第18話 WORLD1991行のチケット
ヒマリが正気を取り戻すには、それからおよそ一時間弱の時間が必要だった。
この場を借りて、その際に僕が発した台詞の一部を垂れ流すなら、
「つまり、だ。あの時僕が言ったのは本気じゃなくて、だね。一時のテンションに身を任せた結果、というかね。わかるね? ……ああ、確かに『二度と近づくな』とは言った。言ったよ? しかしそれが丸ごと本心というわけじゃあないんだ。……うん、うん。いやしかし、だからといってキスを許容しているわけじゃあないんだ……待て。近づくな。僕に触れるんじゃない。……ちょ、ちょ、ちょっと待て。その包丁を置きなさい。え、今すぐ切腹する? 侍なの? いけないぞそれは。床が汚れる。掃除も大変だ。……あともちろん、君を怪我させたくない。わかるだろ? とりあえずそれを置いてくれ。僕は何も、君が嫌いだからキスしたくないわけじゃあないんだよ。そういう性分なんだ。難儀なね。人肌に触れると、ぞわぞわと鳥肌が立つんだ。……うん、うん。わかるよ? 確かに僕は以前、たくさん君に触ったりした。でもあの時とはちょっと事情が違うんだ。あの時は、ただのタッチパネルに触れていたつもりだったからね。ちゃんと除菌もしていたし。清潔だと思っていたんだ。……うん、うん。わかっているとも、ヒマリ。君は清潔だよ? 石鹸の良い匂いもする。それはわかる。しかしね、君。人体の表面には、放って置いても細菌が付着しているものでね。触れると危険なんだ。他人とのスキンシップは要するに、お互いの肉体に付着した菌をやりとりするようなものなんだ。そういう真似を安易に行うと、肌がものすごく荒れたりして、最悪の場合、死に至ることもある。だから僕は他人の身体には触れない。わかってくれるね? ……よし。十分に理解してくれたね? ではその包丁を置きなさい。置くんだ。置け。……いいぞ。さすがヒマリだ。素直で賢いね。偉いぞ。……待て。近づくな。僕に触れるんじゃない! ……おい、待ちなさい。なぜまた包丁を手に取る。……切腹? 侍なの?」
と、こんな感じ。
僕は頭の片隅で「男の理想像としての二次元ヒロインと、そのアンチテーゼとして生まれたヤンデレというジャンル」に関する考察を深めつつ、頑なに人生に悲観し続けるヒマリの、ひたすらに後ろ向きな言葉に耳を傾けていた。
「でも、でもマスター。愛する人とも触れ合えない人生に、何の意味がありましょうか」
めそめそと泣きながら、少女は必死に訴える。
僕はというと、
「どうだろう。幸せの形は人それぞれだから」
当たり障りのない返事をするのが精一杯だ。
それに対する、ヒマリの反論は凄まじい。
曰く、
――その意見は哀しい欺瞞にすぎない、とか。
――そういうのを、心理学的には「防衛機制における合理化」と言うのだ、とか。
――抑圧された衝動は、時として失語症、視野狭窄、不食や嘔吐、暴言、暴力、自傷行為などの問題行動を引き起こすケースもある、とか。
――いやむしろ、自分にはそうした症状を起こす権利がある、とか。
ぐむ。
むやみに“知力”のパラメータを上げまくった結果がこれか。
結局僕は、「ゴム手袋越しであれば接触を許可する」という妥協点を見出し、ヒマリを納得させる羽目になる。
「~~~♪~~~~~~~♪~~~♪」
新品のゴム手袋でヒマリの頭頂部を撫でる……というか擦りながら、僕はようやく、明後日の方向に放置していた現状把握に取り掛かった。
「豪姫、ココア」
声をかけると、僕のお気に入りのカウチで猫のように丸くなっていたココアが、
「…………………………………………………………………………………………ふにゃ。よーやく終わったか」
と、アクビまじりに目を覚ます。
それに続いて、豪姫もスマホの画面前に移動してきた。
『オメーがうんこたれなせいで、アホみたいに待たされてしまった。まったくもう』
あれ? もしかして100パーセント僕のせいになってない?
