4


和戸はため息をついた。


その部屋もまた、彼が想像していたような新興宗教の教祖の部屋とは凡そかけ離れていたからだ。


てっきり、チベット仏教やドリームキャッチャーなど、ありとあらゆる民族のオブジェが飾られているのかと思いきや、代わりに西洋絵画が目を楽しませてくれている。


近代的なソファとローテーブルが中央に配され、奥には執務用の大きな机があった。


机の上のファイルも綺麗に整頓されており、まるでどこかのオフィスのようだ。


唯一の例外と言えば、他を圧倒するほどの物量を誇るその本棚だろう。


外国の書物から国内の小説まで、ありとあらゆる本が詰め込まれたそれは、文字通り四方を囲んでいた。


それらにさっと目をやった和戸は、しかしそれが宗教関係の本に限らないということに気がついた。


いや、むしろ多いのは……


「私はミステリには目がなくてね」


和戸の視線に気がついたキサラギがそう言った。


「ここには古今東西のあらゆるミステリが収めてあります。それを読みながらここでくつろぐのが私の癒しなんですよ」


「信者達は苦しい断食をしているっていうのに、また随分とお気楽なもんだな」


完全なあてこすりを車六がしてみせる。


キサラギはしかし気分を害した様子もなく、ただ肩をすくめただけだった。


「彼等を監督するのが私の役目なのでね。たまの気晴らしも必要なんですよ」


「そこが分からない」


車六はそう言って、ローテーブルに出されていたコーヒーをぐいっと飲み込んだ。


「なぜお前にそんな資格がある?大量の人間を死に追いやるような資格が」


「それは……私がこの宗教の開祖だからですよ」


「なら、なぜお前にそんな宗教をやってる資格がある?そんな、どこにでもいそうな風体をしたお前に」


どこにでもいそうな風体の車六がそれを尋ねる。


しかしキサラギはやはり怒った様子もなく、むしろ会話を楽しんでいるような雰囲気すらあった。


「私が神の啓示を受けた人間だから……では納得していただけないんでしょうね」


「もちろん」


車六の言葉にキサラギはくすりと笑って


「まあ待て、お前達」


いつの間にか怒った様子の側近二人に、キサラギが手をかざして制する。


「彼等の言うことも最もだ。私の力をご存じないから、そういうことになる」


そしてキサラギはすくっと立ち上がって


「私には力があるんです。人間を超越した、神から与えられえた力が」


大きく手を広げ、恍惚とした表情を浮かべるキサラギ。


上から見下ろされた探偵三人組は、しかしそんな大仰な芝居には騙されない。


「力って、具体的に?」


車六がふんっと鼻を鳴らして尋ねる。


じろり、とキサラギは警部の方を見やって


「それはよくご存じでしょう?警部さん」


「ど、どういう意味です」


いきなり話を振られた警部は思わずどぎまぎする。


それがまずかったのか、キサラギは納得したように


「私は月に一度ほど、信者達に私の力を見せることにしています。この『ラッシュ』に対する帰依をより強くしてもらうためです。それをあなたの部下さんにも拝見していただいたことと思いますが?」


