オータムグリーン
1
「なんでさ、日本のスクールはクローリクを育てるの?」
アレクの純粋な問いがウサギ小屋の中に響く。
「クローリクぅ?」
聞きなれない言葉に
異常気象だった今年の夏だが、その影響は今も続いていて、暖冬になると予報されている。けれど、十一月になるとやっぱり朝晩は寒くなる。二重窓の原理を利用して、小屋の改造と掃除を進めていたのだった。
本来ならばウサギ小屋の改修も飼育委員が中心になって行われるはずなのだが、どの生徒も部活を優先するせいで人手が足りないのだそうだ。
「なんでかほがわかるんだよ」
「教えてもらったんだよ。ねっ、アレク」
かほるがおっとりと笑いかけると「ターク」と外国風の相槌を打つ。そうだ、と言う意味らしい。
「ここの前のスクールでも、クローリク育ててた」
「そういえば、確かに小学校はウサギ飼ってるとこ多いよね。嵐志知ってる?」
かほるも今気づいたみたいに首を傾げる。
「知らねぇよ。食うためなんじゃねえの?」
冗談っぽく言うと、小屋の外で暖房用の藁を束ねる作業をしていた
「それ、あながち間違っちゃいないらしいぞ」
「マジで?」
「あぁ、なんでも戦争で……」
言いかけて、がじがじとやかましく金網を噛むハリーに目を向けた。
「こーら、ハリー。金網を噛むんじゃない。噛むなら嵐志の足にしとけ。そっちの方が美味いぞ」
「美味かねぇわ。つか、ウサギは肉食わんだろ」
「へぇ、ウサギが草食動物ってちゃんとわかってたんだな。エライエライ」
「んだこら」
「アラシ、リョウ。ケンカダメだよ。ユキたちが見てる」
柔らかいけどしっかりした声でアレクが二人を叱った。
逃げるようにアレクの足元にやってきたハリーの、丸っこい背中を優しくなでながら「ストレスになっちゃうよ。
嗜めるアレクに、嵐志も遼も口を噤んだ。
真冬とは嵐志のクラスの飼育委員だが、今この場にはいない。
梅雨の時期から次第に学校を休みがちになり、短い夏休みを挟んで、二学期の始業式に姿を見て以来、学校に来なくなってしまっていた。
「アレクはウサギ……クローリクが好き?」
「ターク」
足元にぴょこぴょこと跳ねてきた薄茶色のウサギの背中を、アレクは優しく撫でた。大きな耳が垂れたウサギは、ポチという犬みたいな名前がつけられていた。この古屋の古株で今年で三歳になる。
ポチの他にはあと四匹。合計で五匹のウサギたちが
真っ白な二匹の姉妹のユキとコメ。
全体的に小さい種類のチロル。
さっき金網を齧っていた白と黒の斑模様をしたハリーだ。
どのウサギたちも、喧嘩することなく穏やかに小屋の中で昼寝をしていることが多い。平和な反面、運動不足になりかねないため、たまに飼育委員がおもちゃで遊ばせなければならない。ウサギに限ったことではないが、ちょっとした肥満が後々の健康面に大きく影響が出るのだとか。
「ところで、小学校でウサギが飼われてる理由なんだけど」
改めて遼が話を戻した。
「戦時中の食糧として育てていた名残なんだってさ」
「えぇっ、そうだったの?!」
「じいちゃんが言ってた。ニワトリ育ててるとこもそうらしいぞ」
「なんだそのクソみたいな理由」
「でも、戦争中って食べるもの全然なかったっておばあちゃんも……あっ、」
かほるがしまったというみたいに口元に手をやった。その場にいた誰もがはっと息を呑んでアレクの方を見た。
一気に注目されたアレクも、また気まずそうに視線を下に向けていた。けれどすぐに顔を上げて、弱ったみたいに笑って、胸の前で両手を振ってみせた。
「大丈夫だよ、気にしないで」
「でも……」
「すまんアレク、俺……」
かほるは悲しそうに瞼を伏せ、遼も髪を掻く。
けれどアレクはもう一度「わかってる、大丈夫だよ」と言って小さなチロルを抱き上げた。話題を打ち切るような素ぶりだった。
日本に来てまだ一年も経っていないのに「大丈夫」という言葉は、どの言葉よりもやけに流暢だ。それは、アレクが今まで言い続けてきたからだろう。
アレクセイ・シュヴェーツィ。
日本人とかけ離れた金色の髪に緑金色の目をした彼は、今年の五月ごろにに嵐志たちのクラスに転入してきた。
日本にいるという母方の祖父母の家に引っ越してきたという彼の故郷は、ウクライナのキーウ。
アレクは、ウクライナ難民だった。
*
ウクライナは、現在大変なことになっている。大変なことというのは、ウクライナとロシアとの戦争だ。
西暦二〇二二年二月、ロシアがベラルーシ、ドンバス地方、クリミアの北、東、南の三方向から攻撃を開始。ウクライナへ侵攻を始めた。欧州では第二次世界大戦以降、最大規模の軍事攻撃であり、犠牲者は増え続け、多くの人が故郷を失った。
最近はどのニュース番組でも連日報道されている。「戦争」とは誰も言っていないけれど、テレビで流れてきた映像は、嵐志たちにとっては戦争そのものだった。
