第2話 その名はカリバちゃん
――
僕はこの名前と顔を、同じ私立高校に通うクラスメイトとして記憶している。
普段から交流がある訳ではなく、道ですれ違えば挨拶をする程度の関係だ。
そんな彼女が今、僕の手のひらの中で、腕をぶんぶん振り回しながらギャーギャー叫んでいる。しかも、一糸まとわぬ姿で。
なんだか妙な気分だった。
『どーいうことだオメー! しょーじきずっとイカレたやつだと思ってたけど、……これ、拉致監禁ってやつだろーが犯罪だろーが! 思春期だからってエロもほどほどにしないと、警察に捕まるんだぞっ!』
「悪いが、こちらには全く身に覚えがない」
率直に言うが、
『嘘つけ! なんかの邪悪で淫猥なオモシロ企画が現在進行中なんだろーが!』
どうやら聞き入れてもらうのは難しいらしい。
『……よーし、こうなったらオメー、ちょっとこっちまで来い! あたしと勝負しろ! テッテーテキにボコってやる!』
やれやれ。元気がいいやつだ。
――あるいは全部、何かのいたずらか?
そうも思ったが、人知れずスマホに細工をする技術者がこの世に存在したとして、ここまで大掛かりな真似をする理由がわからない。
「なあ、豪姫。ひとまず落ち着いてくれ。混乱しているのは僕も同じなんだから――」
こちらとしては、あくまで理性的にこの問題に向き合いたい考えだが、
『嘘つけこのぼけーっ! ゆうかいまーっ!』
向こうは取り付く島もなかった。
それから、我慢強く彼女を説得することおよそ十数分。
『ぜーっ。ぜーっ……あーっ……もーっ……大声で叫びすぎて……』
豪姫は泣き疲れた赤ん坊のように、ばたーんとベッドへと倒れ込み、
『へこたれたーっ』
と、大の字になる。
そのはしたなさたるや、思春期真っ盛りの僕ですら目を背けたくなるような有様だ。
――これがゲームなら、服を着るよう命ずることもできたのだが。
独りでどぎまぎしていると、豪姫は琥珀色の目を少し細めて、
『……ほんとにオメー、何が起こってるか心当たりがねえのか?』
と、そこで初めて、こちらに歩み寄る姿勢を見せた。
「もちろんだ。むしろ、こっちが狐に化かされたような気分だよ。本当に、何かの悪ふざけのつもりじゃないだろうな?」
『当たり前だろ。……ってか、べつに仲良くもないオメーに、なんで悪戯を仕掛ける必要があるってんだ』
「まあ、道理だな」
少なくとも、下手な嘘をついているようには見えなかった。
狩場豪姫はどうやら、わりと直情的なタイプらしい。
そんな彼女が、ここまで手の込んだ演技ができるとも思えないし。
と、なると。
――彼女を誘拐した人間がどこかにいて、ついでに僕のスマホに細工をした……? しかし、どういう理由で?
