第16話 ゲーム世界の住人
その後の三時間ほどは、何事もなく過ぎていった。
僕はその間、今か今かと連絡を待つ。
――ゲームでは確か、二時間ほどで戻ってきたはずだが。
まさか、何かトラブルでもあったのだろうか?
最悪の想像が脳裏をよぎる。
『マァマァ落ち着きなって。だいじょーぶだいじょーぶ』
豪姫が楽天的に慰めてくれたが、残念ながらなんの気休めにもならなかった。
『……おいおい。さすがにちょっと心配しすぎじゃないか? 出かけるっつっても、ファ●ファンとかドラ●エみてーにモンスターが出て来るわけじゃないんだろ?』
そこで僕は苦虫を噛み潰したようになって、
「いるぞ。……モンスター」
『えっ?』
「正確にはモンスターではなく、”ミュータント”と呼ばれるもののようだが」
『………………………………マジで?』
「ああ、マジだ。さっき『運命×少女』の設定をWikiで再確認したし、間違いない」
すると、僕の心配が伝染したらしく、豪姫の表情にも苦いものが混じる。
『このゲーム、単に女の子とキャッキャウフフするだけのゲームじゃなかったのか?』
「基本的にはそうだ。実際、ゲーム中に戦闘描写などは登場しない。ただ、”外界遠征”コマンドを実行した少女が、”健康度”というパラメータを損耗させた状態で帰還することがある。そういう時は、”ミュータント”と戦闘があったことを意味するらしい」
『……へえ。……一応聞くけど、その”健康度”がゼロになった娘はどうなるの?』
「死ぬ。ゲームから消滅する」
『デスヨネー』
気まずい沈黙が生まれた。
頭には、遠征班の“運命少女”たち、――ヒマリ、ココア、モミジ、サクラ、ミントの顔が浮かぶ。
もちろんその中でも一番思い入れのあるキャラクターはヒマリだが、その他の少女たちも十分大切に思ってはいた。
この手のソーシャルゲームとしてはかなり辛めの難易度である『運命×少女』だが、僕はこれまで、一度たりともキャラを
そんな彼女たちを……何かの間違いで失うようなことになったら。
――ぐむう。
ストレスのせいだろうか。胃がきりきりと痛む。人に命令を下すという行為が、ここまで精神を消耗させるとは。
ふいに立ち上がり、
『どこに行く?』
「手持ち無沙汰だ。耐えられん。ちょっと掃除機かけてくる」
『おいおい。オメー今日だけで何回掃除するんだよ。もうホコリひとつないって』
「バカいえ。ホコリのない家などこの世に存在しない。あれは、放置すれば放置した時間だけ降り積もっていくものだ」
『オメーもうちょっと、楽に生きられないの?』
「そうした試みは、中学の三年間で諦めてる」
『……むむむぅ』
呆れ顔の友人を背に、部屋を飛び出していく。
そしていつでも使えるようにしているお気に入りの掃除機(吸引力が変わらないやつ)を手に、さっそく掃除を始めようと気合を入れると、
がしゃーんっ!
リビングの、ちょうど庭に面している窓が派手に割れた。
ガラス片が宙を舞い、百万回は掃除機をかけたフローリングの床に散らばる。
「きゃああ! ダメェー!」
あまりの出来事に、女の子のような悲鳴をあげてしまった。
脊髄反射的に掃除を優先しかけて、すぐにそれどころでないと気づく。侵入者が、土足のままリビングに上がってきたためだ。
「ひとまず靴を脱げ!」
……と、怒鳴りつけたい気持ちをなんとか呑み込みつつ顔を上げると、何よりまず、そいつの手に握られた拳銃のようなものが目に入った。
――最近の泥棒は銃を携帯しているのか。なんて世の中だ。誰が政治しとるのか。
対するこちらの得物は、掃除機が一台あるだけ。
攻撃力にはとても期待できそうもなかった。
「………………………………………………………………………む。あんた」
と、そこで。
その、耳元で囁くような喋り方に聞き覚えがあることを発見する。
顔を上げて。
侵入者の顔をまじまじと見て。
「……なっ」
目を疑う。
そこにいたのはなんと、今朝スマホ越しに会話した少女、――ココアだったのだ。
「………………………………………………やっぱり。………………マスターか」
右を見て。
左を見て。
もう一度右を見て。
自分の今いる場所が、よく見知った自宅であることを再確認して。
「そこで、何をしてる?」
ようやくの思いでそう尋ねると、ココアは気まずそうに耳を掻き掻き、
「……ちょっとだけ、ふくざつ」
複雑、だと?
「いろいろあった。そんでこうなった」
「いろいろ?」
「うん」
「いろいろあったら、ゲーム世界の住人が当たり前みたいな顔して現実世界に現れて、僕の家のガラス戸をぶち破ったりするのか?」
ココアは視線をふわふわと宙空に彷徨わせた後、
「……よくわからんけど、たぶんそう」
風通しの良くなったリビングを背景に、なんだか間の抜けた感じの問答が続く。
「ところで……」
他のメンバーは?
そう問いかけた瞬間、ココアの後ろから一人の少女が飛び出した。
「……………マスター! マスター! マスター! マスター!」
狂ったラジオのようにそう叫びながら現れたのは……、
「ひ、ヒマリ!?」
同時に、僕の胸のあたりめがけて、ヒマリが突撃してきた。
ぞっと背筋に冷たいものが走ったが、もう遅い。
僕は、彼女の身体をガッチリ受け止めるハメになる。
仔犬のように抱きついてきたヒマリはその後、頭をぐりぐりと僕の顎部に擦りつけた後、ほっぺたに熱烈な口付けを浴びせてきた。
「本物だ本物だ本物だ! 会いたかった会いたかった! 会いたかったです!」
柔らかい唇に何度も触れて、口腔内で分泌される液体が付着する。
一般的な人間の唾液には一兆個の細菌が存在していることは周知の事実であり、――僕の意識は数度、天へと昇りかけた。
「や、……やめ、…………やめてぇ………」
乱暴された乙女のように呟くが、僕の腕の中にいる少女はもはや、暴走した機関車のように止まらない。
――これはいかん。このままでは貞操を奪われる可能性もあるぞ。
やむを得ず僕は、ほとんど生まれて初めて、物理的な手段による自衛を行使した。
満身の力を込め、……なおもスキンシップを図ろうと目論むヒマリを、思い切り蹴っ飛ばしてやったのである。
するとヒマリは、「ひゃんっ」とかなんとか言って尻餅をつく。
そんな彼女を見下しながら、僕はあらん限りの声を張り上げて叫ぶ。
「触れるな穢らわしいッ! 二度と近づくな!」
それは、孤独に苦しむ冴えない男が美少女に抱きつかれた際に口にするものとしては、世界初になるかも知れない台詞であった。
「………………………………………………落ち着け、マスター。落ち着け、ヒマリ」
ココアが、いつものそっと囁くような口調でその場を収める。
僕はよろよろと立ち上がり、我ながら尊大な態度で、
「……少しシャワーを浴びてくるから、その間に状況を整理して、説明しろ。あと、ガラス片は片付けておいてくれ。雨戸は閉めておくように」
と、言った。
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