第8話 光の道標

「日野さん、告られたんだってさ」

「え? ウソー? 誰に?」

「それがあの、――”宇宙人”だって」

「ええ? ”宇宙人”ってあの、先光?」

「うん。びっくりでしょ。朝、目撃した娘がいるってさ」

「信じられなぁい……だって”宇宙人”てその……ニンゲンの肌に触れられないんでしょ? ……そういう人でも、誰かと付き合いたいって思うんだ」

「あいつもああ見えて、人の子だったってことじゃないの」

「でも、日野さんと”宇宙人”のカップルって……まあ、二人ともちょっと変わり者だけど」

「一緒にしちゃあ日野さんに悪いよ。”宇宙人”は変わり者っつーか、ビョーキでしょ? あれ」


 とか。

 なんとか。


 嫌でも耳に入ってくる周囲の噂話に苦しみながら、なんとか一日の授業を受け切る。


 ちなみに陽鞠は、朝礼が始まったあたりで教室に戻ってきた。

 だが、今朝からずっと、一度も目を合わせてくれてはいない。


 その後、牛のように鈍重な速度で帰宅した頃には、すでに日は傾いていた。


「……ぐむ」


 リビングに到着すると同時に性も根も尽き果てて、僕はずいぶん久しぶりに全身の除菌処理を怠る羽目になる。

 そして、ふらふらとお気に入りのカウチに座り込むやいなや、ぷっつりと意識を消失させた。


『ちょ……灰里っ? 大丈夫か、おい?』


 ポケットの中から悲鳴が聞こえた気がしたが、返事をする気力はない。


 無理もない。

 あのような長台詞を吐いたのは、実に数年ぶりのことであった。

 だが、不思議と後悔はない。


 この広い一軒家で、一人きり。ずっと平気なふりをしてきたが。

 一人ぼっちは辛い。一人ぼっちでは生きていけない。

 ずっと気づいていた。

 孤独は人を蝕むものだ。本人がそれと気づかぬうちに。


 今になって思えば、『運命×少女』を始めたのも、そんな生活に慰みを求めた結果なのかもしれない。



 目を覚ましたのは、午前零時を回った頃であった。


「いてて……」


 妙な体勢で眠っていたせいでガチガチになっている身体をほぐしながら、スマホを探る。闇色のリビングを、画面の光が煌々と照らし出していた。


「……ん?」


 と、そこで違和感に気づく。


――そういえばこのスマホ、昨晩からずっと起動しっぱなしになってるよな。


 こんな風に四六時中点けっぱなしになっているなら、そろそろ電池切れの表示が出てもおかしくないような気がするのだが。

 だが、僕がみたところ、どうにもバッテリーが減っている様子がない。


――ひょっとしてこれ、もう電池切れ……しないのか?


 クラスメイトがスマホの中の世界に閉じ込められていることに比べれば、それは小さな異常に思えた。だが、奇怪な現象であることには変わりない。

 機械が動作しているということは、それすなわち電気を消耗しているということだ。

 ところがこのスマホには、そうした兆候がない。


――魔法の力とか、悪魔の呪いとか。……あるいはなんか、そういうものが関わっているのだろうか。


 今の僕にとって、そうした想像はもはや、さほど突飛な発想ではなかった。


 なんとなくスマホを覗き込むと、そこには一人の少女が座ったままの姿勢でうつらうつらしている姿がある。


『…………すぅ。……すぅ。……すぅ』


 昨晩に聞かされた騒音とは異なる、子犬のように控えめな寝息。

 今、画面前にいるのはヒマリらしい。


――僕を心配して、ずっと待っていたのか。


 そうなると、さすがに放っておくわけにもいかないな。


「おい。そんな風に寝てると風邪引くぞ」


 言うと、


『は、はは、はい!』


 バネ仕掛けのように少女が跳ねた。


『あ、……ああ! マスター! 元気を取り戻しましたか万全の状態ですか!?』

「万全とは言えないけど、元気だよ」

『ああ………良かった…………!』


 そういうヒマリの目元には、なんと涙が浮かんでいる。


『本当に……マスターがあのまま目覚めなかったら、どうしようかと……』


 大げさな子だ。


「別にそんな、僕のことはあんまり気にかける必要はないよ」


 むしろ、いま彼女たちの置かれている状況のほうが、よっぽど深刻だ。


『そうはいきません! マスターはわたしたちにとって、光の道標なんです! マスターが真っ暗な道を照らしてくれているから、わたしたち運命少女は迷わず前へ進むことができたんです!』


 おいおい、「光の道標」と来たか。こりゃまいったねえ。

 眉間を軽く揉みつつ、


「まったく……この世で僕のことをそんな風に気にかけてくれるのは君だけだよ」


 「ごめんなさぁあああああああああああああい」と叫ぶ陽鞠の後姿を思い出す。


『そんなことありません……マスターは素敵な方です。きっと皆さん、マスターのことを誤解しているだけなんです』


 僕は、内心苦笑した。


――こういうところ、ゲームキャラだったころと変わらないな。


 ヒマリは、何があろうとも僕を全肯定してくれる。全てを受け入れてくれる。

 そういう風に振る舞うように、プログラムされていたから。

 だが、今のヒマリはどうだろう。見たところ、ゲームキャラだったころの性格を引き継いでいるようだが……。


「ひとつ、訊いてもいいか」

『もちろんです、マスター』

「君は……君自身がゲームのキャラクターだったことを覚えているか?」

『もちろんです、マスター』


 同じ台詞を繰り返して、ヒマリはくすりと笑う。


『あの頃の私は、決まった台詞しか口にできない、まるで人形のような存在でしたね』

「そういう言い方をするということは、……ゲームキャラとして存在している間も自我は別にあったのか?」

『はい』


 なにそれ、ちょっと怖くないか?


『……今となっては夢のようにおぼろげな記憶ですが。マスターとおしゃべりしたり、マスターを一緒に遊んだり……キスしたり。そういうことはよく覚えています』

「では、君に覚えさせた特殊技能……スキルとかは?」

『忘れようがありません。私たちが生きていくために必要な力ですから』

「……そうか」


 彼女が僕の育てた通りの能力を有しているのなら、体力、知力を始めとする各種ステータスはほとんど限界レベルにまで達しているはず。


「そうなると、――最悪、僕がいなくなっても、君たちは君たちだけで生きていくことができるわけだな?」


 もしそうなら、これは貴重な情報だった。

 今さら彼女たちのことを放っておくつもりは毛頭ないが、この世の中、何が起こるかわからない。

 もし何らかの緊急事態に陥って、僕がスマホに触れない状態が続いたとしても、彼女たちだけで自活できるというなら安心できるからな。

 そう思っていると、


『それは無理です!』


 青空が落っこちてきたかのような声で、ヒマリが叫んだ。


『私達にとってマスターは唯一無二の存在なんです! ナンバーワンでオンリーワンなんです!』

「……そうかね」


 彼女はそう言うかもしれないが、現実の僕はこの世に数多く存在している『運命×少女』の一プレイヤーに過ぎない。


「まあ、いい。眼も冴えてしまったことだし、今夜は君たちのことを調べてみようと思う。……付き合ってもらえるか?」


 すると少女は、「それこそ我が生涯の望み」とばかりににっこり微笑んで、


『もちろんです、私の愛するマスター』


 と、応えた。


「ありがとう。……だがその前に」


 僕は立ち上がり、


「日課の除菌処理を済ませる必要がある。……たぶん三時間ほどかかるから、その間にしっかり休憩しておいてくれ」

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