腕を組み、ウムムと考え込むが、どうにも答えは見つからない。
やむなく僕は、思考をいったん「彼女の話を全て鵜呑みにする」方向に切り替えてから、
「というか、なんだって君はそんなところにいる?」
『しらん。なんかいつの間にかここにいた』
「そこは……どこだ?」
『わからん。どっかのホテルみたいな内装の部屋だ。ちょっと使い方がよくわからん機械とかもあるけど、全体的にすっげー豪華。VIP待遇ってやつ?』
――まあ、そりゃそうだろうな。
その部屋はどうやら、僕が『運命×少女』で遊ぶ上で配置した家具を忠実に再現しているらしい。
ということは、考えうる限り最高級の家具が一式取り揃えられていることになる。もちろん、SF映画に登場するようなアイテム類はどれもハリボテだろうが。
「なんとかしてそこから外に出られないのか?」
『どーだろ。まだちゃんと調べられてない。どーやらここ、結構広いみたいだから』
……ふむ。
しかし、本当にこの施設がゲームと同じ間取りなら、一箇所だけ出入り口があるはずだが。
『もう、こうなったら壁をぶち破ってやろーかな』
「やめておいたほうがいい。たぶんその方法では出られない」
『……なんでわかる?』
「君が今いるその場所は、――設定上、地下深くに存在していることになってるからな。きっと出入りは、転送装置……的な何か。恐らくそれを模したエレベーターとかで行われるんじゃないか?」
『なんだそれ。……設定? てんそー?』
予想はしていたが、彼女は『運命×少女』について何も知らないらしい。
「君がいるそこは、どうやらゲームの世界、……あるいは、そこを忠実に再現した場所らしい」
『はあ?』
豪姫の形の良い眉が、綺麗な曲線を作った。
『何言ってんだオメー。アニメの見すぎじゃねえのか?』
「だが、他に表現のしようがない。実際僕には今、君がスマホの中にいるように見える」
『マジか。ほえええええ。……そんじゃ、さっきの娘も』
「ああ。ゲームのキャラクター……あるいは、彼女のコスプレをした人……ってことになるな。もしコスプレなら、どういう理由でそんな真似をしているかわからんが」
『にゃるほどねぇ~』
そこで豪姫は、ぬうっと顔をスマホ画面に近づけて、こんこんと叩いた。
――ん?
気のせいか、それに合わせてスマホの画面も震えたような……。
それはまるで、本当の意味でスマホの中の世界に豪姫が存在しているようにも見えて……。
――まさかな。
「ちなみに、そっち側からこっちはどう見えてる?」
『なんか、部屋の一角にでっかいカメラのレンズみたいなのがあって、……そっから巨人みたいなオメーがこっちを見下ろしてる……感じ?』
「巨人……?」
言いたいことの意味はわかるが、いまいちイメージが掴めんな。
『もっと他に言い方があるんかもだけど、しょーじき、あたしにはそうとしか説明できないなぁ』
「……ふーむ」
どうやらこれは、僕の……というか、一般的な常識を遥かに逸脱した事態のようだ。
――いつもなら画面右下に表示されているはずの『MENU』の文字がないな。……やはりこれは、『運命×少女』とは似て非なるシステムのアプリケーションらしい。
頭の片隅でそう思いながら、何の気なしに豪姫の身体に指を置く……と。
……むにり。
「――むっ?」
『うひゃあっ!』
僕の指先に、なんとも言えない、生暖かい感触があった。
「――????」
気のせいかと思って、もう一度画面に触れてみる。
むにり。
『どひゃあっ!』
「……なんだと?」
『オメーいまっ……何しやがったっ? なんか、念力みたいのに触られたような……おおおおおっ!?』
どうやら気のせいではないらしい。僕の指先からスマホの画面越しに、はっきり何かに“触れた”という実感があったのだ。
二度、三度と同じ動作を繰り返し、
『うひゃっ、ちょ、やめ、うひゃひゃひゃひゃ! うひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!』
狩場豪姫がけらけらと笑い始めたのを見て、ぞわぞわと全身に鳥肌が立っていく。
「な……なんだこれ、どうなってる……っ!
確かに『運命×少女』には、画面内のアイテムやキャラクターにタッチすると反応する機能がある……が。
――どういうことだ、これは。
それはまるで、時空を超越して遠く離れた物体に影響を与えているような……。
ってか、これ。
現代の科学技術を軽く超越してないか?
『わかった! わかったからもうやめっ、やめい!』
ぴしゃりと叱りつけられて、僕はようやくこれが、”一般常識を逸脱した事態”をさらに何段階か上回った、奇妙奇天烈極まる物語の始まりだと確信したのである。
そこで僕は、一旦スマホをテーブルに置き、――
『お、おいおい! 置いてくなよお!』
と、悲鳴を上げる少女を尻目に部屋を出て、本日二度目のシャワーを浴び、キッチンで熱いブラックコーヒーを淹れた後、
『あ、おかえり』
「……ただいま」
――じっくりと腰を落ち着けてから、ことにあたるのを決めたのだった。
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