第2話 副長との出会い、小姓になる

 赤地に白の山切りの模様が下から支えた、たった一文字が私の胸を締め付けた。誠という文字は偽りで固められた私には都合が悪すぎる。


「強烈すぎませんか、この言葉」


 出鼻をくじかれたような気分で、その旗を見上げた。悪いことをしているような、何とも言えない思いがチリと疼いた。いや、これは考えようだと思う。誠は真実というよりも、言ったことを成すという意味で、私はその通りに生きている。だから気にしない。


「おい鉄之助っ。呆けてねえで、さっさと入れよ。副長付の小姓さんよ」

「っ、し、失礼」


 門番がいることをすっかり忘れていた私の心臓は音を上げた。私の出で立ちは市村鉄之助そのものだった事も、いま思い出す。本人に会わぬうちに潜入しなければならなかったのだ。私は懐に隠した鉄之助の兄、辰之助が書いた文を忍ばせて新選組の門をくぐった。無論、辰之助が書いたものではない。


 事前に確認した新選組屯所の内部はだいたいあっていた。幹部と呼ばれる男たちはそれぞれに部屋を与えられ、平隊士たちは広間で雑魚寝。庭で稽古をし、刻限がくると浅葱色の羽織に額には白鉢巻、場合によっては鉢金を巻いて巡察で街に出る。一番組から十番組までの編成が昼夜問わず練り歩くのだ。


(臭い。秋の爽やかな季節に、これはっ)


 男だらけの屯所内は思わず鼻を摘みたくなる有り様だった。


「鉄之助くん、早かったのですね」


 臭い男所帯に似合わない、柔らかな声がした。


「はい。思いの外、近かったので」

「副長はまだ戻っていないようです。少し休んでおくといいですよ」

「はい。そうします」


 この女が新選組お抱えの軍医で名を椿。この屯所の誰もが女を慕っていると聞く。確かに、嫌味のない言葉に素直すぎる仕草は納得する。この屯所に可愛らしいという言葉はあまりにも似合わないのに、そんな言葉が思いつく。なんとなくそんな存在が羨ましく思えた。


(いや、羨ましくなんてない。私は男だもの)


 私は鉄之助に与えられた小さな部屋に入り静かに待った。本物の鉄之助の帰りを。





 西日が指し始めた頃、すっと障子が開く音がした。鉄之助が戻って来たようだ。目を閉じて彼の動作に集中すると、静かに羽織を脱ぐ音と、落ち着いた息遣いが聞こえてきた。そして目の前の襖が開いた。


「ひっ、な、何者……う、ぐっ」

「静かにされるのが賢明です」


 後ろから首元に短刀を突きつければ、鉄之助は声を上げるのをやめた。物分りの良さに、私は安堵した。


「ゆっくりと腰を、下ろしていただけませんか」

「貴方は」

「私は辰之助殿の使いで来た者です」

「兄上の」

「はい。これを」


 静かに用意してあった文を後ろから差し出すと、鉄之助はそれを受け取り開いた。文の内容を理解したのか、険しい表情で振り返った。


「兄上は本気でこのような事を。お、お前っ、な、なぜにその顔を。まさか、忍びか」

「さて、お好きなように。お分かりでしょうが、私は鉄之助として此処に残る所存。明け七つの日が昇る前に貴方は裏の門から出てください。その刻限は深夜の巡察組も門番も交代で控え小屋に集まります。そして、これを」


 私は重みのある巾着を鉄之助の前に置いた。この国の銭というものだ。お爺の予言では辰之助は来年の春、江戸での隊士募集中に新選組を脱走し郷へ帰るとある。それまで鉄之助が生き延びる程度の銭はあるはずだ。


「これは」

「辰之助殿から預かりました。文にもあったように直ぐには動けません。故に、その間、鉄之助殿は身を隠し生き抜くのです。決して自身の名を口にしてはなりません」

「このような裏切り、赦されるわけがない。兄に代わって切腹を」


 鉄之助は思った通りの義理堅い男だ。だからこそ私は、この乱世を生き抜いてほしいと選んだのだ。


「辰之助殿がそれを知ったらどうなりますやら。この国は新選組には救えませぬ。先見の明をもつ辰之助殿こそ、未来の日本に必要なのではありませんか。貴方が兄上を支えるのです」

「しかし」

「私が此処に残り貴方の代わりとして生きるのです。鉄之助殿の意思はこの私が」


 恐らく、鉄之助は引かない。


「鉄之助殿。御免」

「なにをっ、ぐっ」


 私はほんの少しだけ、鉄之助の脳に刺激を与えた。明日の朝、鉄之助は新たな一歩を踏み出すのだ。私は鉄之助の体を布団に寝かせ、彼の額に掌をあてた。そう、これまでの彼の記憶を拝借する為に。私と同じ年齢であろう鉄之助の、男の姿を目に焼き付け、私は心の中で詫びた。


