第21話 映画館に行こう
金曜日。昼休み。
いつものように教室の右後ろの席にて、盗みを働くように読書に勤しんでいると、
「なあなあ、先光。ちょっとええ?」
六車涼音が、満面に笑みを貼り付けて机の前に現れた。
先週の一件以来、涼音からの風当たりはずいぶんと減じていたが、こうして話しかけられるのは初めてのことである。
「……なんだ?」
「明日の土曜なんやけども、映画、観に行かへん?」
「ふむ。……それはつまり、……映画館に行く、ということか?」
「あたぼーや」
薄暗い密室。
多くの人間の息遣い。
ジュースをこぼされたせいでべたつく床。通り魔に踏み潰されたポップコーン。
上映中にホットドッグを貪りながら、あたりかまわずに放屁を撒き散らす狂人。
……そんな、ごく一般的な映画館のイメージから、ほとんど脊髄反射的に断ろうとすると、
「ちなみに、映画館は最近建て替わったばかりで綺麗なとこやから、そのへん心配せんでもだいじょーぶや。掃除も行き届いてるってネットのレビューでも……」
「……映画はH●lu、あるいはN●tflixで観る派なのだが」
「陽鞠も来るけど」
「行きます。よろしくお願いします」
「よろしい。千五百円な」
そして、僕の机の上に一枚のチケットが提示される。
そのチケットの内容を確認して、
「む」
少しだけ驚く。
「『劇場版 運命×少女』か……」
一応、あのゲームが映画化するという情報は知っていたが。
「そーいうこと。あんたもあのゲームやるんやろ? 今週封切りやし、ちょうどええと思ってな」
「ちょうどええ? 何が丁度いいんだ?」
「そりゃあ……色々あるやん? 先週、盛大に鼻血吹かせたお詫び、とか」
「その割にはチケット代、ちゃんと取るんだな」
「それはそれ。これはこれ」
なるほどしっかりしてる。
「だから当日は、とびっきりのクッキー、持ってくさかい」
「……………………」
「冗談や。なんちゅー顔すんねん」
正直、少し余計なお世話だという気持ちもあったが。
考えてみれば、良い機会のようにも思える。
――豪姫の件、……あるいは、映画から何かヒントが得られるかもしれない。
そういう風に思えたのだ。
あくまでダメ元であったが。
▼
『さっき気づいたんだけど、オメーあれだな。私服のデザイン、一種類しかないよな。のび太くんみてえに同じ柄の服がいっぱい吊ってあんのな。けっさく』
……などという豪姫の煽り文句を諸共せずに、電車に乗ること十数分。池袋のゴミゴミした人混みを忍者のようにすり抜けて、やってきましたサンシャイン通り。
指定された待ち合わせ場所に到着すると、
「あっ、さっきーくん」
そこにはすでに、日野陽鞠の姿があった。
「やあ」
予定より三十分ほど早い到着だったが、どうやら待ってくれていたらしい。
さすがに今日ばかりは、顔を合わせるなり気まずい雰囲気になることもなかった。
むしろ、
「私、ついつい寄り道してしまう癖があるから、余裕を持って出ないと、ぜったいに人より遅れてしまうんです」
と、向こうから歩み寄るような形で話題を振ってくれる。
「でも、付き合わされて迷惑じゃなかったかな? 君は『運命×少女』、よく知らないんだろ」
「問題ありません。ばっちり予習してきましたから」
「……予習、か」
ちょっとだけ苦笑する。たかが娯楽映画に、そこまで身構えることもないように思えたからだ。
「それに昨晩から、ゲームも始めているんですよ」
「へえ」
彼女の少しおかしな勤勉さに感心しつつ、スマホを覗き込む。
同時に、一瞬だけ息を呑まされる羽目になった。
というのも、そこにいたのは狩場豪姫……に、とてもよく似たキャラクターであったためだ。
『ごきげんよう、マスター。本日は何をなさいますか?』
豪姫似のキャラクターは、ココアやヒマリと同じく、ボディラインがはっきりわかる未来っぽいスーツを身にまとっており、穏やかに微笑むその佇まいはどこか、清楚なお嬢様を思わせた。本物とは大違いだ。
「へえ……いいねえ。知力を強化するタイプの装備か」
「はい。初期は”知力”のパラメータが大切なので、この辺を選ぶのが良い……と、攻略サイトに載ってましたから」
