第24話 転移
事件が起こったのは、その次の週末。
夏本番に近づきつつある、土曜深夜のことであった。
………………。
………………………………。
………………………………………………………………。
「うむ……ぐぐぐぐ。む」
床。
床に接触している。
実のところそれは、並々ならぬ事態であった。
なぜなら僕は、「玩具のスイッチを切ったみたい」と評されるほどには寝相の良い体質であるためだ。赤ん坊の頃から今に至るまで、ベッドから転げ落ちたことなど一度としてない。
そんな僕の誇るべき記録が破られた。しかし何故だ?
そう思いながら起き上がり、あたりを見回す。
「ここは……?」
そこでわかったのは、どうやらここは十メートルほどまっすぐ伸びた、殺風景な廊下の真ん中らしい、ということ。
廊下には扉がいくつか並んでおり、まるで病院のように見える。
清潔だがどこか寒々しい雰囲気のそこは、少なくとも全く見覚えのない空間であった。
服を見る。寝間着のままだ。
――これは、……なんだ……?
記憶を一つずつ辿っていく。
――ええと……昨日は確か、いつものように本を読んで……少しだけ月曜にやる小テスト対策の勉強をして……眠って……。
今日は確か、土曜の朝であったはず。
と、そこまで認識して初めて、ぞおっと背筋を冷たいものが撫でた。
いま自分の身に起こっている事態に、ある種の心当たりがあったためである。
嫌な予感をさせながら起き上がり……ゆっくりと慎重に歩く。
――落ち着け、落ち着け。パニックを起こすな。
寝る前と後で自分の居場所が違うというのは、ずいぶんと不気味な感覚である。
僕はとりあえず、寝間着の袖を引っ張り、なるべくドアノブに触れないようにして手近な扉を開く。
扉の先は病室を思わせる一室だった。ベッドがいくつか並んでいる。私物のようなものはない。窓も見えない。人の気配もない。
僕の脳裏に、想定しうる最悪の結末が浮かんだ。
――まさか、僕の頭はとっくの昔にイカレちまっていて、ここ最近の出来事は全部妄想だった……とか。
そんなドグラ・マグラ的思考が脳裏をよぎる。
だが、そんなことが現実に起こって良いはずはない。これまで起こった出来事は紛れもない事実だ。僕は確かに若干イカレているかもしれんが、それは事実と空想の見境がつかなくなるタイプのものじゃない。
深呼吸して、感覚を鋭敏化させる。生命の危機に怯える多くの動物がそうするように。
聞き耳を立てながら廊下を歩き、人の気配がないか探っていくと……ごとごと、と、確かに聞こえる異音があった。
足音を消しながらそれに近づき、とある部屋の前で止まる。
しばしの逡巡。
――扉を開けたら怪獣がぎゃー! とか、そういうことにはならんだろうな。……あ、それと、あまり不潔な人間がいるのもどうかと思う。だから部屋の中にいるのは、極めて清潔な人格者で、僕にやさしく事情を説明してくれるような何者か。そうであってくれ。
と、心の中で唱えていると、がちゃりと向こうから扉が開き、訝しげな顔と目が合った。
「……あなたはどちら様?」
一瞬、息が詰まりそうになる。
「まさかお前……――豪姫ッ!?」
僕の目の前にいたのは、この一週間、飽きるほど見てきた顔であった。
だが少女は、田舎者の粗相を観るかのような目つきで、こう応える。
「……? 私はゴウキではありません。ゴウと言います」
「ゴウ……? 豪姫じゃない……?」
この時頭に浮かべたはてなマークの数なら、世界の誰にも負けない自信があった。
だが、混乱する頭でも、彼女の「私はゴウキではありません」という言葉には明確な信憑性が感じられた。
なにせ今の彼女は、――服を着ていたのだ。
どこかメイド服を彷彿とさせる、白いフリルがついた紺色のスーツ。……このデザインと、少女の立ち姿にははっきりと見覚えがある。
彼女は確か、つい一週間ほど前に見かけた、――
「お前、……陽鞠が作った”運命少女”かっ!」
「はあ、まあ。いかにも」
そこでゴウは不快そうに眉を潜めて、
「しかし、あろうことかマスターを呼び捨てにするとは、見上げた根性ですね」
僕は二の口を告げられず、しばらく固まる。
「あなたも”運命少女”の端くれならば、今後は陽鞠さまのことはただ”マスター”とお呼びなさい。それがここのルールです」
「あ、いや。僕は”運命少女”じゃなくて」
っていうかそもそも、女ですらないし。
――まったく、何から話せばいいものか。
混乱した頭で、最初に口に出た質問は、
「ところでシャワールーム貸してもらえない?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます