第7話 粛清、そして散華

 そして、伊東甲子太郎粛清の日がやってきた。近藤の妾宅で、今後の政治のあり方や資金についての話をするらしい。仲違いをしたとは言え、表向きは協力すべきところは互いに力と知恵を貸しましょうというものだった。彼らは彼ら独自の立場を確立しているため、反幕府でも反新選組でもない。孝明天皇の墓を護る役を拝命、その傍らで薩摩や長州の動向を探りますということだった。

 お互いの腹の中は誰にも分からない。信じた者に従うのが下にいる人間の生き方であり、運命でもあった。だから伊東から引き離すことのできなかった元隊士がいる。


「万が一、藤堂くんが姿を現したら。なんとか見逃してやってくれんか」


 これが局長である近藤の願いだった。


「永倉と原田はそのつもりで動いているはずだ」


 渋い顔でそう答えたのは土方だった。日野の試衛館からの同士である藤堂は、どうしても手放したくはなかったようだ。


「山崎は日が落ちる前に椿を例の場所に頼む。それから鉄之助、お前は俺と局長の別宅にて伊東を迎える。酒の件は頼んだぞ」

「承知しております」


 私は監察の山崎と目を合わせ、互いの任務の成功を祈るようにこくりと頷いた。山崎は椿さんを連れて出逢い茶屋に入る。そこで他の任務に就いていた山口二郎と落ち合う。椿さんは山口と偽の逢引をするのだ。先月まで御陵衛士だった山口に疑いがかからないようにとの、土方の配慮だった。私は、近藤の妾宅で伊東に酌をする役になっている。近藤と土方には薄めた酒を、伊東には旨い酒を飲ませ酔わす作戦だった。


「では、宜しく頼む」

「御意」


 粛々と準備は整えられていった。





 昼過ぎ、出かける準備をしていると、眉を下げた椿さんが部屋の前の廊下を通りかかった。任務とは言え、好いてもない男と夜を共にするのは気分が晴れないのだと思う。


「椿さん」

「鉄之助くん。もう、出かけるのね」

「はい。椿さんは夕刻でしたね」

「そうなの……」


 私も一応は女なので椿さんの気持ちは少し分かる。三番組組長に限って不貞を働くことはないと思うけれど、そこに送り込むのが恋仲の山崎だからそんな顔になるのは仕方がない。


「山崎先生も山口先生も大人の男ですから、その、大丈夫だと思いますよ」

「えっ」

「ですから、その。お二人とも椿さんの事は大切に思っていらっしゃいますので」


 私は何を言っているのか。顔のあたりが熱くなってきたので慌てて俯いた。


「鉄之助くん……ふふ。ありがとう。そうよね、私が不安な顔をすると二人も不安になりますよね。鉄之助くんの方が危険なのにね」

「私はっ、男ですから。多少の危険はつきもので。それに、副長がおりますからっ」

「土方さんがいるから大丈夫ね。とてもお強い方だもの。鉄之助くん、しっかりね」


 終いには、こちらが心配され励まされる始末。剣術はできないというのに、この人はとても強いなと思った。内から放たれる気は、私には眩しすぎた。私よりも大人の女、なのに私よりも可愛らしい女。


「明日になれば全て終わっています」

「そうね」


 こんな風に優しく笑える人になりたい。でも、そうしたら私は、土方に捨てられる。最後まで男でいなければならない。私はもう、常葉ときわには戻れない。市村鉄之助の武士としての人生を私が奪ったのだから。


 私は出掛ける準備を終えて、土方の部屋を訪れた。相変わらず険しい顔で手には筆を握っている。


「副長、準備が整いました」

「少し待て、ここまで出かかってるんだ。ススキ野に……ススキ野に。ああ駄目だ。出てきやしねえ。諦めるか」

「……」


 俳句を書こうとしていたのか。

 沖田が以前、土方の俳句帳をこっそり盗んで部屋で笑いながら読んでいた。私はまだ見たことはないけれど、俳句とは笑いを誘うものなのだろうか。


「おい、なんだその顔は。なんか言いたげだな」

「あの。俳句とは何でしょうか」

「テツは知らねえのか。俳句とは時勢を表したり、そん時の気持ちを読むもんだ」

「そう、なのですね」


 では、笑いを誘うほどの事が土方の身にも起きていたというのとなのか。難しい顔をしながらそんな句を読めるとは、さすが土方歳三。


「ようし、行くか」

「はい」


 この時の私は沖田の笑う意味が分からなかった。まさか土方歳三の俳句が、下手だったからなんて思いもしなかったことだ。







 慶応三年十一月十八日、この日の事は忘れられない一日となる。

 私は会合の話を聞きながら、伊東の手元が空けば直ぐに酒を注いだ。伊東の膳には旨い肴と酒を、近藤と土方には八割がた水の酒を置いていた。近藤は、自分を下げて他人を持ち上げることに秀でていた。豪快に笑いながらも、時に真剣な顔をして相手の話にのめり込む。伊東はとても機嫌がよかった。しかし土方はそれに乗ることはせず、近藤に話を振られれば短い言葉で同意した。あくまで局長である近藤が言うのならという立ち位置で。これも絶妙だと思った。下手に土方も伊東を持ち上げれば、何か怪しいと構えただろう。


