様の声だ……懐かしい。
「兄様っ、起きましたっ……あ!」
「あははっ。何それ、鉄之助くん笑わせないでよ」
「沖田先生っ、すみません」
飛び起きて正座をし、頭を下げた。あれほど沖田の部屋だからと言い聞かせていたのに。こんなに深い眠りに落ちるなんて不覚にもほどがある。
「どう、調子は。腹が痛そうにしていたけど。なにか悪いものでも食べたのかな」
「えっ……と、恐らく、腹を出して寝ていたのですよ。冷えたのかもしれません」
「そう。大事にしなよ」
「ありがとうございます」
沖田はずっとここにいたのだろうか。障子の小窓から外を眺めている。その横顔は何といえばいいか、とても絵になるなと思った。体の線は他の隊士よりも細く、高く結われた髪はまっすぐで美しい。孤高の剣士、そんな言葉がよく似合っていた。
「なにさ、そんなにじっと見て」
「とても、綺麗だなと」
「ははっ。僕に惚れたの」
「違っ、違います。私は、お、男ですから」
「まあ、衆道とい輩もいるからね。僕は君が男だろうと気にはしないよ。むしろ有難く思うよ」
沖田の穏やかに笑う顔に見惚れてしまった。何もかも全てを悟っているような、でも決して諦めたような悟りではない。儚くも美しいその表情はどこから来るのか。
「僕はね、もう誰かを恋い慕うなんてことはしないよ。僕にはそんなことより他に、やらなければならない事があるからね」
そう言いながら、沖田は私に顔を近づけてきた。どこか遠くを見ていた眼が、私を見透かそうとしている。思わず後ろに下がった。カタと、背が障子に当たった。沖田は口元を緩めて私に更に近づく。
――コツッ
「んっ」
もう目を瞑るしかなかった。
「うん、熱はないね。よかった」
「ん、え……」
沖田は自分の額を私の額に押し当てていた。目の前に沖田の尖った鼻と薄い唇が見えた。それがゆっくりと離れていく。
「おや、真っ赤だね」
「だって、急にっ……沖田先生が」
「僕がなに」
「なっ、えっ……とぉ」
「接吻でもすると思ったのかな。それともして欲しかったとか」
「だぁぁっ、違いますっ。違っ」
思わず叫ぶと、沖田は肩を揺らし腹に手をあてながら笑いだした。目尻に少し涙を滲ませて。それはちょっと、笑い過ぎだと思う。
「鉄之助くんは、本当に面白いや」
「からっ、からかいましたね!」
沖田総司の無邪気な笑いは、もう二度と見られないかもしれない。こんな沖田を見ると、神や仏に情けはないものかと、少し恨みたくなる。
「僕はね、本当に君のことを気に入っているよ。男だろうが女だろうが、君が君である限りは、ね」
「沖田先生……」
「それは多分、土方さんも同じかな。癪だけどね」
「え」
今度、稽古をつけてあげるよと沖田が言う。どうしてこんな私みたいな者にと問うと、沖田は、新選組に居たければもっと強くならなくてはいけないよと言った。
「強く、なる。もっと」
「そう。君が土方さんの側から離れたくないのならね」
なぜ沖田は急にそんなことを言ったのかは分からない。
「さあ、そろそろ土方さんが痺れを切らすころだよ。行っておいで」
「はいっ」
この時の私には未熟すぎて分からなかったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます