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D県は昔から風光明美な土地柄が有名である。


それは裏を返せば近代化の遅れた町ということを意味するのだが、『ラッシュ』の教団本部が置かれた山奥は、まさに明媚な――夕日に映える緑が美しい――ところにあった。


D県の中心から片道三時間。


やっとこさたどり着いたそこに、車六は悪態をつきながら降り立った。


「まったく、なんて田舎だ」


「田舎と言うか、山奥というか」


和戸もそれに続く。


「とにかく、辺鄙なところなのは間違いないな」


「餓死するにはぴったりのところじゃありませんか?」


警部はそんな奇妙な形容をする。


運転免許を持っていない二人のために警部自ら運転してきたわりには、まったく疲れた様子がない。


いよいよ牙城に赴くという気合あってのものだろうか。


とにかく、彼等奇妙な三人組は、同じくらい奇妙な建物の前に面したわけだった。


うっそうと茂る木々の中。


突如開けた視界の中心に、それはあった。


壁面は白一色で塗りつぶされている。


そのせいか、どことなくのっぺりとした印象を受ける。


無骨な山肌と対照的な人工性。


機械的な建築で、中心に大きな正方形を備え、その両翼に小さな四角形をたたえている。


要は子供が遊ぶ玩具めいた奇妙な建物が、そこに屹立していた。


この山奥の風景と余りに不釣合いなので、どうしても目立つ。


そしてその四角形から出てきた人間達も、同じく奇妙奇天烈だった。


まず、両側の人間に目がいった。


警部が示してみせた例の仮面。


それを最初から自分の肌の一部であるようにつけこなしている二人。


その二人に守られるようにして、中央をゆっくりと歩いてくる男が一人。


長いマントを羽織り、中のスーツも黒一色という徹底ぶり。


彼の方は、しかし仮面をつけておらず、おかげて存分にその顔を拝むことが出来た。


端正な顔立ちに、しっかりとした目。


長身に、切れ長の唇。


その異様な雰囲気は、この男がただものでないことを匂わせていた。


そんな奇妙な三人組は、同じく奇妙な三人組と相対するところまで歩いてくると、静かに立ち止まった。


「警察の方ですね?ようこそいらっしゃいました」


静かな声だった。


しかし、迫力のある声。


男に呼びかけれた警部は対抗するように


「ええ、そうです。通報がありましてな」


教団に乗り込むにあたって、車六と和戸が一番気になっていたことがある。


それは、どういう口実をつけて中に入り込むのかということだ。


まさか、スパイとして送っていた部下からの報告を受けて、というわけにもいくまい。


ところが警部はちゃんと考えていた。


「近隣の住民で、息子さんや娘さんが怪しげな宗教に無理やり連れさられた、という通報がね。一応我々としても、それを確認しないといけないもので」


警部は真顔でそう言ってみせる。


警部の思惑はしかし見抜いていたと見える男は笑って


「なるほど、それでわざわざ「公安課」の警部さんがおいでになったというわけですか」


警部の頬がひくついた。


この男は、自分を公安の人間だと知っている……


その情報網も優れたものだが、それを知ってなお警部達を歓待しようというのだから、大した度胸だ。


警部は内心そう毒づいた。


男は面白そうに薄く笑うと


「そして後ろのお二人が、車六啓さんと和戸尊さんですね。」


「ほう、宗教家というのは巷の探偵なんかにも通じているのか」


声をかけられた車六も同じくらい不敵に笑う。


それほどの度胸がない和戸はといえば、ただ体を固くしたのみだった。


男は肩をすくめて


「なにせ、こういう仕事をしていますとね。色々な方と付き合う必要性があるものですから」


そういって男は両腕を広げた


「ま、何はともあれ、ようこそ、と言わせていただきましょう。調査団のみなさん、我が宗教『ラッシュ』へようこそ」


「我が宗教ってことは……」


車六がずいと前に進み出て


「あんたが教祖のキサラギとかいうやつか」


びしっと無礼にも指差さされた男ー―キサラギは――しかし動じることなく


「いかにも。私が宗教団体『ラッシュ』の教祖にして開祖、キサラギです。」


和戸はびっくりしたようにキサラギの顔をまじまじと見つめた。


新興宗教の教祖というからには、てっきり老人のような怪しげな風貌をした男だと決めつけていたのだろう。


目の前のこの男は、どちらかというと教祖というよりは気鋭のマジシャンか何かに見える。


