大越凛太朗【東京優駿~Derby Week⑤】

 本番前だから少しは緊張してるかと思ったけど、やっぱり大物だな。


 ――本音で褒めてんだって。なんせダービーだからな、周りが騒がしくても平常心でいられるのは一番大事なことだよ。

 ダービー。

 お前、俺と初めて会った時にダービーを勝ちたいって言ったんだよな。ちせにダービーレイをかけてやりたいって、そんな風に言ってた。

 覚えてるか?


 ――へえ、覚えてるんだな。

 いや、だってお前馬だし。記憶力的にはそんなに信用出来たもんじゃないだろ。

 だーかーら、一々キレんなって。お前ホント口悪いよな、マジで。はいはいそりゃ悪うござんしたね。

 と、そう言えば。ちせからお前に聞いといてくれって頼まれたんだけど、引退したらどんな所で暮らしたいとか、そういうのって考えたことあるか?


 ――引退ってのはさ、今のお前はレースに出る為にトレセンで先生とか俺と一緒にいるけど、馬だって年をとる訳だから、いずれは走れなくなる訳よ。


 ――そんなこと言ったって、ヨボヨボの爺さんになったら走れねえだろ。

 お前に解り易く言うなら、ほら、ちせの爺さんなら解るだろ。そう、茂尻の牧場の爺さん。俺は会ったことないけど、お前は知ってるだろ。生き物ってのはああいう風に年をとって身体が衰えていくから、そうしたら仕事も終わりなんだ。


 ――いや、茂尻の爺さんが働いてたのは牧場の都合ってヤツだな。俺のたとえが悪かったが人間でも珍しいケースなんだ、それは。

 さておき、お前は引退したら楽が出来る。走りたい時には自由に走っても良いけど、レースには出なくても良くなる。あと何年かちせに賞金をくれてやったら晴れて引退、自由の身。

 その後は、まあ、可愛い女の子と適度に子ども作ってくれればそれが一番良いが、あんまりモテなくてもお前は大丈夫。ちせとゆっくり過ごせるよ。

 だから、引退したらどんな場所で暮らしたいか位のこと、考えとけよ。後で俺から伝えてやるから。


 ――俺か。

 俺は、どうするんだろうな。

 ま、馬のお前に聞かせる話じゃないけど、少し込み入った話すると、お前が引退したら先生この厩舎閉めるんだとさ。海外行って調教師やるとか、そんな寝言みたいな事本気で考えて、本気で挑戦するんだと。

 だからちせはお前が引退するまでに次の準備を始めておかなきゃいけないし、俺もそうだ。


 ――ぶっちゃけるとマジでなんにも考えてない。


 ――うるっせえ。馬に言われたくねえよ。

 でもまあ、そうだな、ちせがお前と牧場やるのなら、牧夫で雇ってもらおうかな。


 ――いや、競馬はお前とやるのが最後で良いんだ。

 まあ我ながらクサい話だけど、それくらいに感謝してる。


 ――エト? そりゃあ、エトにも感謝してるけど、でも、最後に乗るのはお前だよ。そもそもエトに乗らなければお前にも出会えなかっただろうけど、エトに乗ったらお前に乗らなきゃ終われないだろ。


 ――エトの話か、いや別に構わないけど。

 新馬の時は派手に出遅れたんだ。

 本当にひどくて、隣ゲートの馬のケツを見てから出たってくらい。

 マジで目の前が真っ暗になった。いや、あの時は本当に生きた心地がしなかった。でも同時に、今でもはっきり覚えてるくらい、手綱の感触が妙に頼もしかったんだ。

 四角抜けて直線に入った時に視界が一気に開けて、前までまだ六馬身くらい離れてたけど風の音が今までに聞いたことが無い位に研ぎ澄まされてて、ああこれは勝つなって、派手にやらかしたのに勝っちまうって思った。ほっとして安心するよりも、とんでもない馬に乗ってることを目の当たりにして鳥肌が立ってた。

