大越凛太朗【皐月賞前段⑦】
いつものようにレラと言い合いながら厩舎へ戻る道すがら、見慣れない男から声を掛けられた。チノパンにスニーカーという動き易そうな服装ではあるが、手入れして伸ばしているらしい小洒落た髭がどうにも垢抜けすぎており競馬村の縁者とは思えない。何より、フリーのライターという名乗りがどうにも胡散臭い。
「どういったご用件です?」
立ち止まることはせず、あくまでレラを引いて厩舎への道を行きながら応じると、返って来たのはまるで熱を感じさせない口調だった。
「簡単なインタビューのお願いです」
「どちらさん?」
「まあ、週刊誌ですよ」
やはり競馬記者ではないらしい、となれば応じてやる義理も無い。
「俺のインタビューなんて載せるならエロいグラビア増やした方が良いですよ。少なくとも俺が読者ならそっちを買う」
「ご謙遜を。この前の大レースで活躍して、次のレースでも圧倒的な一番人気と言われている流行りのジョッキーさんだ。世間の関心は大きいですよ」
素人めいた言葉選びもそうだが、何より髭を撫でながら軽い調子で言う男の態度はお世辞にも競馬に興味がある風ではない。
「今回突如ブレイクした秘訣とかはあるんですかね?」
俺の返事を聞かずに質問を投げかけてくる厚かましい態度に苛立ちを覚えたが、レラは男を視界に入れている風ではなく、そうなれば俺が気にしてしまう方が良くないだろう。
「知らない、運気がどうとか星のめぐりがどうとかじゃないの」
諦め半分で仕方なく応じてやると男はそれを了承の返事と受け取ったらしく質問を続けた。
「やっぱり宮代さんとのお付き合いが大きいですかね?」
業界に疎そうな週刊誌のライターですら宮代の名前は通っているらしい。耳慣れた名前に引きずられるように改めて男の顔へ視線を向けると、男は媚びた風な不気味な笑みを浮かべていた。
「さあ、確かにあそこの馬に乗れるのと乗らないのじゃ大分違うけど」
得体の知れなさに気圧されながら返すと男は調子良く指を鳴らした。
「ですよねえ、キッカケはどういうトコだったんでしょう?」
食い気味に言葉が続く。どうしてそんな話を聞きたがるのか、こちらからしてみればまるで解らないことに興味を示している。
「別に、きっかけがどうこうなんてほど大した繋がりは無いよ」
「じゃあ、宮代さんの馬に初めて乗ったレースは?」
「二月の小倉」
「どういう経緯で?」
「コッチの都合で小倉に乗りに行く馬がいて、その時先方にも乗り手を探している馬がいて、そのレースは空いてたから引き受けたってだけ」
「そこで結果を出してって訳ですね。ツテは元々あったんですか? 大越さんは他のジョッキーと比べて少し変わった営業をしているという話もありますが」
業界用語を理解していないせいか、どうにも話がかみ合わないような質問をされるのは薄気味悪い。
「変わった営業って……エージェントのことか?」
「ええ、まあ、そういう事も含めて」
のらりくらりと自身の勉強不足を隠そうとする様は真っ当な記者の態度には見えないが、レラの前で喧嘩問答をする訳にもいかない。
「そもそも俺は臼田厩舎で世話になってる立場だから、他のフリー連中みたいな方法では営業してないってだけだろ」
「なるほど、独自の営業テクニックがあるんですね」
「物は言いようだな」
「それにしたって一体どうやって宮代さんに食い込んだんですか? 何かキッカケが無いと話だって出て来ないでしょう」
「だからそれは――」
ちせの事を言いそうになったが、男の胡散臭さに口が止まった。少なくともクソド田舎で育った芋娘が関わって良い人種ではないことは確かだ。
「――共通の知人がいて、そこからだ。尤も、最初から良い関係では無かったし、今こうなったのはそれこそ話の流れでそうなったとしか言えない」
この手の人種は放っておいても御大が追い払う事になるだろうが、だからと言ってこれからの大事な時期に周囲をうろつかれても困る。最低限の答えを返してから釘を刺すように睨んでみたが、男はさも気付いていない風にヘラヘラとした笑みを浮かべるだけだ。
「なるほど。それこそウマが合ったって事ですね」
