大越凛太朗【皐月賞⑤】
左隣の最外十八番、クリス・エヴィーヴァのコンビがダッシュを付けて前へ出ていくのを視界の端におさめながら埒側を伺う。
出の悪かった馬が一頭いるようだが深くは追わず視線を流すと、スタート直後の混雑は坂の手前にきてもほぐれる気配を見せず、馬の塊は津波を思わせるような圧力で埒の方へ覆い被さろうとしている。想定以上の包囲網だ。
比較的芝の奇麗な進路を確保しつつ激しさを増している馬群からは距離を取り後方に構えると全体の動きが良く見える。
「前はやく行け!」
馬群の中で誰かが叫んだ。埒際の攻防は馬の壁に阻まれて見えないが総司はオーバーペースも辞さずで構えているらしい。横が駄目なら前に出ようと狙っているのだろうが打倒アマツヒに統一された包囲網の意志は揺るがないようだ。外から見える範囲では押っ付けてまでポジションに喰らいつていく馬の姿も見える。乗り換わりの三枠山崎・キッコウミカヅキと五枠郷田・ペルリナージュの勝負服がスルリと外から伸びていき集団の頭を押さえようとしている。
スタート直後に沸いたスタンドからの歓声も一度目のゴール板を通り過ぎる頃には潮のように引いてしまった。傍目からもそれほどあからさまな展開に見えているのだろう。
集団の外目後方に陣取りじっくりと観察しながら第一コーナーへと向かう。
ハナを抑えたのは山崎と郷田。内埒一頭分、ギリギリ突っ込めない程度のコースを避けながら後ろの進路を絞っている。以下は十頭近くが団子になって内埒に総司を押し込めながら進んでおりその集団から更に二馬身後方にばらけて三頭、真戸原・ミッドナイトアワー、佐藤・バイパーゼロ、出遅れたらしい高田・ベストスマッシュ、そうして俺とレラが最後方。
入りのペースは速いと見て間違いないだろう。各馬ともテンからアマツヒを抑え込みに動いた上その包囲網を搔い潜ろうとした総司の仕掛けにも真っ向から付き合っており、体感だが最後方の俺たちですら二ハロン二十三秒台の中間といったところ、先頭はまず大台を切っている。
本音はもう少し落ち着いたペースで進ませてやりたいが、周囲の様子からしてここで抑えれば一頭だけ孤立してしまう。馬の気を考えればあまり離れ過ぎる訳にもいかず、展開が落ち着く上り坂の終わりまではこのままだと自身に言い聞かせながら進むが、手綱を握る指の間にじっとりと汗が滲んでいる。
軽快なリズムで足を運ぶレラとは裏腹に鼓動が妙に嫌な風に打っている。言ってしまえば嫌な予感がした。直感だが、想定以上に早すぎるペースだけが理由ではない。
第一コーナー中間、坂を上り終えたところで、息を入れさせようと周囲を伺いながら自身の脚を緩め両の薬指で手綱を引く。もがいていた総司が観念してくれたのならばあとはギリギリまで足を溜める方向に専念できるのだが、生憎とそうではないという確信めいた直感がある。そして、先ほどからの嫌な予感の正体はきっとこれだろう。
各馬とも脚を休ませるはずの第二コーナーの下り坂へ入る。ここでスタートから上り坂に使った分を後半へ向けて休ませるのが中山内回りのセオリーのはずなのだが、異変は早くも起こり始めていた。
馬群から離れた真戸原、佐藤、高田と俺が少しずつ、等間隔で引き離されている。先行集団の速度が落ちてこない。後方からでは騎手の顔も見えないが、どいつも渋い表情をしているだろうことは明らかだ。
敢えて緩めない、などという選択肢は有り得ない。となれば、腹の中におさめたはずの総司とアマツヒが一寸法師よろしく暴れまわってペースを緩めさせてくれないのだ。
俺たちの中で判断が早かったのは真戸原だった。第二コーナー中間、下り坂の途中から速度を落とすことをやめたらしい。ついで佐藤がそれに続いたが、出遅れた分だけ脚を余計に使わされた高田には後を追う選択肢がそもそも無いのだろう、上がっていく気配がない。
動かないことは即決できた。一頭だけ孤立するような事態ならともかく、集団との間に真戸原や佐藤が入り、高田の馬が近くにいる状況であればレラの気持ちも切れない。であるのなら、ここはセオリー通りに脚を溜めて中盤以降の仕掛けに備える方が条件が良い。
総司が仕掛けてきたことは言ってしまえば究極の消耗戦だ。元よりこのレース自体が仕組まれた消耗戦なのだが、その上から更に被せるように超ハイペースにコントロールし、その企みごと全て真っ向から叩き潰してやるという魂胆なのだろう。馬の力を信じ切っていなければ到底取りようもない方法だが望んで取る作戦ではないだろう。となれば、これ以外に手が無い、集中マークにそれだけ追い詰められている、とも読める。
いずれにせよこちらには好都合な話だ。ハイペースに付き合わずじっくりと脚を溜めて最後にかわす、つまりはいつも通りの勝ちパターンなのだ。レラの気持ちも程よい具合に温まっているようで折り合いも抜群だしこれまでのコース取りも想定通り、この分ならガス欠で潰されるような事にはならないだろう。
なのに、それなのに指の間の汗が手綱を気持ち悪くぬめらせる。
向こう正面で集団を直線上に捉えると、先頭の郷田の勝負服まで目算で十馬身以上、そのすぐ後方三、四馬身の間に十頭近くが団子になってひしめき合い、そこから三馬身程度離れたところに真戸原、更に二馬身後方の佐藤は俺や高田からも前方二馬身といったところ。脚を溜めつつ先頭までは十分に射程に入っている、悪くない展開のはずだ。
先頭集団が一〇〇〇のハロン棒付近を通過してから一呼吸の後で通過すると、恐らく一分ちょっとくらい、となれば前は早くて五十八秒台だろう。集団のペースは速いまま変わる様子は見えないがこのまま行けるはずなどない。四角の手前からついていけずに潰れる馬も出始めるだろう。
走り切れるはずがない、誰だってそう思うようなハイペース。
まるで前回のホープフルステークスを思い出すような一本調子の消耗戦。
全ての悪寒はそこに辿り着くのだ。
周りからしてみれば総司とアマツヒに勝つ為の消耗戦のはずだった。徹底的なマークで馬場の悪い所に押し込めてレースをコントロールし、スタミナをすり潰し、対等の勝負になるように引きずり降ろしてやるはずだったのだ。
だがしかし、現実はどうか。腹におさめたはずの総司とアマツヒは逆に集団のペースを支配し、彼ら以外が全て潰れてしまうような超ハイペースのレースが出来上がっている。一縷の望みを託すのならば圧倒的な馬場の不利と徹底マークによる消耗だが、そんなものに期待した結果が前回の敗戦だ。同じ轍は踏めない。
この冗談のようなペースでも最後まで走りぬく、敵はそういう馬なのだ。
先頭集団はペースを落とさないまま三角へと突入した。潰れることが解り切っていてもその腹におさめた化け物が脚を休めることを許してくれないのだろう。己を丸呑みにした敵をそのまま焼き殺す圧倒的な熱量、なるほどアマツヒとはよく言ったものだ。
だがしかし、負けてやる気はない。負けられるはずがない。予定通りの三角から、レラに合図をすると却ってきた手応えが俺に勇気を分けてくれた。
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