 当然先生には派手に怒られて次は変えるって言われたけど足にしがみついて土下座だよ。

 ダサいのは今更だ。まあでも、土下座のお陰かどうかはさておき首の皮一枚繋がった。


 ――二歳の時は敢えて狭い中山で走らせる必要が無いって理由で朝日杯だった。

 俺なんて初めてのG1だったのに、緊張する暇もないくらいの圧勝。

 実際誰が乗っても勝ったんだろうけど、まさか自分がG1を勝てると思ってなかったから、やっぱり嬉しかった。

 その頃からかな、他の厩舎からもちょこちょこ依頼貰えるようになって、結果も出せたから、ひょっとしたらそれなりにいけるんじゃないかなんて思えるようになったんだ……いや、マジだって。一回の中山でリーディング争いしたりしてたんだから、あの時期は本当にツイてた。


 ――そんな感じで俺の方もノッてたから、自然とクラシックの本命扱いして貰えた。

 トライアルでもあっさり完勝して、皐月賞本番も周りから当然扱いされる単勝一倍台。

 そんなんだから出走馬全部俺らのマークしてんじゃないかってくらいキツくこられて、全然、まともなコースを走らせて貰えなかった。

 マジであれ勝ったから問題になってないけど、負けてたら競馬界の黒歴史だったんじゃねえかな、特に宮代。

 そう、有紀のとこ。今でこそ普通に話せるけど、あの時は本当に二、三発ぶん殴ってやりたいくらいだったよ。それくらい露骨に潰しに来てた。

 まあでも、そういう展開も事前に解ってたからな。

 どれだけマークされてても関係ない作戦、外埒沿いって言われるくらいの大外一気。鉈が真っ青になるような勝ち方って、次の日に一般ニュースで流れたくらい派手な勝ち方だった。


 ――そんな感じで、だんだん、三冠云々も言われ始めた。

 毎日厩舎の前に記者がたむろしてるのは当然、競馬の外のメディアからも取材を申し込まれるようになって、本当に騒がしくなった。

 俺はロクな育ちをしてないからさ、色々あって人前に出るのが面倒臭かったし、そういうので嬉しいとかはあんまり無くて、却って周りに疎ましがられる分だけうんざりしてた。

 でも、どっかで舞い上がってたんだろうな。

 自覚も無いまま、バカみたいに派手な勝ち方して、周りに担がれて、足元が見えてなかった。

 騎手以前に人間として下の下だ。

 ……ダービーも負ける気がしなかった。

 ダービーなのに、負ける気がしなかった。

 そんなのおかしな事のはずなのに、気付いてなかった。


 ――俺はレースの度にエトの命を削ってたんだ。

 他の馬より沢山削ってんだから、そりゃあ勝つさ。

 ダービーなのに負ける気がしないなんて、本当に畜生の考えだよ。


 ――でも、だから、ダービーを勝った。単勝1・1倍の圧倒的な人気で、最低最悪のマークを受けながら、それを全部吹き飛ばすような末脚で、エトの命をごっそり削って、また勝った。


 ――淀の坂でエトを殺して、そういうことに初めて気付いた。


 ――転ばなかったんだ。派手に転んでくれてれば俺も一緒に死んでたかも知れないけど、踏ん張って堪えたんだ。

 砕けた瞬間が俺にも解るくらい酷かったのに、ちゃんと馬込みから離れて、勢いを殺して、俺を降ろした。

 自分の命を好き放題に削って浮かれていたような人間を、それでもエトは助けてくれた。



 ――ダービー、やっぱり俺は絶対に勝つつもりで乗るよ。

 お前に乗ってるのは、そういう人間だ。


 ――お前に会えて本当に良かったと思ってる。

 それだけ言っておこうと思ってさ、悪かったな。

 じゃあまた、日曜に。

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