キサラギの笑みは悪魔的だ。


警部はぞくっと体を震わせた。


ばれている……


自分達公安が『ラッシュ』を監視し、スパイまで派遣していることを。


そして彼等が教祖の力に対して報告までよこしたことを。


それを知ってなお、キサラギは絶対的な自信を持っている。


車六はそんなキサラギの様子に感心したように


「具体的に、どんな力を見せていたのかな?」


「そうですねえ……私が神から授かった力は多岐に渡りますが、空中浮遊や、分身、読心術まで、それこそ数えきれないほど」


「それらを今見せてもらうことは……?」


「それは……」


そこで初めてキサラギが逡巡したように見えた。


少し顔をゆがませると


「少々、必要な力を溜めるのに、時間がかかるもので……」


「やっぱりな」


車六がそういってせせら笑う。


「空中浮遊は巨大な鏡。分身はそれこそお得意の仮面か何かを使った変装術。読心術は隠しスピーカーか何かを使った芸当だろう」


彼はソファにふんぞりかえって


「どれもこれも、「仕込み」の時間が必要というわけだ。」


「し、失礼な!!」


キサラギの傍にいた側近二人がさすがにいきりたつ。


「キサラギ様の力は本物だ!!」


「なら、見せてくれよ」


車六もあくまで譲らない。


「探偵である俺達の前で、その、あんたの力とやらをさ」


「……いいでしょう」


「き、キサラギ様!!」


「いいんだ。構わん」


そういって、火花を散らす車六とキサラギ。


それからキサラギは警部の方を向くと


「あなたの部下にも協力していただきますよ」


「……は?それはどういう」


警部の最もな疑問に、しかしキサラギは答えず


「これからお見せするのは、時間と空間を超越した超能力です。」


そういって、神妙な顔つきになるキサラギ。


側近二人は諦めたのか、黙って彼の様子を窺っている。


キサラギは、何やら空中で手を動かし始めた。


一見奇妙なダンスを踊っているようにも見えるし、何か宗教的な儀式のようにも見える。


やがてそれを終えたキサラギは


「ここに、あなた方の位相では見えない、ナイフがあります。」


「な、ナイフ?」


警部の問いに


キサラギは、その見えないナイフの柄から刃先をなでるようなしぐさで答えた。


「ええ。今私が顕現させたのです。」


「そいつをどうするつもりだ?」


車六の問には


「ふとどきな裏切り者に、天罰を」


「て、天罰?」


和戸の問に


キサラギはにっこり笑った。


「ええ。……こんな風に」


そして足を大きく広げると、まるでナイフを構えるかのような態勢をとり


「はああああああああああああああ」


ずぶり。


そんな音が聞こえた気がした。


まるで、見えない誰かに向かって、ナイフを突き立てたようだった。


「殺しました」


儀式を終えた宗教家のように、涼しい顔でそう言うキサラギ。


「なっ」


「こ、殺した?」


「…………ほお」


探偵達三人は、そんな様子にあっけに取られるばかり。


すると直後


「ああああああああああああああああああああああああああああああああ」


とこの世のものとは思えない絶叶があたりに響き渡った。


「な、なんだあれは!!」


警部の驚いた声。


キサラギはにこりと笑って


「私の標的ですよ。」


「和戸、いくぞ」


「え、あ、ああ」


車六はそう言うと急いで立ち上がり、部屋を出ていこうとした。


しかしその行く手をキサラギの側近二人がすばやく阻む。


「何の真似だ?」


「あなた方には証人になってもらう必要があるのでね」


答えたのはキサラギだった。


「そうですねえ……和戸さんだけお通ししろ」


キサラギの指示にこくんと頷いた二人は、体を空け、和戸だけが通れるような隙間を作る。


「どうぞ。」


「どういうことだ?」


なおもいきる車六に


「私が決してこの場から動かなかった。そのことを、あなた方に証言していただきたいのですよ」


悠然としてキサラギが答える。


「じっと私を見ていてください」


「っ!?……こいつ」


「車六……」


「仕方ない」


車六は首を振って


「お前だけで様子を見てきてくれ、和戸」


「……あ、ああ」


そういうわけで。


名探偵から直々の指名を受けた和戸は、一人中央のドアを出ると、そのまま悲鳴が聞こえた右翼の正方形の方に向かう。


廊下を行くと、すぐに人だかりに行きあたった。


皆仮面をかぶっている。


物言わぬ仮面が数人居並んだだけで、その光景の異様さが際立っていた。


和戸はしかし臆せず


「何があったんですか」


さっきからドアを押したり引いたりしている信者の一人に問いかける。


尋ねられた信者の方は、仮面を被っていない和戸に驚いた様子だったが


「え、あ、ああ。な、中から悲鳴が聞こえたんで、押し開けようかと」


「ちょっといいですか?」


そういって、自分でも押したり引いたりして、確かにドアには鍵がかかっていることを確かめる和戸。


そして次の瞬間


「はあああああああああああああ」


信者達が見守る中で、どすんと大きな音がする。


すると、ドアが内側に倒れ、その部屋の全貌が露わになった。


和戸が自慢の蹴りで無理やりこじ開けたのである。


しばし呆然としていたが、慌てて部屋に入り込む一同。


和戸はまっ先に部屋の窓の方に行き、それがしっかりと閉まっていることを確かめた。


それから、部屋の中央に目を向ける。


そこには、仮面をつけた男が倒れていた。


胸にはナイフが突き刺さっている。


血がその先端から流れ出していた。


「どうしたんです。何があったんですか」


信者達が呼びかけている。


和戸もその男の体を助け起こすと


「どうした。何があった」


と尋ねた。


尋ねられた方はしかし虫の息で。


「きょ、教祖に……」


「教祖?」


「きょ、教祖が、何もないところから突然現れて、俺の胸に、な、ナイフを……」


そういって、うっと呻く仮面の男。


「と、とにかく救急車を」


「いや、警察も呼ばないと」


そこで和戸はここにいる唯一の警察の存在を思い出し


「ちょっと、待っていてくれ。すぐに戻ってくる」


全速力でキサラギの部屋とかけていった。


そこでは相変わらずキサラギと車六が睨みあっていた。


「は、早く来てください」


和戸が彼等に呼びかける。


「ど、どうしたんです?」


と困惑顔の警部。


にやりと笑うキサラギ。


一同を伴って、また例の部屋へと舞い戻る。


するとそこには、もう既に息絶えていた男の姿があった。


「ああ、そんな……」


和戸が思わず絶句する。


警部は何かかぎ取ったように屈みこんで


「この、くそっ」


往生していたが、何とか遺体から仮面をはぎ取った。


「お、お前は……」


その仮面の下から現れたのは、精悍な顔つきをした男だった。


「部下の一人か?」


車六が尋ねる。


「え、ええ。ここに派遣していた」


呆然とする探偵組一同。


その雰囲気を楽しんでいるかのようにキサラギは言った。


「これで証明になりましたかな?」


新興宗教の教祖キサラギ。


彼は、見えないナイフで空間を突いたかと思うと。


同時刻、密室であった部屋に侵入し、一人の男の命を奪ったのだった。


「……面白い」


不謹慎にも。


車六もまた、にやりと笑っていた。


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