(貴方の志は、この常葉ときわが継ぎます。貴方は自由に、生きて)



 私はこの瞬間に、新選組副長土方歳三付の小姓、市村鉄之助となった。






 翌早朝、私はまだぼんやりとした鉄之助を裏の門へ連れていき、用意した駕籠に乗せた。


「よろしく頼みます」

「おおきに」


 担ぎ手の男たちに十分な駕籠代を渡すと、愛想よく返答し闇に紛れるように走って行った。それを見送った私はいちど部屋に戻り、空が白み始めたのを見計らって庭の掃き掃除を始める。そろそろ厚手の羽織が欲しい季節だ。



「テツ、早いじゃねえか」

「副長。おはようございます。まさかまた徹夜ですか」

「いや。昨夜は久しぶりに酒を飲んだんでな、いつ寝たのかさえ覚えてねえな」

「後でお茶をお持ち致します」

「おう、渋めのやつを頼む」

「はい」


 この時、私は初めて土方歳三と言葉を交わした。姿は見たことはあったけれど、まともに正面から顔を合わせたことはない。さすが噂通りの立派な体躯に、威厳ある顔つき。あれで睨まれでもしたら心臓が持ちそうにない。


(やっぱり、噂より男前だね)


「おい」

「はっ、はい。何か」


 厠に向かったはずの土方が腕を組んで私を見ていた。しかも心なしか訝しげな顔をして。


「お前、変わったな」

「か、変わった。どこがです」

「余計な力が抜けてきた。いいんじゃねえか。若いんだからもっとハメを外してもいいけどな」

「ありがとうございます」


 バレなかったことに胸をなでおろす。気をつけなければ、この新選組を取り締まる男は鈍感ではないはずだ。私は去るその背中を見送りながら思う。私の国の男とはまるで違う種の端正な顔、見上げるほどの身の丈、一つに纏めた髪は黒黒としていて艶があった。島原での噂は間違っていない。


「さて、湯を沸かさねば」


 竹箒を庭の端に立て掛け、私は炊事場に向かった。渋めのお茶ということは、少なからず昨夜の酒が残っているのだろう。はて、確か土方は酒が飲めなかったのではなかったか。いや、飲めずに隊の長が務まるはずはない。好んでは飲まないのかもしれないけれど。

 炊事場に入るともう竈には火が入っていた。湯がぼこぼこ音を立てて沸いている。


「おや、鉄之助か。君は相変わらず早いね。たまには寝過ごしてもいいんだよ」

「おはようございます。いえ、私の身分でとんでもない」


 温厚な口ぶりで話すのは、六番組の組長をしている井上源三郎だ。


「土方くんに茶を持って行くんだろ。そこに置いてあるよ」

「ありがとうございます」

「ああ、その後でいいんだが総司の様子を見てくれないかい」

「承知しました」


 一番組を取り締まるのは沖田総司。詳しくは知らされていないけれど、治らない病にかかっていると噂があった。最近、表に出ていないにも関わらず、一番組組長でいられるのはそれだけの実力があるからだろう。

 

 熱めのお茶を好むらしい土方の為に、盆を持ち、急いで部屋に向かった。鉄之助の記憶を拝借しておいて良かったのは、朝はたくあんではなく、梅干しだということ。


「副長、鉄之助です」

「おう。入れ」

「失礼します」


 雨戸は既に開けられており、朝日が緩く差し込んでいる。私は一礼して膝をついたまま部屋に入った。膝を擦りながら文机の側まで行き、盆を差し出す。


「お熱いうちに」

「おう」


 土方は起きたばかりだというのに、もう書簡の整理をしている。


「何か、手伝うことがあれば」

「ん、そん時は呼ぶ」

「では失礼します」


 その時、私は大失態を犯してしまう。


――ぐぅ……ぎゅるぎゅる……


 腹の虫が鳴ってしまったのだ。ここに潜入した昨日の昼過ぎから何も口にしていなかった。


「テツ」

「はい」

「晩飯、食わなかったのか。お前は一番若いんだぞ。一番食わなきゃなんねえだろが。遠慮したんじゃないだろうな」

「いえ、その。この頃はすぐに腹が減るんです。困ったものです。すみません」

「ははっ。そうか、ならもういい。行け」


 鉄之助はもしかしたら幹部から可愛がられていたのかもしれない。まだ十五だから、自分の弟や子供のように思われていたのかもしれない。ありがたい性格だなと思った。


「次は、沖田先生の部屋か」


 またこの男が厄介な性格だったなど、私はこの時まで、思いもしなかった。

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