5


黒金警部の機嫌はひどく悪かった。


なにしろ仲間の一人が、不可抗力とは言え、さらに言えば奇妙な言い方になるとは言え、「目の前で」殺されたのである。


これは公安課の威信にも関わる問題だ。


そう考えた警部は刑事部の初動捜査に積極的に関わることにした。


やってきた責任者であるD県警の白井警部補とじっこんの仲であったことも幸いした。


とにかく、てってい的にこの宗教を洗い出してやろうと決めたのだ。


「『ラッシュ』に関するものは一つ残らず持ち帰れ。」


怒号が辺りを支配する。


彼らが今いるのは、その宗教の教祖、キサラギの部屋だった。


当のキサラギはと言えば、手錠をかけられ、大人しく自分の机に座っている。


「これはどういうことですか?」


とキサラギが両手を持ち上げて、自分にかけられた手錠を見せた。


警部はふんと鼻をならして


「決まっているだろう。あんたが部下を殺したんだ。逮捕だ、逮捕」


「ですが警部」


とキサラギはいたって落ち着いた様子で


「私は犯行当時、あなた方の前にいたではありませんか。」


「だが殺ったのはあんただ。それをあんたも認めるんだろう?」


「ええ、まあ」


キサラギは肩をすくめて


「ですがそれは、超常能力の次元においての話です。あなた方が従っている法律の物質的な次元においては、私は何もしていません」


「その通りだ」


と傍らに控えていた側近の一人が仮面の下から声を出す。


「キサラギ様を逮捕する謂れなどないはずだ」


「これは不当逮捕だ」


「覚えていろよ、貴様ら。こっちには腕利きの弁護士がいるんだからな」


そんなことをごちゃごちゃと言っている。


しかし警部はそんなものはそよ風ほどにも相手にせず


「ふん。凶器のナイフからは、あんたの指紋が検出されているんだ。あんたが殺ったということは、あんたの言う、この世界の物質的な法律においても証明可能なんだよ」


「それはどうでしょうね」


と自信満々なキサラギ。


「なにをおう!!」


とすごむ警部。


キサラギは笑って


「なら、もし私が超常能力を使ったのでないとしたら、どうやってあなた方が見守られている前で、離れたあの小部屋に――しかも密室だった部屋に――赴き、殺人を犯したというのです?」


警部はその問いに対する答えはまだ用意できていなかったらしく、


「うぐぐ」と唸っただけだった。


と、そこへ


「警部。パトカーの準備が出来ました」


報告を寄越したのは、責任者であるのに事実上警部の指揮下に入ってしまった白井警部補だった。


「よし、とにかく連行しろ」


「はい。おい、お前ら」


二人の上司の呼び声に応えて、まだ若い巡査達がおずおずと進み出て、キサラギの両腕を持つ。


当のキサラギは涼し気な顔で


「まあ、たまには俗世間と交わるのもいいでしょう」


なんてのたまっている。


「早く連れていけ」


そんな彼を見て、余計に警部の怒りはあおられたようだった。


「キサラギ様!!!」


「キサラギ様!!どうかご無事で!!!」


大勢の信者に取り囲まれるようにして、連行されていくキサラギ。


パトカーに乗り込む際、ちらりとこちらを見た彼の顔に浮かんでいたのは、しかし微笑だった。


解けるものなら解いてみろ。


車六はその視線がそう物語っているのを感じた。


赤いランプを鳴らして走り去っていくパトカーを見た後、車六達一行は再び教祖の部屋へと戻る。


もはや主をいなくしたその部屋は、しかし未だに近代的なオフィスの呈をよおしていた。


警部はそんな部屋のありとあらゆるものを調べるよう部下達に命ずる。


それから、やっと車六の方を向いて言った。


「どう思いますか?」


「不可能犯罪だな。同時に二つの場所に出現し、しかも一方は密室ときている」


そこで両手をこすり合わせる車六。


「面白い」


警部は青筋をぴくぴくさせたが、車六のこういう性格は分かっているからか肩をすくめて


「……そういわれますがね。こちらとしてはほとほと弱っているんですよ。あいつが-ーあの若造が手を下したのは分かっているんだ。なのに、その証人になっちまったのが、他でもない、私らなんですからね」


「まあ、考えるのはデータを集めてからにしようや」


そういって車六は部屋を出ていく。


「データ?」


和戸が聞くと


「まずはもう一人の警官だな」


と車六は言った。


※※※※※※※※※※


D県警公安課から派遣されてきた二人のうちの一人――金井という若い巡査部長は、直属の上司の前で泣いていた。


「すみません、警部。私がいながら……」


「仕方ない、とは言わん。だが、お前が死んだあいつのためにしてやれることは、話をして、謎を解くことだ」


警部はその彼の前に座って、落ち着いて言う。


今彼等がいるのは、「信者」としての金井にあてがわれた部屋の一室だった。


相変わらずホテルみたいだと和戸は思う。


入口のドアにもたれかかっていた車六が口を開いた。


「どうもあんたらの正体はキサラギにばれていたようなんだがな。そんな素振りはあったのか?」


「いいえ、まさか。我々もプロですから……」


「だが、実際に殺されている。」


「うっ、そ、それは……」


言葉に詰まる金井。


車六は手をひらひらと振って


「まあいい。じゃあ、次の質問だ。今日、お前らは何をしていた?」


「お前「ら」というと、殺された巡査―――今上(きんじょう)――の行動もお尋ねなんでしょうが、実のところ、私達は別々に内偵を進めておりまして。それぞれ目をつけた信者と共に行動して、出来るだけ『ラッシュ』の本質を探ろうとしていたところでした。」