いや、人を騙すという面においては、あながち間違ってもないのかも……


そんな風に和戸が考えている傍で、車六はキサラギに向かって


「一つ質問していいかな?」


「なんなりと」


キサラギは頷いた。


車六はキサラギの傍らの二人を眺めて


「この二人はあんたの側近かなにか?」


「ええそうです。……正確に言えば、今月の側近です」


「今月の?」


と目を丸くする警部。


教祖は頷くと


「我々の教義はもうご存じでしょう。この汚れた俗世間から逃れるため死に急ぐ――それが我々の根本にして唯一です。ですが、死に急ぐといっても不浄な自殺などではあってはならない。あくまで自然に息絶える必要があるのです。ですから、我々はこの仮面をつけて」


そう言ってキサラギは二人の仮面をそれぞれ指差して


「分かりやすく言えば断食をします。入団時期によっても異なりますが、覚悟の出来たものから仮面をつけ、断食に入っていくわけです。すると当然、体は死に近づいていきます……弱っていくわけです。」


キサラギの話に、探偵側の三人はこくんと頷く。


キサラギも再び頷いて


「側近の二人も当然断食に入っているわけですが、彼等とて人間、徐々に死に近づいていきます。すると、教団幹部としての仕事は出来なくなる。そうなったものは、他の体が弱ったものと一諸に、「最後の部屋」へと入っていただいて、静かにその時を迎えてもらうわけです。」


キサラギはそこで一息ついた。


探偵達の反応を見守る。


「その時とは?」


警部が質問した。


キサラギは薄く笑うと


「死ですよ。体の弱ったものはやがて死んでいく。それは幹部とて同じこと。なので、そうなったら、私は信者の中からまだ体の健康な新しい幹部を選び、側近として活躍してもらうようにしているのです。だから――」


そう言って再び傍らの二人を指差す


「今月は、彼等が側近というわけですよ。私の側近は常に流動するのです。その教義によってね」


「は、はあ」


あまりに凄惨な話に、警部は納得しているのかいないのか、頓狂な声を出した。


車六はしかし落ち着いていて


「もう一つだけ質問してもいいか?」


「どうぞどうぞ」


キサラギは会話を楽しんでいるようだ。


車六も同じくにっこり笑って


「なんであんたは仮面をしていないんだ」


そうだった。


和戸も疑問に思っていたのだ。


先ほどの教義にのっとれば、教祖であるキサラギこそ、まっさきに仮面をつけて、信者達に模範を示すべき存在ではないのか、と。


だがキサラギは


「なるほど、疑問はもっともです。だが、これも教祖としての役割でね」


「どういうことだ?」


「つまり、キリスト教に――特にプロテスタントに例えるなら、私は信者である羊たちを導く、神の役割を担っているわけです。そして信者達はどんどん増えていく。となると、私とて人間ですから、先に仮面を被って餓死してしまっては、新たに入ってくる信者達を監督出来なくなる……導いてやれなくなるわけですよ」


「だから」


とキサラギは一同をひとわたり見回すと


「私はあえて仮面を被らず、こうして素肌をさらしているわけです。」


「つまりあんたは断食をしていないんだな?」


「ええ、まあ」


キサラギは何でもないことのように言った。


車六は体を揺するようにして笑って


「なるほど。よく出来たシステムだな。あんたはその大義名分で持って、いつまでも生きたまま、金儲けができると言うわけだ。」


かなり挑発的な発言だったがキサラギは気にした様子もなく


「信心の無い方には、あるいは、ええ、そう見えてしまうかもしれませんね。」


とだけ言った。


不穏な空気がただよっていた。


車六を上回る長身から見下ろすキサラギ。


それをまっこうから受け止める車六。


見えない火花が散ったようだった。


「まあ、ともかく」


警部が間を取り持つように


「中を見せてもらってもよろしいですな?お分かりでしょうが、警察としては、集団自殺を仕向けているような集団は……」


「集団自殺ではありません。あくまで彼等が自身で死に向かっているだけです。」


「……ともかく、そんな風に大量の死者を出している集団は、警察としては見逃すわけにはいかないのでね。中を見せていただいてもよろしいでしょうな?」


キサラギはにっこりと笑って


「もちろんですよ。私がご案内しましょう」


こうして、探偵達三人組は、教祖自らの案内で、新興宗教『ラッシュ』の教団本部を案内してもらうことになったのだった。




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