気付いていない事は有り得なかった。気付いているからこそ誤魔化そうとしているのだろう。それならば遠慮する必要も無い。
「お前、何を言わせたいんだよ」
「もう言いましたよ、話題沸騰中ジョッキーへの直撃インタビュー企画です」
「それにしては競馬に興味が無さそうだ」
「週刊誌ですから、専門誌とは違うアプローチが必要なんですよ」
人を食ったような態度でなおも続ける様を見て、ゲスに違いないと確信した。
「ならもう終わりだ、これ以上話す事は無いよ」
最低限の営業用として取り繕っていたものを捨て去って宣言する。これでも付きまとってくるようならば遠慮なく厩舎まで連れて行き御大からキツイお灸をすえて貰っても良いと、それ位のつもりだった。
「最後に一つだけ」
懲りない男は反省する素振りも見せずに言うが、応えてやる義理は無い。何よりこの手の輩は話に耳を貸しても調子に乗らせるだけだ、これきりだと宣言した以上徹底的に無視しなくてはならない。
そうして相手をせずに百メートル近くも歩いたところだったろうか。男は突然小走りになると、俺とレラの前に立ちはだかる様に両手を広げて進路を塞いできた。
「一つだけだ、それさえ答えてくれれば大人しく帰るよ」
引き綱を持つ右手に反射的に力が入ったが、幸いにしてレラが立ち上がるような事は無かった。間を置かず頭に血が上ると考えるよりも先に口が動いていた。
「蹴り殺すぞ」
大声を出せない分だけ低い声が出た。トレセンで馬に対してこんな振る舞いをした時点で許されてはいけない。左腕一本で胸元を締め上げてから思い切り振り払うと、男は派手に転んだようだった。隣にレラがいなければ拳を出していただろう。
それから十メートル近く歩いたところで、背中越しに声が届いた。
「最近の活躍について、親御さんからは何かありましたか?」
言葉が耳に入った瞬間、聞き流す事が出来なくなった。気が付けば足は地面に縫い付けられたように止まり、身体ごと男の方へと振り返っていた。
「やっぱキレると怖いんだね、スゲー顔してら」
ぬかるんだ路上で尻餅をついたまま、泥まみれの男は勝ち誇ったような笑顔を見せている。
「さておき答えはもう良いや、どうぞ記事をお楽しみに」
俺を振り返らせた事に満足したのか、男は立ち上がって泥を払うとそう言い残して立ち去った。
厩舎へ帰ると、出迎えのちせは俺を見るなり表情を固くしてレラの引き綱をひったくるように奪った。
「後は私がやっておきますから」
「何だよ、急に」
「いいから、鏡見てきてください」
言われるままに手洗い場へ向かい、鏡を覗き込んで納得した。顔面蒼白とは正にこの事だろう、生気の無い死人のような男がそこにいた。この状態で引いていたのだとすれば後でレラに詫びを入れなければなるまい。
数分間鏡の中の自分を見つめるようにしてから、ようやく思考がまとまった所で頭から水を被る。年末に坊主にした髪はまだドライヤーが必要なほどには伸びておらず、タオルで拭けばそれで済む。
タオルを被って大仲へ戻ると作業を終えたらしいちせが待っていた。いつもであれば戻ってきて暫くはレラと遊んでいるはずだから、よほどに心配させてしまったのだろう。
「悪かったな」
手近な椅子に腰を下ろすと無言のままに緑茶が出され、話す前に一口貰って息を吐く。
「変な記者に絡まれただけだ、動揺した俺が悪い……レラは?」
「いつも通りでしたけど、帰る前に顔を見せてあげてください。あの子は賢いから、きっと気付いてます」
「そうだな、解った」
「その記者、何を聞いてきたんです?」
「別に、普通の話だよ」
「普通の話ならあんな風にならないでしょう」
「特別ウザったい記者だったんだよ、人を怒らせる天才みたいな男」
嘘を吐かずに答えると、ちせは納得していない風ではあったがそれ以上聞いてこなかった。まだ作業の続きがあるのだろう、机の上に置いていたベージュのキャップを頭に置いてから立ち上がる。
「何にせよ、馬の前であんな顔しちゃ駄目ですよ」
アンコが言われるような耳の痛い説教に面目を失い目を伏せていると、部屋を出ようとしていたちせが思い出したようにこちらへ振り返った。
「そうだ、大越さん携帯持って出なかったでしょ」
