第19話 誇り高い少女

 それからヒマリたちが元の世界に戻るまでの三十分間、備蓄していた菓子類を供することで間をもたせながら、僕はスマホを手に取る。

 画面の中では、豪姫がどこかアンニュイな表情で頬杖をついていた。


「なあ、――豪姫」


 どうもさっきから、豪姫の様子が少しおかしい気がしている。

 どこが、とは言えない。

 いつも騒がしい彼女にしては静かすぎる、というか。何か思い悩んでいる様子、というか。


「例のガチャの件だが。……ひょっとして他にも見つかったんじゃないか?」


 すると豪姫は、片眉をぴくっと吊り上げて、


『お。良い勘してるじゃん』


 ……こいつ。


「何を見つけたんだ?」

『さっきオメーが話してた、“ガチャ”っていうやつ。中身がまだ入ってる。それが3ダースほど、箱入りでな』


 3ダースというと、36個か。


「大盤振る舞いだな。中身は開けたのか?」

『うん。――試しに五個ほど』

「中身は?」

『……どれも“異界遠征券”だった』

「全部同じものか?」

『いや。どうやら今回ココアたちが使ったのは一番短い期間のやつで、他にも三日分、一週間分のやつがあった』


――一週間分。


 その言葉を聞いて、内心ほっと胸をなでおろす。

 事態の根本的な解決には至らないものの、異世界間の行き来が可能なら、少なくともその間に色々と準備することはできるはず。

 だが、引っかかることが一つあった。


「まさかその件、――僕が訊かなければ、黙っているつもりだったのか?」

『まーねー……』

「何故だ」

『ちょっとばかし考えがあって。できれば黙っておきたかったんだ』


 全身余すことなくおっぴろげにしているくせに、この期に及んで隠しごととは。


「話してくれ。どういうものであれ、僕は君の考えを尊重する」


 すると豪姫は、なんだかお尻をもじもじさせながら僕を見上げて、


『……ほんとに?』

「ああ」

『ほんとにほんとに?』

「もちろん」

『ホントのホントのホントのホント?』

「しつこい」

『じゃあ言うけど、』


 そして、唇をへの字にして、


『あたし、この世界のことをちゃんと理解するまで、そっち側には戻らないことにした』

「戻らない? なんだと?」

『いちおー理由はある。……灰里は前に、あたしがこの世界に来た影響を受けて、ゲームの世界が生まれたんだって言ってたよな』

「そうだな。まだ仮定に過ぎないが、ヒマリたちが元々単なるゲームキャラに過ぎなかったことは間違いない」


 そして、ヒマリとココアをちらと見る。

 二人は今、我が家の食卓でのんびり一休み中。

 紙コップ入りのインスタントコーヒーを、さもありがたそうにすすりながら、「デリシャス」「豆が違う」とかなんとか言っていた。


 彼女たちは今、生きている。知性を持っている。

 ゲームのキャラクターだった頃とは、明らかに違っている。


『じゃあさ、もし一時的にでも、あたしがこの世界を離れたら、……このスマホの中の世界はどーなる? ひょっとするとまた元通り、ただのゲームに戻っちまうんじゃねーのか?』

「それは……なんとも言えん……が」


 そこで僕は、バシンと乱暴に頬を叩かれたかのような気持ちになった。

 豪姫がこっち側に戻る手段を見つけて、それでこの話はお終い。……そんな風に考えていた自分が、突然恥ずかしく思えてくる。


「確かに、言われてみればそうだな。君が現れたことがトリガーになったのなら……その異常性が取り除かれると同時に、全てが元通りになる可能性はある」

『な? そう考えると、テキトーなことできなくなると思わねーか?』

「しかし、それは一つの可能性にすぎない。変異は不可逆のものかもしれない」

『でも、違うかもしれない。ヒマリたちの自我が消滅する可能性が1パーセントでもあるなら、慎重にならなきゃならん。そーだろ?』

「…………ううむ」


 確かにそれは、安易に答えを出してはいけない問題であった。

 それが、――どういう形で産まれたものであれ、そこにある知性は尊重されなければならない。


「しかし……」


 僕は、口の中でもごもごと呟く。そもそもこの一件、僕達の手に負える問題なのかという疑問があったためだ。


『この世界に来て数日だけど、ここのみんなはどいつも、いいやつばっかりだ。……もし連中があたしのせいで人形みてーに戻っちまうなら……それは……』


 豪姫は、続く言葉に詰まって、下を向く。


「だが、もしそうなったとしても君の責任じゃない。君は巻き込まれただけだ。違うか?」

『それでも、ダメだよ。放ってはおけない』

「そうか」


 そこで僕は、肺の中の空気を思い切り吐き出してから、


「君は……誇り高いんだな」


 敬意を込めて言う。

 すると少女は、口に出すのも憚られる部位をがしがし掻きむしって、


『真顔で褒めるなよ。おしりが痒くなるだろ』



 ヒマリ、ココアとの別れの時間が近づいていた。


「……………………………………………………………………お。そろそろっぽいぞ」


 チケットの半券を見て、ココアが言う。


「そうか。あとどれくらいだ?」

「百三秒」

「ひゃく……思ったよりも短いな」


 それでは、ゆっくり別れの挨拶も言えない……が。それくらいの方がちょうどいい気もする。

 ヒマリが、早くも湿っぽい空気を作り出していたためだ。


「……マスター。御機嫌よう……。本当は積もる話もたくさんあったのですが」

「まあ、ずっと風呂入ってたからな、僕……」


 ヒマリは、深く深くため息を吐いて、


「でもでも! おみやげにお菓子ももらえましたし! 大事に食べますから!」


 本当にこの娘は、言うことが大袈裟だ。


「これが今生の別れってんでもなし。そんな顔をしないでくれよ」

「そうでしょうか? また私は、ここに来てもいいのでしょうか?」

「いいとも。……いきなり抱きついてきたりしなければ」


 たったその一言だけで、ヒマリの顔にみるみる希望の光が満ちていく。


「ではでは! もしまたこちらに来る機会があれば、マスターにお願いしたいことがあるのですが!」

「なんだ?」

「ぜひ私に子種を、」


 瞬間、ココアの手の中にあるチケットが閃き、目の前にいる二人の少女を包み込む。


「――!」


 思わず目を瞑って、……数秒後、目を開いたころには、ヒマリとココアの姿は綺麗さっぱり消失していた。

 と、そこで、ヒマリが立っていた場所に、長い髪が一本、はらりと落ちていることに気づく。


「……………ぐぬ」


 朝からあれだけ念入りに掃除したというのに。一からやり直しか。


「まったく、厄介な……」


 苦い台詞を吐きながらも、口元には笑みが浮かんでいる。

 意外なことに、少し気分が高揚していた。

 ひょっとすると、……生まれて初めて友達を家に招き入れたから……とか。

 そういうことだろうか。


――まさか、な。


 僕は自嘲気味に笑って、お気に入りの掃除機のスイッチを入れた。

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