第7話 雄を求めるメカニズム

 日野陽鞠は決して、「誰もが眼を見張る」ような美少女ではない。

 惚れた僕の眼を通しても、わりと地味な部類に入る娘だと思う。


 フレームの太い、腫れぼったいデザインの黒縁メガネ。

 ふさふわした毛を雑に結っただけの髪型。

 いつも着ているぶかぶかのセーターは、姉のお下がりだという。

 そんな彼女に惚れ込んだ理由については、僕にとって最もプライベートな部分だから詳細を述べることはしないが、ざっくり説明すると一目惚れというやつだ。


 僕が教室に到着すると、いつもの通り一番に席に座っていた陽鞠が、鼻歌混じりにスマホをいじっているのが見えた。


「んー、んふふふふー♪ んふー♪」


 どうやら、今朝は随分と興が乗っているらしい。機嫌が良さそうだ。

 ちらりとスマホを見る。豪姫がでっかく『さあいきなさい ゆうしゃよ いくのです』と書いた張り紙を掲げていた。


――やれやれ。


 さすがに、ここまでお膳立てされてはな。

 学生カバンを机に置き、そっと陽鞠の背後に立ち、


「やあ、おはよう」


 と、声をかける。

 すると陽鞠は「びくっ」と肩を揺らして、少し慌てた様子で顔を上げた。


「あ、あ、あ、ああ。お、おはようございます、先光くん」


 どうやら、驚かせてしまったらしい。


――何かまずかったか?