突然そんな事を言いながら俺の目の前まで戻って来ると、自分のポケットから俺の携帯を取り出す。
「有紀さんから。ずっと鳴ってたんで、私出ちゃいました」
「そうか、悪かったな。要件なんだって?」
差し出された携帯を受け取って履歴を確認すると、ちせが言う通り、レラと運動していた時間に宮代有紀からの着信が入っている。
「アルカンシエルの次走の事で相談みたいです。今日の午後ならずっと大丈夫だから、折り返しかけて欲しいって言ってました」
「なるほどね、了解」
次走について聞かれるという事はまた乗せて貰えるという事だろうか。元々お手馬だった訳ではなし、その上晴れてG1ホースになったのだから上位騎手に流れても仕方がないと思っていたが、このまま古馬戦線に参戦するチャンスを貰えるのなら有り難い事だ。
「なんか嬉しそうですね」
「そりゃそうだろ、古馬の大きい所で乗る馬が出来るかも知れない」
そう返すと、ちせはくすくすと笑った。
「何?」
「大越さんと有紀さんが普通に話せるようになると思ってなかったから」
「それについては同感だ」
そうして俺が携帯を操作して有紀へ通話を掛けると、ちせは静かに部屋から出て行った。
七回ほどコール音が鳴り、改めてかけ直すことを考え始めたところで通話が繋がった。
『お疲れの所悪いわね』
スピーカー越しに届いた有紀の声は普段通りのものだが、俺の方が慣れたということだろう、かつてのような苦手意識は浮かばない。先程までのちせとの話のせいか、そんな風にふと思った。
「それで、アルカン君の次走ですか?」
『そう。春天使うか宝塚直行か……大穴で目黒記念使うってプランも出たけど。その日は府中にいるでしょ?』
静かな笑い声で冗談を挟んでくる辺り、お互いに慣れた証拠だろう。
「いるにはいますけどね、真面目に返すなら彼には二五〇〇でも長いでしょう。春天なんて言わずもがな」
『一応菊の掲示板にも入ってるし、こなせちゃうなんて事は無い?』
「当時はまだ素直だった事も大きいんでしょう。今は気性が荒くなっちゃったみたいですから、スタミナ云々よりも集中力がまずもちませんね。二二〇〇でギリギリ、頑張って二四〇〇まで走らせるってのが乗った感覚です」
『なるほど……良い見立てだと思う。なら春天は無しね』
「そんなアッサリで良いんですか?」
『距離については私も上田さんもほぼ同意見だから』
「なら何でわざわざ聞いたんです?」
『実際に乗った人の意見を聞いてから決めようと思ったのよ。貴方がこなせるって言うならこなして貰うつもりだったし』
「随分と信頼して頂けてるみたいですね」
『責任取らせるのにちょうど良いからね』
ひどい話だと互いに笑い合う。数か月前なら洒落にもならない会話だ。
『一応真面目な話もしておくと、大阪杯を勝った事で会員さんもちょっと浮かれててね。元々期待値が高い子じゃなかったのに望外の結果が出たから、押せ押せで春天も狙って欲しいなんて空気になりそうだったのよ』
「それはまあ、無理でしょうね」
『そういう訳で、次走については主戦騎手からの提案もあって宝塚記念となりましたってお手紙出すから。貴方の名前使うこと承知しといてね』
「え、マジで主戦?」
『当たり前でしょ、ここで貴方を降ろすような真似をしたらそれこそ会員から袋叩きにされるもの。悪いけど、暫くは最優先で乗って貰うからね』
気が付けば、空いていた左手で拳を握っていた。自分の出した結果で信頼を積み上げたという実感が心地よかった。
『穴馬で勝つより本命で負ける方が記憶に残るんだから。今週末、しっかりね』
ゲンナリしそうになる忠告だが、これも彼女なりの優しさなのかも知れないと考えれば苦笑いで済む。
「全力を尽くします」
そうして通話を終えてからぼんやり天井を見上げていると、あの記者のことなんてすっかり忘れていた自分に気が付いた。有紀というキャラクターの強烈さに感謝しなくてはならないだろう。
「さて、レラに詫び入れに行くか」
独り言を呟きながら、膝を叩いて腰を上げた。
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