見えないナイフの謎
半社会人
1
「仮面?仮面を被っているのか?」
いぶかしげな声をあげたのは車六(しゃろく)啓だった。
対面に座る物々しい表情をした男がそれに応える。
「ええ、そうです。彼等は仮面を被っています。それが信条だそうで」
彼はD県警公安課の警部、黒金(くろがね)だった。
いつもその巨躯を持て余している警部は、今日もソファに収まりきらないその体を存分にはみださせている。
「それはまた何で?」
車六の隣に座っている男が尋ねた。彼の名前は和戸(わと)尊(たける)。ひどい偶然もあったものだが、かのシャーロック・ホームズに対する「ワトソン」役と世間では見なされていた。
しかしホームズであるところの車六はホームズらしいエレガントさは微塵も見せず、ただいぶかしげに眉をひそめるのみ。
「狂ってるのか?」
「新興宗教の信者というのは、ある意味でいつもそのように見られがちですがね」
直球すぎる車六の質問に、黒金警部はため息をついて
「この新興宗教――『ラッシュ』は、その名の通りRushするーーつまり死に急ぐことをモットーとしている危険な集団でしてね。その原理も西洋哲学から東洋の歴史まであらゆるものをごちゃまぜにした独自の教義なんですが――現代の修道院というか、そういう敬虔な生活をすることをしきたりにしてるんです」
「それと仮面に何の関係が?」
「つまりですね」と言いながら黒金警部もいっこうまとめきれていない様子で「『ラッシュ』の信者は、この汚い俗世間から離れて死にラッシュする――急ぐ――ことをもっとうとしています。ですが、死に急ぐといっても、ただ単に自殺するわけではなくて――イスラム教徒のする断食ってあるでしょう?」
「ラマダンだな」車六が頷いて「それがどうした?」
「あれは太陽が出ている間だけ行うもので、その意味合いも食事の有り難さを感謝するというものですが、この『ラッシュ』では、その行事の側面だけを取り出して、拡大解釈しているようでしてね。―-信者は教団の本部に集まると、何も食べず、ただゆっくりと死んでいくのを待つんだそうです」
和戸がその光景を想像したのかぞっとしたように
「ただ死んでいくのを待つ?—-集団で餓死するってことですか?」
「死因は個人個人によって違ってくるでしょうが、大方は、まあ、そうなるでしょうな」
警部も嫌そうな表情。
車六はゆっくりと首を振って
「『ラッシュ』という割にはずいぶん悠長な死に方を選ぶもんだな。」それからぐいっとローテーブルの上に置いてあった水をひと呷りすると「それより、まだ仮面の秘密を話してもらってないぞ」
「ええ、つまり、彼等は集団で断食している状態なわけでしょう?信者の中でもとりわけ信仰深いメンバーが、本部に集まってそれをするそうなんですが、その際、一切物を口にしないための証として、仮面を被るんだそうで」
「証として?」
「ええ、そうです」
「つまりそれは……どういうことだ?」
「実は、ここにその仮面があるんですが」
そういって警部は持参してきていたカバンから、ある黒い物体を取り出した。
それは黒く輝く人の顔を模した仮面であって、ただ口のところが閉じてあるところだけが変わっている。
「これを、こう、こんなふうに」
そして警部は自分の目の前にその仮面を持っていく。
途端に、車六と和戸の眼前には、何やら怪しい風体の男が現れることとなった。
「こうして顔にはめこむわけです。実際には着脱可能だが、少なくともこの仮面をしたままでは、食事はおろか、水を飲むことすらできませんからな。」
「なるほど」車六がやっと納得したように「それで、断食の証になるというわけか」
「そういうことです」
警部は仮面をいそいそと取りはずすとそう言った。
車六は腕を組んで
「それで?」
「それで?と、いいますと?」
「あんたの用件は何だ。まさかその変わった宗教の説明に終始するわけに、わざわざやってきたんじゃないだろう?」