『とりあえずこっちの状況をさくっと説明するけども、――ココアとヒマリを除いた遠征班は全員無事だ。さっき帰ってきた』
そうか。それは何より。
『連中、色々と情報を持ち帰ってきたぞ』
そして豪姫は、ちょうど握りこぶしくらいのサイズの球体を取り出し、
『これ、灰里は見覚えある?』
「もちろんある」
僕は即答した。
「それは、――ガチャに使うカプセルだな。今は空っぽみたいだが」
『詳しく聞かせてくれ。……なんだ、ガチャって』
「聞いたことないか? この手のソーシャルゲームじゃあよくある、ランダム要素を含んだ仕組みの総称だ」
『らんだむって……? ゲーム用語はよくわからん』
「開けてみるまで、どんなアイテムが入っているかわからないってこと」
『……はあはあ。なるほどな』
多くのソーシャルゲームがそうであるように、『運命×少女』もまた、この手の運要素をがっつり含んだシステムが登場する。ガチャは、そうした要素の一つだ。
「ただまあ、“ガチャ”ってのは、プレイヤー側の呼び名に過ぎない。設定上それは、大昔に滅んだ文明の遺産、……“アーティファクト”と呼ばれるものの一種らしい。原理はよくわからんが、分子を再構築するとかで、あらゆる物体をそのカプセル内部に収納することができるようだ。んで、そのカプセルを開けると、中から様々なアイテムが飛び出すって寸法さ」
もっとも、ガチャを採用したほとんどのゲームと同様に、その中身はゴミのようなアイテムが入っていることが多い。だが時折、とてつもなく有用性の高いアイテムを手に入れられるのが面白いところだ。
「それで? その空っぽのカプセルがどうした?」
『どうやらヒマリとココアは、このガチャの中身に入っていたものの力でそっち側に転移しちまったらしい』
そうだったのか。
僕は、ココアとヒマリを交互に見て、
「……しかし僕は、何かちょっとでも奇妙なものを見かけたら戻るように言ったつもりだったが」
と、押し殺した口調で言う。
ヒマリは、一瞬だけココアに目配せした後、
「申し訳のしようもありません。全て私の責任ゆえ……」
その言葉を、ほとんど噛みつくような口調でココアが遮った。
「………………………………………………………………………………ちがう。私の責任。ヒマリ、巻き込まれただけ」
お互いを庇い合う二人に、僕は小さく嘆息してから、
「詳しく話してくれ」
「…………………しょーじき、舐めてた。どーせ“トコロザワ”で手に入るアーティファクトなんてゴミみたいなモンだと思って」
「それで、その場でガチャを開けてしまったのか」
「……そう」
やはり、というか。
ゲームと同じようにやろうと思っても、うまくはいかないものだ。ココアの気持ちを計算に入れておかなかった僕が甘かったか。
「そしたら、なんかよくわかんないでっかい装置が起動する音がして、………………」
駆けつけたヒマリと一緒に、気づけば僕の家の庭にいた、と。
ココアが命令に従わなかったことを責めるつもりはない。そもそも僕は、彼女たちを指揮するような立場の人間ではない。ごくごく平凡な男子高生に過ぎないのだ。
「しかし君たち、これからどうするつもりだ? 言っておくが、僕と一緒に住むのはおすすめできないぞ。なにせ、血を分けた肉親すら海外に逃げ出したレベルなんだからな」
「……………………………………………いちおーそれは、考えなくて、いい」
「なぜだ?」
「たんじゅん。それは……」
その続きは、豪姫が継ぐ。
『その、“ガチャ”とかいうモンの中に入っていたアイテムは、どうやら一時的に人員をそっち側に送るものだったみたいなんだ』
「……なに? 一時的?」
『そう』
「いまいちイメージが湧かんのだが、具体的にどーいう形状のアーティファクトを見つけたんだ?」
『こんなの』
そう言って豪姫が取り出したのは、僕が想定していたどのようなものよりも小さく、薄っぺらく、……それはまるで、一枚のチケットのように見えた。
というか本当にただのチケットだった。
チケットは日本語で、《異界遠征券》と印刷されている。その右下には、小さい文字で“WORLD1991行”とも。
「遠征券……?」
なんと明快でわかりやすい名前だろう。要するにこれ、スマホの中の世界からこっち側にやってくるためのアイテムってことだよな。
「半券はこちらに」
ヒマリの手には、豪姫が持っているものの片割れと思しき、小さな紙切れが握られていた。どういう原理か知らないが、半券には数字が印刷されており、その印刷文字が、一秒ごとに減っているのがわかる。数字は今、残り二千秒を切ったところのようだ。
「恐らく、半券そのものはスイッチのような役割で、それを手にした者を自動的に転移させてしまうようなアーティファクトがあったのかと」
「転送装置、か……」
それそのものは、『運命×少女』の世界において一般的な移動手段である。地下深くにある少女たちの施設から出るのだって、転送装置なしには不可能だ。
「では、その半券のカウントがゼロになると同時に帰りのゲートが開く訳か」
「恐らくは」
内心、ほっと一息つく。
一時は、彼女たちの就職の世話までせねばならないかと思っていたところだ。
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