そんなウクライナから、アレクはやってきた。
アレクの前で、戦争に関わる話をするのは適切ではなかった。
なんて言っていいのかわからず、口を閉ざす嵐志たちに、アレクは少し困ったように眉を寄せて首を横に振る。
「大丈夫だよ、気にしないで。戦争やってるのは、ほんとうのことだから……ほら、チロル。ユキたちのとこへお行き」
チロルを地面に下ろして、早く終わらせよう、とやんわりと笑みを浮かべて嵐志たちの方を向けた。
その後、黙々と作業を続けていた四人だったが、よっこいせ、と遼がオッサンみたいな掛け声を発して、全員一気に吹き出した。
「なに今の?!」
「遼いま狙ったろ!」
「狙ってねぇよ! 悪かったな!」
ポチを持ち上げて横に下ろす。掛け声の原因は、ポチが膝の上に乗ってきたからだったらしい。
「あいっかわらず重いなお前」
「遼、ポチは女の子だよ。重たいなんて言っちゃダメ」
遼の独り言に、間髪入れずにかほるが叱責する。へいへい、と怠そうに返事をする遼の横で、女の子なんだ、と嵐志は思ったが口には出さなかった。
「もう、こっちおいでポチ。食べられちゃうよ」
「食わんわ」
「クローリクはウクライナでは食べなかったなぁ」
「日本でも食べないよね?」
「でも昔は食べてたってテレビで見たことあるぞ。あとは、毛皮」
ケガワ、とアレクが呟く。
これだよ、とかほるがチロルの背中を軽く撫でると「あぁ、フートロ」と納得したようにアレクは手を叩く。
「まーた新しい単語が出てきた」
アレクが日本語を覚えるたびに、嵐志たちは新しいウクライナの言葉を知る。それが半年近く続いて、嵐志のクラスでは簡単なウクライナ語が飛び交うようになっていた。
挨拶、ちょっとした単語、感嘆符。
それでも、まだまだ知らない言葉がたくさんあるのだ。
「うさぎから、フートロを奪うの?」
「うさぎの毛皮はあったかいからな」
と、ここで遼は首を振って「だから、この話はやめようって言ってんじゃんか!」と打ち切った。
今、遼の膝の上ではポチが溶けるように寝そべっている。ここまで懐かれると、やっぱり情は出てくるもので、うさぎたちの前で食べたり毛皮を取ったりする話をするのは如何なものかと思ったらしい。
服についた毛を手で払って落としたあと、二枚の板の間に藁を詰めていく。二重窓は保温性が高い上、藁を詰めることでさらにあたたかくなる。天然の断熱壁になるわけだ。
ハリーがいつの間にか
「あー、こらこらお前ら、食うんじゃないっての」
「ほらほら、ハリー、みんな〜、こっちにおいで〜」
餌の入っている袋を、かほるが出して見せると食いしん坊のハリーはすぐに釣られて彼の方に跳ねていく。それでもユキたちは嵐志の周りにうずくまったままだった。コメなんか、でろんと腹這いになって今にも寝そうだ。
「よーしよし、もうちょいであったかくなるからなぁ」
膝の上に乗ってきたユキも、コメ同様に眠たそうに目を閉じる。一通り藁を詰め終えたアレクが嵐志の隣にしゃがみ込み、コメの背中を撫でる。すぐにアレクの膝にチロルが移動する。すっかり懐かれているようだった。
「チロルはあったかいねぇ」
腕に抱きかかえたチロルを愛おしそうに撫でて、アレクは目を細めた。
「ユキもコメもあったかいぞ」
「このまま抱いていたいね」
アレクがうさぎを抱いている様は絵になるくらいに綺麗だ。美意識もそこそこな嵐志でもずっと見ていられるくらいだった。悔しいが、嵐志や遼やかほるが同じことをしても、こんなに綺麗にはならない。生まれ持ったものが違いすぎる。
同じ小学生とはいえアレクは背も高くて大人びた顔立ちをしているから、よく中学生や高校生にも間違われることが多い。
よしっ、とかほるが手を叩いて立ち上がった。
「湯たんぽ作ってくるっ、遼、手伝って」
「俺ぇ?」
「手が足りないんだよ、五匹分作るんだから。嵐志、あとお願いね」
遼の上着を掴むと、かほるはぐいぐいと引っ張ってうさぎ小屋から出て行った。
二人の姿が見えなくなってから「ユタンポってなに?」とアレクが首を傾げる。
「そっか、湯たんぽってウクライナにはないんだっけ」
きょとんとした表情で、こくんと頷く。
「陶器の入れ物にお湯を入れて温まる方法だよ。ちょっと重たいカイロみたいなもんだな」
「あったかいの?」
「そっ。寝る時にベッドに入れとくと最高」
「クローリクにも使っていいの?」
「お湯だから全然危なくないんだ。電気も熱も使ってない。うさぎを抱いてるみたいにあったかい」
へぇ、と感心したように息を漏らした。
「それなら、チロルたちも寂しくないね」
「……寂しい?」
「ターク。体があったかいと、ここもあったかい」
そう言いながら胸をとんとんと叩いて、やわらかく微笑んだ。
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