第25話 たった一人の運命少女

 限界まで熱湯にしたシャワーをざばざば浴びながら、


――どうやら、僕まで『運命×少女』の世界に来てしまったらしい。


 この事実について認めるのは、さほど難しいことではなかった。

 なにせこっちには、狩場豪姫っていう前例がある。


――そこで問題になるのは、どうしてこのような事態が起こってしまったか、だ。


 豪姫によると、“どれみ緑地”をフラついていたら、『不思議の国のアリス』みたいに異世界に迷い込んでしまったらしい。だが僕の場合はどうだ? 僕はどこも出歩いていない。ただ単にベッドの上で眠っていただけだ。


 つまりこの転移現象は、居場所とは関係なく起こる訳で。

 こうなってくるともうわからない。

 原因がわからないと、対策もしようがない。


「……くそっ」


 小さく毒づく。

 燃えるように熱いシャワーを浴びているというのに、全身の寒気は一向に消えない。

 歯を食いしばりながら、必死に思考を展開させる。

 感情に流されてはならない。恐怖に立ち向かうためには、理性の力が必要だ。

 狩場豪姫を思い出せ。あの娘は同じ状況でも平然としていた。

 なら、僕だって同じことができるはず。

 何も悲観することばかりじゃない。

 幸い、今日は土曜日で学校は休みだ。だから遅くとも明日の夜までに事態を解決できれば、騒ぎにはならない。


「……………………………む?」


 深く考え込んでいると、唐突にシャワーが止まった。


「……おや? むむむ?」


 蛇口をひねるが、シャワーノズルはうんともすんとも言わない。


「水切れです。使いすぎましたね」


 すると、バスタオルを手にしたゴウが現れ、


「……おや? それ、なんです? 私にはついてない器官ですが」


 怜悧な視線を真っ直ぐ僕の下半身に向けて、そう言った。


「うわっ! み、見るな!」


――絵面的に、いつもの豪姫と真逆になってるな。


 頭の隅っこでそう言いながら、僕はゴウが持ってきてくれたバスタオルを引っ掴む。

 本当であれば、他人の人肌に触れたタオルを使うのは、それだけで僕の主義に反する行為である。だが、今回ばかりはかろうじて羞恥心の方が上回った。


「……ううむ」


 僕は、ゴウが触れていた部分を上手に避けながら身体を拭き拭き、


「ところで、改めて確認するが」

「なんでしょう」

「君のマスターは……日野陽鞠という女の子で間違いないな?」


 すると、それまでずっと能面のようだったゴウの表情に、少しだけ柔らかいものが混じる。


「はい。間違いありません。私が製造された時、マスターはそのように自己紹介されていました」

「なるほど」


 おっけい。

 少しだけ状況が見えてきたぞ。


「……私も今、思い出しました。あなたマスターのお友達ですね」

「友だち…………まあ、そんなところだ」


 さっきまで履いていた下着を再び履くという、僕史上初となる屈辱に耐えながら、


「とりあえず、いくつか質問してもいいか」

「どうぞ」

「君はいつからここにいる?」

「一週間ほど前の夜に、日野陽鞠様の手によって創られました」

「なぜ僕がここにいるか、心当たりはあるか?」

「知りません。むしろこちらが聞きたい。なんなんです、あなた?」


 悪いけど、ゴウの疑問は後回しにさせてもらおう。

 僕は彼女の疑問を無視して、


「仲間の“運命少女”はいるのか?」

「いません。私一人きりです」

「いま何時かわかるか?」

「午前四時過ぎです」


 そこで僕は、「ぐぬぬぬぬ」と、犬のように唸った後、


「……陽鞠といつも顔合わせしている部屋を教えてもらっていいか?」

「えっ」


 ゴウは一瞬だけ視線を逸して、


「でも、ちょっと散らかってるから」

「すまんが火急の用だ」


 僕は立ち上がり、有無を言わせぬ口調でゴウに言う。

 少女はしばらく思い悩んでいたようだったが、やがて、


「……わかりました」


 と、苦渋の決断をしてくれた。


――最初に豪姫とヒマリが会った時も、こんな感じだったんだろうか。


 頭の隅っこでそう思いながら、僕はゴウの背中を追う。



 その部屋は、いかにも「ゲーム開始直後」といった具合の内装だった。


「うわ、なんかちょっと懐かしいな……」


 つぶやきながら、配置されている家具をまじまじと眺める。

 スプリング式のベッドや、開けられていないダンボール箱、クラシック音楽をリピート再生するスピーカー、古いゴミ箱、旧式の食料生成システム(フード・ジェネレーター)……。


「あんまり見ないで下さい」


 ぴしゃりとした口調でゴウが文句を言ってきたが、こればかりはそう簡単に止められない。

 なにせこちとら、ずっと憧れてきたゲームの世界にやってきた訳だからな。


 ひとしきり好奇心の充足に時間をかけた後、やがて僕は、部屋の隅に陣取っている、120センチ×80センチほどの長方形のガラス張りの機械にそっと手を触れた。

 それは……いつだったか豪姫が言っていた通り、外界に繋がる窓……のように見える。

 だが残念ながら、そこから外の様子はよくわからない。画面はペンキで塗ったような暗闇が広がっていた。先程ゴウが午前四時過ぎだと教えてくれたから、まだ夜なのだろう。


「……参ったな。これじゃあ陽鞠と話せそうもない」

「待っていればそのうち起きてくるのでは?」

「そうかもな」


 と、その時だった。

 僕の腹部に、強烈な違和感が走ったのは。


「…………ッ!」


 それは、例えるならば目に見えない巨大な指で押されたような感覚だった。


「なッ! なんだこれ!」


 悲鳴を上げ、格闘ゲームで後ろ向きにレバーを二度倒した時みたいなモーションで飛び退く。

 そして、暗闇によくよく目を凝らすと、


『…………にゃー』


 金色の目が二つ、こちらを覗き込んでいるのが見えた。

 正直その時、僕にはそれが全く新種の化物にしか見えなかったが、


「あ、どうも、お疲れ様です、ミケさま」


 ゴウは慌てることもなく、怪物に対して会釈をする。


「彼女はミケさま。マスターの飼い猫で、私のライバルだそうです」

『にゃー』


 僕は背中を反対側の壁に強く打ち付けながら、思い切り顔をしかめた。

 ということは……、さっき触れたのはネコの肉球ということか。

 気味の悪い実感だけが残っていた。正直、何度も経験する気にはなれない。


『にゃー……………』

「ここを出よう。すぐに」


 早口で提案すると、ゴウは不思議そうに首を傾げる。


「もういいのですか? さっきまであれだけ不躾にあちこち眺め回していたというのに」


 僕は足早に部屋を立ち退きながら、


「ここの探索は後回しにする。……とりあえず、ネコが去るまで」

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