「つまり」警部はため息をついて「今上が何をしていたかは分からないと」


「は、はい」


「お前は具体的にどうしていたんだ?」


「私は例の修行場で、ずっと懇意になった信者と話していました。一度だけトイレに行って、隠していたカロリーメイトを食しましたが、それ以外はずっとその信者と一諸でした。」


「一つ根本的なことを聞きたいんだがな」


と車六は続けて


「お前達、信者は仮面を常に被っているわけだろう?どうやって信者一人一人の見極めをするんだ?」


「ああ、それはですね」と金井は初めて悲し気な笑みを見せて「仮面を被るのは強制ですが、服装は個人個人の自由ですから。まあ、黒いマントを羽織るっていう決まりはありますが、その下は自由なので。」


「今着ているのはーー」車六が言うと、金井は頷いて「私の場合は、赤いセーターを着るようにしていました。ちなみに、今上の方は、私と対になるように、青いセーターを」


和戸はその言葉で、男の体を支えた時、はだけたマントの下から青いセーターがのぞいていたことを思い出した。


「私達だけじゃない、それぞれの信者が、体格、性別に合わせて、色々工夫して着こなしているみたいです。ここは」


金井は大分おさまった涙をふいて


「宗教にしては、割と自由なところでしたから」


※※※※※※※※※※


金井への質問を終えて、次に車六達が向かったのは、亡くなった今上の部屋だった。


そこではまだ鑑識がうろうろと捜査を続行しており、和戸はまるで落ちつかない印象を受けた。


警部はずかずかとそこに入り込むと、遺体に屈みこんでいた男に話しかけた。


「先生、どうですか?」


「どうしたもこうしたも」監察医らしい男は首を振って「心臓をナイフで一突き、それだけさ。あまりに深く食い込んでいるもんで、出血は少ないがね。心臓さんの機能が停止して、そこでお陀仏ってわけだ」


そういって医者は首を振って


「しかし嫌な事件だな。密室だったていうじゃないか」


「それをこれから検討しようと言うんですよ」


と警部は言う。


それから、他の鑑識係達を集めて


「それで、何か秘密の通路のような出入り口はなかったのか?」


「ありませんね」


ベテランらしい男がそれに応える。


「本当に何も?」


「完璧に。あの窓も完全に閉まってますね。死体発見当時はどうだが分かりませんが……」


「いいや、閉まってましたよ」


と和戸が口を挟む。探偵の助手として、そういうことをいの一番に確認するようになっていたから、間違いはない。


「となると」


警部は首を振って


「どういうことになるんだ?」


「見えないナイフを持ったキサラギは、空中を一突きしただけじゃなく、実際にこの密室に入り込んで、今上君を殺したんだろうよ」


車六は相変わらず面白そうに言う。


「冗談じゃありませんよ」


警部はうなった。


「まあまあ。それより、当日の今上君の動きはどうなんだ?ずっと部屋に引きこもっていたのか?」


「それは我々が調べました」


と鑑識の一人が答える。


「どうやら信者の一人と一諸に行動していたのが、昼過ぎから疲れたといって、部屋にこもっていたそうです」


「その信者は今どこに?」


「ここですよ」


と車六の声に応えて現れた男がいた。


大柄な、仮面を被ってマントを羽織っていても、抜群の体格を隠しきれていない男だった。


「もう知ってしまったが、それまでは警察なんかじゃなく、仲の良い友人として、彼とは接していましたからね。夕方頃、心配になって、彼の部屋の前までいってみたんです。そしたら、あの叫び声だ」


和戸も思い出した。自分が確認する前に、ドアを押したり引いたりしていたのは、この男だったのだ。


「ふーん。となると、密室っていうのは本当だったのか」


車六の疑問に


「ええ。あんな芸当をやってのけるのは、キサラギ様しかいません」


「そのキサラギ様が殺しをやってのけたわけだが」


「当然でしょう。我々を調べるなど、天罰ですよ」


その言葉に警部はぴくりと青筋を動かし


「貴様っ!!」


「まあまあ、警部」


おさえておさえて、と車六は手振りで言うと


「そんじゃ、キサラギ様のことはこれからも信仰しつづけると?」


「ええ。私も早く不浄なこの世から立ち去りたいものです」


「少なくともこの部屋からは立ち去ってもいいよ」


警部が我慢しきれなくなる前に、車六はそういった。


仮面の下で、男はふんと鼻を鳴らすと廊下へと去っていった。


「さて」


と車六は言うと


「調べるとするかな」


そして、鑑識が散々ひっかきまわした後だというのに、自らも腹這いになったり、壁をコンコンとやったりして、調査を始める。


警部と和戸は、それを息をのんで見守った。


何分か経っただろうか。


やがて立ち上がった車六は言った。


「とりあえず」


「とりあえず?」


と和戸。


「教祖様の部屋に戻ろうぜ。のどが渇いた」


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