第17話 ピストル自殺
この世で風呂場ほど内省的な気分にさせられる場所を僕は知らない。
シャワーを全身に浴びていると、いつもの自己批判的な感情が忍び寄ってくるのに気づいた。
――さすがに「二度と近づくな」は言い過ぎたか。「穢らわしい」は事実としても。
そうして全身の洗浄を終える頃には、すっかり生まれ変わったような気分でヒマリと接することに決めたのである。
――素直に謝ろう。そして、僕の矮小さ情けなさ人間のゴミクズぶりを明確にした上で、彼女たちの言う”マスター”はこの世界において凡百なるゲームオタクに過ぎないことを告白し、これまで上から目線であれこれ命令してきたことに許しを請うのだ。
気分は、磔刑を受けに丘を登るイエス・キリストの如し。
これから僕は、救世主でもなんでもない、ただの人間なのだと自白しに行くのである。
覚悟と決めてリビングの扉を開け、まずヒマリの姿を探す。
「――あれ?」
ココアがいる。テーブルの上にはスマホ(IN豪姫)もある。
だが……ヒマリの姿がない。
「ヒマリはどうした?」
そうつぶやき、一歩踏み出すと、むぎゅっ、と、スリッパ越しに何かを踏みつけた感じがした。
「ありがとうございますありがとうございます! 踏んで! 悪い娘のヒマリをもっと踏んで下さいませ! 罰をお与え下さいませ! それでマスターの気が少しでも晴れるならば!」
「う、うわ!」
地の底から湧いたような声に飛び退くと、ドアを開けたすぐ前に、小さく折りたたまれるようにして土下座しているヒマリの姿があった。
「………………………………………………さっきから、ずっとこのまま。なんとかして、マスター」
と、ココア。
「なんとかしろと言ったって……」
その後、床におでこをくっつけたまま、音量調整の壊れたスピーカーのように叫び続けるヒマリの意見をまとめると、こうだ。
・ずっと会いたかったマスターと想いもよらずに巡り会えたことで運命的なものを感じたこと。
・気がつけば理性を失い、マスターに接吻を浴びせてしまったこと。
・その結果、マスターを怒らせるようなことになってしまい、大変申し訳なく思っていること。
・マスターの存在はヒマリにとって、唯一の生きる目的であること。
・マスターに嫌われてしまうくらいならいっそこの場で命を絶った方がよっぽどマシだということ。
・つきましてはいまここでピストル自殺を行うので、ぜひぜひ見守っていて欲しいこと。
「なに? ピストル……?」
一瞬、言葉の意味がわからないでいると、やたら厳かな手つきでヒマリがL字型の鉄の塊を取り出し、それを口に咥えた。
取り出したものには見覚えがある。『運命×少女』の中に登場するアイテムの一つで、”外界遠征”コマンドを実行する際、少女たちに持たせる、……
――護身用の拳銃。
「……何をっ!?」
ぞっと嫌な予感がして飛びかかる。だが間に合わなかった。ヒマリはなんの躊躇もなく引き金を絞る。
瞬間僕は、彼女の後頭部が炸裂した結果、脳漿をぶち撒けられて二度とリビングが利用できなくなった不便な我が家を幻視する。
だが幸い、残酷な空想が現実として顕現することはなかった。
かちんっ! と音がして。
「あれっ、あれ!? なんで!」
ヒマリが涙目で何度も引き金を引くが、彼女が期待する命の終焉は一向に訪れない。
すると、ココアが深いため息をついて、
「………………………………………さっきこっそり、弾、抜いといた」
と、言った。
「そんな! ココアちゃん! なんで!? 死なせて! 私を!」
「…………………………………………………………………………あんた、必要。わりと。死なれるとみんな、ほとほと困る」
「ううう………………ふえええええ…………」
死にたい、死にたい、殺してくださいと、まるでプレゼントをねだる子供のように泣きじゃくるヒマリ。
僕は僕で、この一連の出来事が、軽はずみに叫んだ自分の一言に端を発することに気づいて、ひたすら戦慄していた。
たぶん、その場で最も平静に近かったのは、――スマホの中の住人、狩場豪姫だろう。
彼女は、どことなく上の空な表情で頬杖をつきながら、
『……この件、始末がついたら教えてくれ。いろいろ相談したいことがある』
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