僕はアメを愛す

真摯夜紳士

僕はアメを愛す

 辛いことばかりが人生じゃない。世の中は鞭と飴で回ってる。

 どちらか一方に偏っていたら、きっと生きてはいけないだろう。


「や、やった。やってしまった……」


 都会とも田舎とも言えない県の住宅街。元は畑で今は空き地。草むらが縦横無尽に生い茂る、家々に囲まれた広い原っぱ。


 そこで僕は、人を殺めた。

 

 馬乗りになっていた体を無理矢理に立たせる。十六年間の人生で、これまでにないほど膝は大笑いしていた。それとは対照的に僕の顔は青ざめていく。

 相手の胸元に突き刺さった包丁は、ピクリとも動かない。

 それは、そうだ。息をしていないんだから。


 どうしよう。どうしたらいい。もし、誰かに知られたら。

 少年院。前科持ち。暗く閉ざされた未来。


 僕は今にも泣きそうな灰色の空を見上げる。自分の犯してしまったことに対しての懺悔ざんげと、これで良かったんだという確信がせめぎ合う。どちらが白で、どちらが黒い心なのかは分からない。


 いつの間にか、荒々しかった呼吸が整っていた。

 冷静ではいられないけれど、動揺もしていない、不思議な感じ。

 周囲の民家は、どこも窓を締め切っていた。一つずつ確認していくと、大半がカーテンで覆い隠されている。

 細い土道だからか、わざわざ通りかかる人もいない。


 ――まだ、誰にも見られていない。


 僕の家は、この原っぱから歩いて数分のところにある。走れば往復して五分とかからないだろう。

 そう、今なら、まだ。

 そこからの僕は、自身を機械のように扱った。


 心臓を貫いた包丁を引き抜く。時間が経っていたからか、返り血は吹き出してこなかった。確かな感触を無視して、草陰に放り投げておく。

 そして人形のように冷えた手を動かし、刺さっていた箇所に重ねる。

 半開きになっていた瞳を見るのが嫌で、引っ張るようにして、まぶたを下ろした。

 仰向けで殺したのが幸いしたのか、口から血は出ていない。


 とりあえずは、こんなところだろう。

 僕は崩れ落ちそうな膝に拳を叩きつけて、家へと歩き出した。

 ぐずついた空は、とうとう音を上げて泣き出した。


 僕は安直に考える。誰にも気付かれずに、埋めてしまえばいいと。

 どれだけ警察の捜査範囲が広かろうと、空き地の原っぱを掘り返してまで探すはずがない。

 そう高を括って、僕は自宅からスコップと傘を持ち出した。休日だったけれど、両親は買い物から帰っていないようだ。


 紺色の傘を開いて、あの草原まで戻る。すれ違う人達に奇異な目を向けられ、何かでスコップを隠しておけば良かったと後悔した。

 いや関係ないか。どうせ分かりはしない。僕の苦労も、あいつにされたことも。


 どこにでもあるイジメだと思う。

 殴られる代わりに金を渡す。弱みを握られ、先生や親に相談することも出来ない。追い詰められ、責め立てられ、心と身体が削られていく。

 漫画や映画、小説で見るような、絵に描いたようなイジメ。決定的に違うのは、フィクションかリアルか。

 

 雨粒が僕の気持ちを代弁して、傘を叩いていく。

 たった数分で雨脚は激しくなり、たった数分で――人だかりは、出来ていた。


 その光景を遠目から見て、内臓が絞られていくのを感じた。口と胸、どちらに手をやるのかを考える間もなく、微かなサイレンの音が耳に届く。

 たぶん誰かが、雨の中で寝ている人を見て、騒ぎになったんだろう。死体は草むらに隠されているから、上から見下ろせる近所の人が。


 頭の中が真っ白に。視界は黒で染まっていく。

 あり得ない。信じられない。今さら僕に、何が出来る。

 手にしていたスコップが、音を立てて地面へ落ちた。


 僕は走った。息を止め、来た道を引き返す為に。もう関わらない。見たくない。何も知らない。聞きたくない。逃げろ。逃げろ。


 ようやく家に辿り着いて、乱暴に傘を差し戻す。その勢いのまま靴を脱いで自分の部屋へ。

 濡れた服で布団に潜り込み、うるさい鼓動を落ち着かせた。


 やがて両親が帰宅して、夕飯の時間になっても、僕は布団から出ることは無かった。適当に嘘を吐いて誤魔化す。一生付いて回るだろう嘘を。

 今日から僕は、誰にも理解されない、独りなんだ。


 空腹と焦りで寝れない僕の夕飯は、部屋に転がっていた飴玉だった。

 口の中で溶けていく甘みは、何の味わいも感じさせなかった。ただ甘い、それだけ。

 おそらく、これこそが僕の飴なんだと思う。


 後日、警察に何度か事情を聞かれたけれど、僕は白を切り続けた。未成年であることと、状況以外の証拠が無かったことで、疑いは消え去った。


 どうやら包丁の指紋は、雨で洗い流されたらしい。

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