「鉄之助くん、酒はまだあるかね。伊東くんも遠慮なく」


 近藤は頬を赤く染めながらそう言った。大して飲んでいないのに赤らめるなんて、完璧過ぎる。


「いやぁ、もう十分ですよ。ああ、飲みすぎてしまった。私はそろそろ失礼しましょう」

「まだ早いですぞ」

「いえいえ。今夜のことは持ち帰って衛士たちにも相談せねばなりません」

「そうですか。では、今夜の事が上手く纏まりますようお願いします」


 近藤が最後のひと押しと言わんばかりに、頭を下げた。土方は相変わらずの仏頂面だ。


「近藤さん。我々は敵ではないのだから、頭を上げてください。この伊東を信じてください。悪いようにはしません」

「うむ、さすが元参謀だ。わはは」


 近藤が笑うと自然と伊東も笑い始めた。


「伊東さん。籠を呼びましょう」

「いや、土方くん。それは大丈夫だ。遠くはないから酔い覚ましに歩いて帰るよ」

「しかし」

「風にあたりたいのでね」

「分かりました。では、お気をつけて」


 私は伊東の少し前を歩き、明かりの多い表通りの戸を開けた。すると伊東は何かを感じたのか「裏から帰るよ」と言った。私は言われた通り裏の戸を開け見送った。伊東はかなり酔っているのか、足元は覚束ない。それでも最後まで警戒心は解かなかったのだ。


「山崎」

「御意」


 漆黒色に身を包んだ山崎烝が、忍びのごとく現れ再び闇に消えた。


「今夜、終わるのですね」

「テツ。帰るぞ」

「はい」


 私たちは近藤の妾宅を出て、何もなかったように屯所に向かった。証拠は残さない。これは鉄則だ。妾宅での会合は無かったことにする為、局長の護衛につかせた隊士を引き上げさせた。そして局長は気づかれぬよう妾と別宅をあとにした。


「副長……大丈夫でしょうか、その」

「なんだ、言ってみろ」


 大切な誰かが消えるという恐怖が私を包み込んでいた。しかしそれは私にとってのではなく、新選組にとって、であることを怖くて言えなかった。


「これといった確証はないのです。ただ、なぜか胸が苦しくなるのです」


 私は着物の合わせを強く掴んだ。私は人を殺めることに加担した。そして、死なせたくない誰かも死なせてしまう。自分の力のなさにやるせない思いだけが積もる。私はお爺の力を何一つ引き継いでいない。どうして私の先を読む力は、こんなにも弱く曖昧なのだろうか。 


「テツ……帰るぞ」

「はい」


 土方は私の肩を二、三叩くと、ぐっと懐に引き寄せた。土方の着物からさっきまでの酒の余韻が鼻をくすぐった。私はこの空間が好きだ。


「お前が心配することじゃねえ。分かったか」

「っ……はい」


 土方の懐から激しい鼓動が感じられた。こんなに強い男でも、恐怖心があるのかもしれない。そう思ったら、ますます離れ難いと思えた。


「上に立つならば、くだした命令に責任を持つ必要がある。俺に着いてくる者たちを俺は信じている。裏切られたら、その時は俺の負けだ。ただそれだけだ」




 そして、夜明けを待たずに伊東甲子太郎粛清が成功したと知らせが入った。何名かの御陵衛士を取り逃がしたそうだが、存続は難しいと判断し作戦は終了した。ただ、やはり残念な知らせも同時に入った。


藤堂平助、討死。



 

 私にとって人の命の儚さや、救いたくとも救えなかった命への想いが複雑に混ざり、駆け抜けた日だった。取り返しのつかない事に悔やみ悩む男の背中を初めて見た気がする。永倉新八、原田左之助の項垂れた姿と、静かに目を閉じた近藤勇。そして、ぐっと唇を引き結んだ土方歳三。簡単に寝返るこの時代でも、曾ての仲間や同士には特別な想い入れがあるのだと知った。



「藤堂さん……」



 あまり話したことはなかった。でも、彼の誠実な眼差しは覚えている。私の記憶ではなく市村鉄之助の記憶として。

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