閑話 名前と個性に関する考察

明け方まだ日が昇る前の時間、ラパスは燻製部屋の前の通路に座っており、その横には好奇心旺盛な子供ゴブリンが寝ている。子供なのに朝まで手伝ってくれていたのだ。


他のゴブリンと違いこの子は新しいことをするのが好きだ。ただ単に新しい物好きと言うだけでなく、その仕組みや原理を考えるのが好きなようで、積極的に質問して来る。


quiquii族が個人名を持たないのは個体差が少ないからだと思っていたがそうではないようだ。


年齢差もあるのだろうが、長老は思慮深いし、隊長は生真面目だ。この子は好奇心が旺盛だし、それ以外の子供は基本警戒心が強いようだ。


個性がないのではなくて個性を殺すために名前を付けないのかもしれない。兵隊アリというか兵隊に個性が求められないのと同じ感覚かもしれない。入れ替えが効くパーツでなければいけないから、わざと肩書で呼ばれているのかもしれない。


死亡率が高い集団の中で個人名を付けていると、面倒というより精神的なダメージが大きくなりそうだ。


過去のN国でも幼名と言うものがあったが、これも幼少期の死亡率が高く成人できない可能性が高かったから、成人するまでは適当な名前でよかったのが理由だという。


ゴブリンたちは幼少期だけでなく常に生き残れる可能性が低いから生涯名前を持たないのかもしれない。


それに例え個性を生かした方が一時的に部族として利益があったとしても、その個人が死んだときのリスクを考えると、個性を活かさず、決まった肩書の個体を量産する方が部族全体が生き残る確率が高いのかもしれない。


例えばこの子だ。好奇心が旺盛で、物の原理を理解する知性がある。


この子がこのまま個性を活かして大きくなれれば、部族にとって役に立つものを作り出すことも可能だろう。


しかし、この子にしか作れないものに頼ってしまうと、この子が死んだときに部族が滅ぶ可能性も出て来る。


マズローの欲求の階段で言うと、低次の欲求である生理的欲求である食事と安全が十分に満たされていない状態だから、高次の欲求である個人として認めてもらいたいという尊厳の欲求が育たないと言ったところか。


だが、階段的に言うと生理的欲求や安全への欲求より高い位置にある社会的欲求は満たせているように見える。


彼らは集団生活を上手くこなすことで一族の生存率を高めている。という事は、一時的にしろ低次の欲求がすべて満たされた状態もあったのだろう。


なるほど、だから例外的に名前を持つ個体がいるといっていたのか。


集団として上手く行っている時には尊厳への欲求や自己実現欲を満たそうとする個体も現れるという事か。


今はその時ではないだろう。


それでも、個性があるのに名前がないのはやりにくい。その内、quiquii族が発展して安心できるようになったら正式名称をみんなにつけることを提案してみよう。とりあえず、この子は聡いから『サトシ』と私の中で呼ぶことにしよう。

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