 と、頭の隅で考える。

 あるいは、クラスメイト間であっても暗殺者のように背後からトツゼン話しかけるのはマナー違反なのかもしれない。


「邪魔したかな」

「え? ……いいえ別に、邪魔だなんて。でも、急に話しかけられたものだからびっくりして……」


 今の陽鞠は、誰の目に見ても明らかに緊張状態にあった。

 やはり、普段教室でしゃべらないやつに話しかけられるとこんなものか。

 だが、その点抜かりはない。僕はここに来るまでの間に買ってきたパックのレモンティーを差し出し、


「これをあげよう」


 と、彼女の机に置いた。


「えっ、えっ、えっ? なんですか、急に?」

「好物なんだろう? 昼休みにこれを飲んでいるのを見たことがある」


 餌付け作戦。――少なくとも『運命×少女』のキャラクターであれば、こうするだけでてきめんに効果がある。


「えっ。……ああ。それは、……まあ……」


 だが、予想に反して陽鞠の緊張が解けることはなかった。むしろ、ストーカーを目の前にしているかのような表情で顔を強張らせているではないか。


「さすがに受け取れませんよ。理由もなしに」

「……しかし、僕はこれを飲めないんだが」

「飲めない?」

「ああ。僕は決まったレーベルの水しか摂取しない。この手のジュース類は生まれてこの方、一度も飲んだことがないんだ」

「あ……そ、そう……なんです……か……」


 む。

 これはあるいは、俗にいうところの”ドン引きされている”という状況ではなかろうか。

 何が原因なのだろう。

 わからん。

 わからんが、少なくともこのレモンティーは引っ込めたほうが良さそうだ。


 どうやら出だしに失敗したらしいと察しつつも、もはや引き下がるわけにはいかない。

 僕はやむなく、


「ところで日野さん。悪いんだが今から人通りの少ない場所に行くから、付き合ってもらえないだろうか」


 と、本題を切り出した。


「人通りの……少ない?」

「うん。ちょっと話したいことがあるんだ」

「なんです? ここではできない話なんですか?」

「ああ。ちょっと外聞をはばかることだから」

「はあはあ。がいぶんを……でも私、……」


 陽鞠は視線を宙に彷徨わせ、明らかに断る理由を探してから、


「これから、ごうちゃんと会う約束がありますし」


 と、少し無理のある嘘を言う。

 ”ごうちゃん”というのはつまり、豪姫のことだろう。約束しているはずがない。何せ豪姫は今、――僕のポケットの中にいるのだから。

 僕は素早く、蜘蛛が獲物を捕らえるように言った。


「残念だが、豪姫は学校に来ない」

「来ない?」

「ああ。あいつはしばらく、休学すると言っていた。上水流かみずる先生にも連絡済みだよ」


 ちなみにこれは嘘ではない。ここに来る前に、豪姫の代わりにクラス担当の教師に休学する旨、すでに連絡しておいた。

 休学届も豪姫の代わりに提出するつもりでいる。


「えっ。……なんでそれを先光くんが知ってるんです?」

「ちょっと色々あって」

「……理由を応えられないんですか?」


 僕は口元にちょっとだけ皮肉な笑みを浮かべて、


「ひょっとすると豪姫とは、もう二度と会えないかもしれないな」

「に、二度と、ですか?」

「うん。……少し、事件に巻き込まれたらしくてね」


 ずいぶん後になってから気づいたのだが、この辺の会話は若干、誘拐犯のそれを匂わせていたように思う。


「そんなぁ……」


 先ほどまでのご機嫌はどこへやら。陽鞠の目にはもはや、ちょっと涙が浮かんでいる始末であった。

 果たしてこのままの流れで告白しても良いものか。

 検討もつかない。


――ここはいったん会話を打ち切って、豪姫に相談を……。


 とも思ったが、猫型ロボットと共依存関係にある眼鏡小学生じゃあるまいし、トラブルが起こればすぐ彼女に泣きつくというのもずいぶん間の抜けた行為に思えた。

 それとなく、教室を見回してみる。

 いまこの場所にいるのは、僕と陽鞠だけ。

 いつもならあと五分ほどすれば六車むぐるま涼音すずねあたりが登校してくる時刻なはずだ。


――あと、五分か。


 できればひと目のないところで、ゆっくり時間をとってから話したかったのだが……こうなってはやむをえまい。早口で話せばなんとかなるか。


「なあ、日野さん」

「な……なんでしょう?」


 そして僕は、いつも持ち歩いているミニサイズの家計簿を取り出して、


「これを見てほしいんだ」


 と、陽鞠の机に並べた。


「へ……? なんです、これ?」


 陽鞠は、そこに書かれた数字の羅列を、まるで何かの暗号でも読み解くような表情で見る。

 僕は、表の一部を指し示して、


「これが、僕が所有する全財産だ」

「……はあ」

「当たり前だけど、僕が稼いだ金じゃない。いわば、親からもらった”お小遣い”ってところだな」


 陽鞠は、「突然何を言い出すんだろう」と顔に書いたまま、提示された家計簿を眺めた。


「……結構、たくさん持ってるんですね。先光くんって、お金持ちなんですか?」

「そこまで恵まれてる訳じゃあない。……これはいわば、親が僕にくれた”一生涯分”の小遣いだからね」


 手切れ金とも言うが、その言葉は伏せておく。


「中一の入学式の朝、目が覚めたら枕元に現金の入ったプレゼント箱と、『海外に移住します。金と家をあげるので、うまいこと生きていって下さい。二度と私たちに関わらないで下さい』という書き置きがあったんだ」

「うはあ……そりゃあなんとも、ソーゼツですね……」

「うん。わりと壮絶なんだよ」

「へえ……」

「……で、なぜそれを私に?」


 そこで僕は、いったん深呼吸して、


――異性として好意があることを伝えるんだ。


 豪姫のアドバイスを思い出し、


「……ごほん」


 とりあえず咳払いを一つ。

 そして、なるべく正気に見えるよう、最大限注意をはらいながら、口を開いた。


「わざわざこんな書類を用意した理由は、他でもない。……日野陽鞠さん。できれば僕と、結婚を前提に付き合ってほしいんだ」


 よし、噛まずに言えたぞ。

 ポケットのスマホから『ちょwwwwwwそれはwwwwwさすがに草生えるwwwwww』とかいう声が聞こえた気がしたが、いまは無視。


「へ……? け……っこん……?」


 一応、勝算がないわけではなかった。

 乙女心に関してはほとんど素人同然の知識の僕であるが、雌が雄を求めるメカニズムはわかっている。

 要するに――求愛した雄に、その雌を支える生活能力があるかどうかだ。


 確かに僕は、満足に外も出歩けないような性質かもしれない。当然、将来的に就ける仕事も限られてくるだろう。……だが、もし陽鞠が婚約してくれるというのであれば、生活に不自由させないための努力はするつもりでいる。


 陽鞠は、滔々と将来設計について語る僕を、クラゲの内臓でも眺めているかのような目でじっと見つめていたが、やがてそれが何かのジョークの類でないことを悟ると、ぱっと顔全体を赤らめた。


「え? え? え? ……それ、本気のやつですか? 爆笑ギャグの練習とかでなく?」

「無論だ。僕は君が好きだ。君の顔も、君の性格も、君の服装のセンスも含めて、ぜんぶ好きなんだ。ぜひとも一生を添い遂げたいと思っている」

「ふ、ふ、ふくのせんす? いつも制服なのに?」

「一ヶ月ほど前、商店街を歩いている君をたまたま見かけたんだ。あの時は確か、胸にでっかいうさぎさんの絵が描かれた服を着ていたよね」


 言いながら、軽く落とし穴に片足を突っ込んでいることに気づく。


――さすがに今のはちょっと、ストーカーっぽかったか?


 だが、反省する暇があるなら言葉を重ねた方が効果的だと思い直す。


「……そういうわけだから。僕の気持ちを受け入れてくれると大変嬉しい」


 そう、締めくくりの言葉を述べると、陽鞠は一瞬、思い切り椅子から仰け反って、


「……ご」

「ご?」

「ご、ごご、ごごごごご………」


 数百年前に封印されたゴーレムが地響きとともに再び動き出す……的な音だなあと、半ば他人事のように思って。


「ご、ごめんなさいちょっと考える時間をくださぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああい!」


 そう叫び、蹴飛ばすように席を立ち、登校してきた女生徒数人に激突したりして、走り去っていく。

 僕はというと、呆然とその後ろ姿を見守っていることしかできなかった。

 しばしその場で立ち尽くしたまま、小さく、「ふむ」と鼻を鳴らす。


 もちろんこれも、予想された事態であった。

 覚悟はできていた。

 何も、問題はない。

 だがなぜだろう。

 なんだかちょっと、泣き出したいような気分になっているのは。

 僕はポケットの中からスマホを取り出して、


「何かまずかったか」


 小声でそう訊ねると、豪姫が裸体をくねらせて、腹を抱えながらベッドの上で悶絶している様が見えた。

 それから、彼女が落ち着くのを待つこと、数分。

 ぜいぜいと肩で息をする彼女が言うことには、


『……ちょっとだけ想定外だったけど、問題はないよ。今回大切なのは、陽鞠にオメーの存在を意識させることだからな』

「だが……逃げられてしまったぞ。しかも絶叫していた。絶叫した上で逃げられてしまった」

『ばか。それくらいでテンション下げてるんじゃないの』


 陽鞠は唇を斜めにして、


『勝負はまだ一回の表さ。……今日オメーは、やっとスタート地点に立てたんだぜ』


 ……そうか。

 今となっては、その言葉だけが救いだが。


 しんと静まり返った教室に、恐らく僕に関するものであろう、女生徒たちのヒソヒソ声だけが聞こえていた。

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