――本当にちゃんと”勉強”してきてるんだな。
「ところでこのキャラ、わりと豪姫に似てるみたいだけど」
「あ、わかります? 昨日、三時間ほどかけて作ったんですよ~。写メールとか参考にして」
「へぇ」
胸ポケットに入れたスマホがコンコンと揺れる。『あたしにも見せろ』の意思表示なのだろうが、無茶言うんじゃない。
「……ところで。あれからさっきーくんには連絡ありました?」
「連絡?」
「おやおや? オトボケ発言ですか? ごーちゃんのことですよぉ」
「ああー……」
そういえば、豪姫はいま休学扱いになってるんだっけ。
それまでクラスの真ん中でぎゃーぎゃー騒いでた娘が急にいなくなりゃ、気にもなる、か。
「いや。こっちには連絡ない」
「……そうですか」
陽鞠が気遣わしげに嘆息して、
「あんまり長く休むと授業についてけなくなりますし……よくないと思うんですけど」
「それは……まあ、心配ないんじゃないか?」
これは根拠のない言葉ではない。
なにせ豪姫は毎日ちゃんと、僕たちと同じ授業を受けている。スマホの画面越しではあるが。
「ん? どうしてそう思うんです?」
「どうしてって……別に、なんとなくだけど」
「本当ですか? さっきーくん、やっぱり何か知ってるんじゃないですか?」
思いもよらず核心を突かれて、唇をへの字にする。
これがいわゆる女の勘、と呼ばれるヤツだろうか。
「深い意味はないよ。あいつだって、自分のことくらい自分で面倒みれるさ」
「それはどうでしょう。……ごーちゃんって、小さい頃にお父さんとお母さんが失踪しちゃってから、へんに子供っぽくなる時があるんです。だから、ちょっと心配」
「……子供っぽい?」
「はい。……学校だとそういう感じしないけど、ごーちゃんって時々、裏山の誰もいないところでその……服を脱いだりして、森林浴とかしてるんですよ?」
「ヘエ、ソウナンダ」
「あっ、ひょっとしてさっきーくんいま、ごーちゃんの裸、想像しました?」
「いや、まったく」
そんなもの、想像するまでもなく毎日見せつけられてるからな。こっちの否応なく。
「そーいうの、すごく危険だから止めたほうが良いっていつも言ってるんですけど、ごーちゃんったら聞いてくれなくて。……何かの事件に巻き込まれてなければいいんですけど」
「自主的に休学届を出してるくらいなんだから、きっと大丈夫さ」
若干しどろもどろになりながらも、一応フォローしておく。
そのタイミングで、
「やあやあオフタリサン。なんや仲よさげやのォ? 見せつけてくれよってからに」
東京人に冷たい関西のおっさんのような台詞と共に、六車涼音が現れた。
「なぁなぁ、いつの間に二人、そんな仲良ぉなったん? ……なんか、陽鞠も先光のこと、さっきーくん呼ばわりしとるようやし」
…………む?
………………あ。
言われてみれば。そういえば。
瞬間僕は、ものすごい勢いで頭に血液が昇っていく感覚に襲われた。鏡を見れば、さぞかしみっともない面相になっていることだろう。
だが、それに負けず劣らず、陽鞠の顔も赤くなっている。
「……うわ。なんやこの、満更でもない二人のフンイキは。これウチ、完璧にお邪魔虫ってヤツやないか」
「そんなことは……」
「もう帰ろっかなー? 帰って世界中のカップルの爆死を願い続けよっかなー?」
「……ンもう。すずちゃん、ふざけすぎです」
僕は思い切り顔をしかめて、
「帰るな。それは困る。なによりチケットがもったいないし」
と、熱心な口調で言う。この状態で陽鞠と二人っきりにされると、何もしゃべれないまま気まずく別れる羽目になりそうだったためだ。
「なんや、気ぃ使ったろー思ぅたのに。二人揃って奥手やなぁ」
そして涼音は、にひひひひぐふふと悪魔のように笑う。
――こいつ。
応援してくれてるのか、はたまたその逆か。
……微妙なところだな。五分五分ってところか。
そして僕達は、涼音の先導に従って映画館内へと足を踏み入れる。
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