スマホアプリ系少女 カリバちゃん ~ぼくのヒロインは無課金アバター(全裸)~

蒼蟲夕也

第1話 スマホの中の少女

 日課のアルコール除菌により廊下を三時間ほど消毒してから部屋に戻ると、世にも奇怪な現象が起こっていた。


『おーい、誰かいないのかぁー? 出てこーい』


 僕の部屋から、何者かの声が聴こえるのだ。

 これは尋常ならざる事態である。なぜなら僕は、このだだっ広い一軒家(庭つき5LDK)にたった独りで暮らしているためだ。


「はてな?」


 と、独り言ちつつ、部屋を見回す。

 僕の知る限り、僕のパーソナルスペースにおいて、僕の許可なく音を発するデバイスはたった一つだけ。

 スマートフォンである。

 僕は勉強机の真ん中に宝物のように置かれているそれを、そっと拾い上げた。


「……何かの拍子に電源が入ったのか」


 起動しているのは、――『運命×少女』というアプリケーションである。

 キャラクター育成要素のある、所謂“美少女系”に分類されるゲームだ。


「なにかのイベントでも始まったかな」


 呟くと、


『んー? 誰かいるのか?』


 そしてドタドタと駆け回る音。声の主は女らしい。

 一瞬その、元気のいい声に聞き覚えがある気がする。だが具体的にどこの誰かまでかは判別できなかった。


『おーい! おーい! あたしはここだぞー。……あれー? どこー?』


 どうやら、少女は見当違いの場所を行ったり来たりしているらしい。ゲームキャラにしてはどうにも間が抜けているように見えるが……。


「……ここだ」


 声をかけてやると、


『ってか、オメーからこっちに来いよ! なんなんだオメーっ!』


 この手のゲームのキャラらしからぬ、感情的な言葉が返ってきた。


『ここどこなんだよっ! オメーひょっとして、変態の誘拐犯とか、そういうヤツか? 冗談じゃねえぞ!』

「……………?」


 どうにも話が見えてこない。

 ゲーム世界の出来事とはいえ、得体の知れない相手に得体の知れない理由で罵倒されるというのは、あまり気分が良いものではなかった。

 

――ゲームが壊れているようにはみえない……、が。


 4.7インチのディスプレイが映し出しているのは、現代よりも遥か未来において、人工的に生み出された少女たちが暮らしている……という設定の一室。

 

 食料生成システムフード・ジェネレーター。――よし。

 酸素生成システムオキシジェネイター。――問題なし。

 最高級の寝台。――よし。

 感情調整システムムードオルガンに、小型の掃除ロボット。

 全身を分子レベルで洗浄するレーザーシャワー室に、ゴミを分解・再利用するダストシュート。


 ……と、そこまで考え到って、今の『運命×少女』には決定的に足りない点があることに気づいた。

 ゲームのタイトルにもなっている、“運命少女”。――この場合は、“ヒマリ”と名付けたキャラクターである。

 今のゲーム画面には、ヒマリが表示されていない。いつもならゲームを起動すると、子犬みたいに画面前に移動してくるはずなのに。

 

「……ヒマリ? どうかしたのか?」


 室内は今、がらんとした状態だ。

 

「どういうことだ……?」


 あるいは、ゲームのシステムに何らかの異常が発生しているのかもしれない。

 しかし、ゲームがおかしくなっているとしても、このような現象が起こるなどという話は聞いたことがなかった。

 僕は慎重な手つきでスマホをタップし、画面を操作する。

 すると、ちょうどさっきまで死角だった位置に、ガタガタブルブルと震えているヒマリの姿が見えた。


「おい、どうした?」

『くすン……うう…………ううう……』


 画面を操作し、少女を拡大する。どうやら泣いているらしい。


「しっかりしろ、ヒマリ。何があった?」


 しょせんゲーム世界の出来事だと頭の片隅で思いつつ、声をかける。


『うう……ううう……ますたぁ……』


 助けを乞うようなその声に、図らずも驚かされた。

 これまで一度も見たことのないモーション。聞いたことのない台詞。

 そして感情たっぷりに見つめる、涙で濡れた藍色の眼。

 その時の僕には、彼女がまるで生きた人間のように思えたのだ。


「何が起こってる、――?」


 ヒマリに対する問いかけは、何者かのぷりんとした尻がスマホの画面いっぱいに大写しになったことで打ち切られる。


「な、なんだこれ!?」


 目を見張っていると、

 

『……おいっ。誰と話してる? 例の”マスター”とか言う野郎か?』


 尻がしゃべった。


『ひ、ひえええっ! お、お、お助けぇっ』


 ばたばたと足音を立てて、室外へと逃げていくヒマリ。

 その、次の瞬間。

 僕は決定的にありえないものを目の当たりにする羽目になる。

 ゆで卵のようにつるんとした尻が、……くるりとこちら側にひっくり返ったのだ。


「うご、おおおおおおおっ!?」


 素っ頓狂な悲鳴が上がったのも無理はない。

 そこにあったのは、紛れもなく保健の教科書でしか観たことのないアレで。


「なんちゅうもんを見せてくれるんや……、なんちゅうもんを……」


 柄にもない関西弁をつぶやきつつ、視線はスマホに釘付けになる。

 めまいを覚えながらも、

 

――そんな馬鹿な。


 ……と、思う。

 『運命×少女』は、中高生男子を中心に人気のあるコンテンツだ。

 それが……こんな、倫理に反する表現を行うはずがない。


「なにが……何が起こってる?」


 呟くと、画面いっぱいに先ほどのアレの持ち主の顔が現れた。えらく整った中性的な容姿が、敵意むき出しにしてこちらを睨んでいる。

 

『おいっ。どこの誰かは知らんが、どーいうつもりだっ! ……って、』


 そこで初めて、僕は”彼女”の顔を観察し、――

 瞬間、僕の驚きと混乱は最高潮に達した。

 それはきっと、スマホの中の少女も同様で。


『……あれぇーっ? オメーは……』

「……む。君は……」


 僕たちは、お互いの顔に見覚えがあったのである。


『ひょっとして、先光さきみつ灰里かいりか?』

「そういう君は、狩場かりば……豪姫ごうきさんじゃないか」


 それが始まりだった。

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