副長と小姓と私

佐伯瑠璃(ユーリ)

京都・大阪

第1話 序幕

 砂埃が舞い上がる京の道を草履で歩けば、あっという間に小汚い姿と化す。拭う手ぬぐいも、それを持つ手も埃まみれできりがない。私が育った国はここよりもいくらかましだったような気がする。


「あの二人の兄弟ね。弟の方だとおジジは言っていた。よし、女は度胸、だったかしら」

常葉ときわ、俺がついてやれるのもここまでだ。あとはお前の武運を祈る」

常世とこよ兄様、ありがとう。こう見えても変わり身の術は得意よ」

「ふん。あまり鼻にかけるな。ここは俺達の国とは違う」

「分かっています。兄様、お元気で」

「お前もな」


 ひゅっと突風が起こり砂が舞った。着物の裾で目を守れば、その僅かな合間で常世兄様は姿をくらました。


(お爺。私、楽しくて仕方がないよ。久しぶりに胸が踊っているわ)


 慶応三年、日本という国は大きく二つの派閥に割れていた。複雑にそれぞれの派生はあるけれど、大雑把に語ると薩長と幕府の戦いに発展しようとしている。そう、お爺から聞いた。良くわからないけれど私は幕府に近い集団に身を置こうと決めていた。お爺は良いとも悪いとも言わなかった。ただ、兄様は渋い顔をしたけれど。私は、私の直感を信じている。この国の行く末は私達にはどうにもできないもの。だから、途中で死んでも悔いはない。一度は死んだ身なんだから。


 入り組んだ路地を先回りするように駆けて、私はとある兄弟の前に飛び出した。


「お侍様っ、お助けください」

「な、何があったのです」


 着物の襟元と裾を大胆にはだかせて、二人の少年の前に倒れ込んだ。驚いて目のやり場に困りながらも、兄の方は冷静だった。


「ここでは人目に付きます。こちらへ。鉄之助、荷物を持って差し上げなさい」

「はい」


 市村辰之助、鉄之助との初めての接触は成功した。私は彼らに支えられ、路地裏へと入った。妙な輩に突然追われたと言えば親身になって話を聞いてくれた。


「兄上、この方を我々が行く新選組にお連れしてはいかがでしょうか。困った弱い女を一晩だけかくまってもらうのです」

「鉄之助、それは難しいな。なんせこの世はそれどころでは」

「しかしっ」


 新選組という言葉に私の心は弾んだ。死客集団とも呼ばれた悪名高い男たちの巣に、私の喉は大きく上下した。


「あの、近くまでご一緒いただくだけで結構ですから。その、そこまでご一緒に」

「兄上っ」

「分かった。近くまでですよ。あとは、あなたの運しだいだ。私達とは」

「はい。承知しております。お侍様と私は無関係にございます」


 とにかく、私は場所さえわかればよかった。そしてやはり兄より弟のほうがヤりやすい、そう思った。




 どれくらい歩いたか、市中に入ると人の多さに私は驚いた。ここが天皇と呼ばれる大将が暮らす都かと。みな忙しく私達を気に留めるものはいない。


「ここを真っ直ぐいくと、旗があるそうです。新選組の誠の旗です」

「ありがとうございました。この御恩は忘れません」

「お気をつけて」

「はい」


 にこりと笑ってみせたが兄の辰之助は最後まで表情は硬く、逆に弟の鉄之助は素直に笑って返してくれた。


(よしっ。目と鼻の先まで来てしまえばこちらのもの)



 西の空がそれらしく染まり始めると、兄の常世を思い出した。今ごろ兄様は西へ向かっているはず。常世兄様は長州または薩摩のどちらかに潜ると言っていた。どちらにせよ、上手く行きますように。


「兄様はお強いから大丈夫」


 生かすために死ぬのか、いつか死ぬために生きるのか、生かされたこの命は私の意思で死を選ぶ。私は目を閉じで念ずれば簡単に姿を変えることができる。この術を授けてくれたお爺に感謝して、私は日ノ本の国、少年剣士に変化した。


「さて、暫くは修行が必要。鉄之助さん。待っていてくださいね」


 暮六つ。日が落ち闇が迫るころ、私は静かに踵を返した。






 およそひと月。私はこの国の刀と言うものに振り回された。武士というものは腰に大小の寸違いの刀を指すのだそうだ。正直、重くて仕方がない。人を数名殺めれば使い物にならなくなるので、手入れの仕方も学ぶ。小柄な私の体にはとうてい似合わないけれど、武士らしくなったと思う。そろそろ動かなければ年が変わると大きないくさが始まってしまう。久しぶりに兄様から文が来た。あちらがどうも有利らしいと。


「成るようにしか成らないから気にしない」


 読み終わると直ぐに文は燃やして消した。足跡は残してはならないと、耳に蛸ができるほど言われていたから。


「よし、行きますか」


 常世兄様と別れてから、私は女であることを隠した。この国では女は戦に連れて行ってもらえないらしい。でも、知っている。新選組には女隊士と女軍医がいることを。でも、私は男の姿を選んだ。それは、あの男の側に居座りたいから。あの男の近くにいれば、この世の真実が見られる気がしたから。お爺の予言ではそうらしい。その予言もその戦までしかない。だから戦が始まる前までに入れ替わる必要がある。


「悪い話じゃないのだし、きっと呑んでくれると信じている」


 私はあの旗のもと目指して歩き始めた。大政奉還だと街中がざわつき始めた秋の頃だった。

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