「え、ええ。それはもう」
警部は汗をふきふき、改めて目の前の二人を見やった。
車六啓は、年の頃まだ20台前半の若い男。隣に座る和戸も似たようなものだ。どちらも大学生に見られてもおかしくないような風体。
それに対して、黒金警部の方はもう40の境をとうに過ぎた頃――D県警公安課の主軸として、バリバリ活躍している人間だった。
そんな人物が、年若い二人を訪ねてきたのには、もちろんわけがある。
車六啓は、探偵だったのだ。
よく小説で描かれる名探偵――まさに彼はその種類の人間だった。
奇妙な振る舞いをし、周りに迷惑をかけ、そうかと思うと押し黙り。
そして最後には事件を解決する。
名前の通りワトソン役を務めている和戸と共に、ここD県は校外に事務所を構えているのだった。
そしてついでに言えば、その厄介な性格を抜きにすれば――D県警の頭脳ともいうべき本部長も認めるほどの名探偵が、車六啓だったのである。
そんな彼の元にわざわざやってくるくらいだから、車六の言う通り、警部の話にはまだ続きがあるのだ。
「ええと……まあ、そんなわけで、このD県の山奥に、その新興宗教『ラッシュ』はあるわけでして、我々公安としても、死に急ぐなどという危険思想を持った宗教を野放しにはしておけないので、監視の目を光らせておいたわけなんですが」
「ふむ」車六が顎に手をやって相槌を打つ。
「具体的には、捜査員をスパイとして、信者の中にもぐりこませているわけなんです。ところが、その捜査員たちから奇妙な報告が流れてきてましてね」
「奇妙な報告?」
和戸が車六と同じように眉をひそめる。
警部はこくりと頷いた。
「『ラッシュ』の教祖――キサラギと自ら名乗っている男なんですが――そいつに、不思議な力があるというんです。」
「そんなのは別に珍しいことじゃないだろう。宗教なんか始めようという奴は、多かれ少なかれ、そういう超常能力とやらを備えてるもんさ」
そう言って肩をすくめる車六。
「その能力が、本物かどうかは別にしてな」
「そこが問題なんですよ」
警部は勢い込んで
「派遣したのは部下二人なんですが、彼等は決して迷信深い性質じゃありません。信用のおける、これ以上ないほど冷静な捜査員です。その彼等が、ですよ。報告によると、教祖の数々の奇蹟を目撃したというんです。」
「奇蹟って……例えば?」
「宙に浮いてみたり、瞬間移動をしてみたり、二人に分身してみたり……」
「どれもこれも眉唾ものだな」
車六がうさんくさそうに言う。
警部は首を振って
「しかし、とにかく、部下がそう報告して寄越してきていることは確かなんですからな。」
「それで……」
車六は腕をうるさそうに振ると
「その奇蹟の力を持つ教祖様と、俺との間に、いったい何の関係があるんだ?」
「簡単なことです。私は部下の言うことは信じとりますが、今回ばかりは何かカラクリがあるに違いない。そのカラクリを暴いて、教祖の神秘性をはぎとってやれば、『ラッシュ』なる怪しい宗教も、自然壊滅すると思うんですよ」
警部はここで膝を乗り出して
「その解決に、尽力してほしいんです」
「仮面を被った信者達と、超能力を持った教祖様ねえ……」
車六は顎をさすりさすり考える。
「どうも乗り気が……」
「もちろん捜査協力費は弾ませていただきますよ」
車六は隣の和戸の方を見やった。
「どう思う?」という視線だ。
和戸の方はそれを受けてさらに事務所の端に置かれた冷蔵庫に目をやると
「わが家の財政事情は破綻的だ。このままだと、僕らの方が餓死するかもしれない」
その言葉を受けて、車六は「仕方ないか」と首を振った。
「というと……?」
警部の期待のこもった視線。
車六は言った。
「やってやるよ。宗教潰し」
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