第6話 ぼくたちのルール

 その後、僕と豪姫はいくつかのルールを取り決めた。


 ひとつ。周囲に人の気配がある時は、なるべく会話をしないこと。

 ふたつ。周囲に人の気配がない時であっても、大声で会話しないこと。

 みっつ。万一僕達が会話しているところを誰かに見られた場合は、豪姫はゲームキャラクターのふりをすること。

 よっつ。その際、おっぱいはできるだけ見えないようにすること。

 いつつ。特に、乳パッドは常に身近に用意しておくこと。

 むっつ。以上のルールを守るなら、先光灰里はスマートフォン(IN狩場豪姫)を持ち歩くことを認める。


『うんうん。……細かいとこいくつか気になることがあるけど、だいたいおっけー』

「そうかい。そりゃ良かった」


――これで、一先ず安心して授業を受けられるな。


 と、安堵しつつ時計を見ると、すでに家を出る時間が迫っていた。

 丹念に除菌された廊下を通って、毎日ピカピカになるまで磨いている革靴を履く。

 絹の手袋よし。

 ウェットティッシュよし。

 除菌スプレーよし。


『……灰里って、いっつもこういうの持ち歩いてるわけ?』

「もちろんだ。この世界はあまりにも不衛生過ぎるからな」

『フーム』


 豪姫は何か考え込んでいる様子だったが、付き合っている余裕はなかった。

 今日も一日、厳しい戦いが始まるのだ。


「よーし……じゃ、いくぞ」


 嘆息して、「えいやっ」と気合を入れながら、通学路へと一歩踏み出す。

 相変わらず、外の世界は薄汚い空気が充満していて。


「……むう」


 もうそれだけで、吐き気を催してきた。

 ロールプレイングゲームとかでよく、“歩くごとにダメージを受ける床”というものが登場するが。――僕にとって外の世界はどこも、“ダメージ床”である。


『おいおいおい。なんかオメー、顔が見る見る土気色にグラデーションしてるけど、マジで大丈夫なのか?』

「いつものことだ。心配するな」

『……オメーもたいがい、難儀な性質だな……』

「別に同情してもらいたい訳じゃない」


 吐き捨てるように言う。


「でも、時々夢に見ることがあるよ。……世界中にアルコール消毒液をばらまいて、いったん隅々まで滅菌処理を行えば、世界はきっと平和になるはずだ、って」

『なにそれ怖い。世界終焉の光景か?』

「……ふん」


 口の減らないやつだ。

 それから、通学路を半分も歩いた頃だろうか。

 周囲に人の気配がないことを見計らって、再び豪姫が口を開いた。


『ところで、例の案件なんだけどさ?』

「案件って、どの件だ」

『嫌だなぁダンナ。忘れてるわけじゃないでしょ。――陽鞠のことだよ?』


 ああ、それね。


『言っとくけどあたし、女子の間じゃあちょっとした人生相談のプロフェッショナルとして有名なんだぜ。キューピッド役なんてお手のモンよ』

「……頼りにしてるよ」


 内心では特に期待を込めずにいう。


「……だが、あまりく必要はないぞ。僕だって無理難題だってことはわかってる」

『そーいう訳にはいかんぜよ。借りはさっさと返すのが性分だからね』


 性分、ねえ。


『そんでさ。あたし的に、ちょいとばかし作戦を練ってみたわけ♪』

「……聞こうじゃないか」

『ふっふーん♪ お任せあれ!』


 すると、豪姫は満面の笑みで一冊の紙束を取り出した。表紙には『豪姫ちゃんの恋愛攻略本 ※社外秘』の文字。


「いつの間にそんなものを」

『紙とペンを見つけたからさ。今朝、ちょいと早起きしてね』

「そうだったのか。……なんだか悪いな」

『いいってことよー』


 その後、得々として語り始めた豪姫のご高説を承るに、陽鞠と僕が良い仲になるのは、そう難しいことではないらしい。


『何せあの娘は、オメーみたいなぼっちで変人で偏屈で非コミュな野郎でも、別け隔てするタイプじゃないからね』


 ふん、と僕は小さく鼻を鳴らして、


「言っておくが、僕がクラスであんまりしゃべらないのは、決してコミュニケーション能力がない訳じゃなくて、その必要がないからで――」


 すると豪姫は、


『アッハッハ。けっさく』


 と、腹を抱えて笑った。


『そーいうやつを非コミュっていうんだろ。フツーのやつはな、必要だからとかそうでないとか、そういうの考えずに自然に人としゃべるモンさ』


 ぐぬ。

 非常識な格好をしているやつに、常識を諭されてしまった。

 この屈辱、一生忘れまい。


「それで、――僕は具体的に何をしたらいい?」

『大したことじゃない』


 豪姫は、不幸な境遇の娘を目の前にした魔法使いのおばあさんのように自信満々だ。


『オメーは今日これから、陽鞠に……それとなくでいい、異性として好意があることを伝えるんだ』

「ふむ。……ふむ?」


 首を傾げる。


「それつまり、告白しろってことか? 今日?」

『やり方は任せる』

「しかし……いくらなんでもそれ、急すぎないか? 普通そういうのって、もうちょっと外堀を埋めてからするもんじゃあ」


 すると豪姫は、この反論については予習済み、とばかりにすらすらと応えた。


『陽鞠はね、とくに恋愛沙汰にはとんと疎い娘だからさ。あの娘、顔は可愛いし性格もいいのに、自己評価が低いんだろーね。誰かに好かれるってことに慣れてないのさ』

「ふむ」

『だからあんたは、がつーんと最初に自分の立場をはっきりさせておく必要がある。そーでもしねえと、いつまでも平行線のままだよ。……賭けても良いけど、あんたが現状維持のまま正攻法で行くっていうなら、高校卒業するまで頑張って、ようやく友達止まりってとこだな』

「ほうほう」

『いいかい? 今の灰里は、陽鞠にとってはその辺に転がってる石ころと変わらないんだ。そんな状態じゃ、どんだけアプローチをかけたところで効果的じゃないのさ』

「なるほどなるほど」

『最初にしちゃあハードルが高いと思ってるかもしれないけど、ここだけ頑張りゃ、あとはトントン拍子よ。さっきも言ったけど、陽鞠は優しい娘だからね。そーいう娘は、自分が誰かを好きかどうかって感情よりも、誰かが自分を好いてくれるって感情を優先するモンさ。――だから、頑張りな』

「…………ほほぉー……」


 いつの間にやら、ものの見事に説得されている。

 人生相談のプロフェッショナル(笑)は伊達じゃない。豪姫の言葉には、異様な説得力があった。話もずいぶん、論理的に聞こえる。


「……よし。わかった。やってみよう」


 すると豪姫は、必要なことは十分話した、とばかりに手を振って、


『ガンバレー♪ あたしはここで見守ってるよ』


 との、心強いお言葉。

 僕は嘆息しながら、遠目に見えてきた我が母校を見上げる。

 昨夜に引き続き、今日もハードな一日になりそうだった。

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