それでもこの冷えた手が----平成7年1月17日5時46分52秒

鮮魚店のおぢさん

平成7年1月17日5時46分52秒

 兵庫県の淡路島北部沖の明石海峡を震源として、兵庫県南部地震が発生した。


 現地に災害派遣を命じられた自衛隊

 俺は、自衛官としてここに来た。

 まるで様な惨状の中へ……


 派遣から3日

 初動の遅れで救助活動に着手できたのは震災発生の翌日夜

 捜索して見つかるのはご遺体ばかり。

 遺族の泣き声と悲鳴

 喪失感が小隊を襲う。

 じ後の処置を区役所と警察に任せ、次の現場に向かう。

 トラックは瓦礫の撤収に使われているため、リヤカーとネコに器材を積んで……


 俺は1人残っている。

 道路の混乱と瓦礫でユンボをセミトレーラーで運ぶことができないので、ユンボがガタゴト自走でやってくるまで誘導のために残ってる。


 寒い……

 1月の六甲おろしは、疲労した身体を更に痛めつける。


 帰りたい……

 風呂入りたい……

 テレビ見たい……

 布団で寝たい……

 温かいメシが食いたい……

 いや……

 ご遺体をもう見たくない……


「自衛隊さん」

 さっき搬出したご遺体の遺族、おばあちゃんが声をかけてきた。

「すんません。水もらえますやろか?」

 腰から水筒を抜き取った。

「コップいります?」

「いえ、自衛隊さんが気持ち悪うなかったら……」

「全然ええですよ。全部飲んでもかまいませんから」

 おばあちゃんは、水を一口含んだ。

 そして、夫のご遺体に、口移しで末期の水を飲ませてあげた。

「ありがとう、自衛隊さん。」

 無言で水筒を受け取った。

 「どういたしまして」?

 「お気を落とさないでください」?

 なんと答えていいのかが解らなかった……


 俺の後ろで、おばあちゃんが冷たくなったご主人の手を握りしめている。

 もう2度と温もりを取り戻さない、冷えた手を……


 早くユンボ来てくれよ。

 ハート折れそう……


「自衛隊さん」

 ん?

 下を向くと、防寒着に身を包んだ少女が……

「ご飯ない?」

「お嬢ちゃん、家族の人どうしたん?」

「そこの避難所におる」

「ご飯出えへんの?」

「出るけど……お兄ちゃんお腹すいたって……おかわりあらへんし……」

「そっか……」

 リュックサックから、OD色の缶詰を出す。

「わぁ・・自衛隊の缶詰って自衛隊色なんやね」

 ホントは部外者に渡すのはダメなのだが、知るかボケ。

 ご遺体を見て食欲が全くない。疲労で胃が受け付けない

 食べたい人に貰ってもらった方が、缶詰も幸せってもんだ。

「鶏めし?赤飯?たくあん?はんばーぐ?」

「美味くないけど、腹持ちはええで」

 缶切りと割ばしも渡してやる。

「自分で開けたら怪我するから、ちゃあんと親に開けてもらいや?」

 少女は防寒着の下に缶詰を入れて、嬉しそうに俺の手を握ってきた。

「ありがとう!自衛隊さん!」

 その手は冷えていた。

 でも……たまらなく暖かった。


「お嬢ちゃん」

 さっきのおばあちゃんがやってきた。

「あめちゃんいる?おにいちゃんと食べや」

 煤と土で汚れた巾着から飴を出して、少女に渡した。

「ありがとう!」

 飴の包みを持って、少女は帰っていった。


「自衛隊さんも、あめちゃんいるか?」

「はあ……ほしたら遠慮なく……」

「おにいちゃん頑張ってるから、これな?」

 紅茶味の飴とチョコレートをもらった。

「あーゆう小さい子が無事で、ほんまよかった……」

「……」

「おじいちゃんが死んだんは悲しいけど、順番通りって思たらまちがいないやん」

「……」

 何も言えなかった。


 地面が揺れた。

 余震かと緊張したが、ユンボが瓦礫を乗り越えてやっとやって来た。

「それじゃ自分はあのユンボ連れていくんで……あめちゃんありがとうございました」

「こっちこそ水ありがとなぁ、自衛隊さん」

 おばあちゃんが握手してきた。

 その手は冷えていた。

 でも……たまらなく暖かった。


 チョコレートを口に含み、腰から手旗を抜いて、ユンボを次の現場まで誘導した。



 夜

 真っ暗になった王子公園の集結地に帰ってくる。

 簡易トイレに行き、我慢してたのを一気に排泄する。

 動物園アシカプールから汲み置きしてきた水を流す。

 今夜から温食になったらしい。

 配食場でご飯とみそ汁を受け取り、流し込む。

 味がしない。

 おかずは無理だな……喉を通らない……


 寝袋に入る。

 六甲おろしがテントの裾を激しく揺さぶる。

 バタバタバタバタバタバタバタバタ!

 寒さと轟音で眠れない。


 帰りたい……

 風呂入りたい……

 テレビ見たい……

 布団で寝たい……

 温かいメシが食いたい……


 でも……

 まだ出来る事は確かにある。

 身体は疲労困憊

 食欲は皆無

 風呂は無し。

 寒さは寝袋の中まで染みてくる。

 当然睡眠不足


 それでも、この冷えた手が出来る事は確かにある。


 口の中では、寝る前に舐めた飴の紅茶の香りが広がっていた。

 歯もみがきてえなぁ……

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