大越凛太朗【raison d'tre ①】

 金曜の夕方、レラとの散歩を終えて厩舎に戻ると蓬田君が来ていた。頼んでおいたブツを持って来てくれたようなので秘蔵のプレミアムんまい棒を出してやる。駄菓子っぽさを薄めたシックなデザインのパッケージがいかにも非日常の高級感を醸し出している珠玉の品だ。

「貴重な品なのに、良いんですか?」

「原稿料の代わりだ、遠慮なく食ってくれ」

 お茶を注ぎながら返すと、力の抜けた笑いが聞こえた。

「それじゃいくら何でも安すぎますよ。一本二十円とかですよね、これ」

「まとめ買いしたからもうちょっと安いぞ」

「ひどいなあ、もう」

 笑い合いながら、預かった原稿用紙を確認する。

「無難な形にはなってると思いますけど、前例が無いことですから、細かい所は自分で直してくださいね」

「いや、大丈夫。少なくとも中卒には書けない立派な応答だよ、ありがとう」

「何言ってんですか。データは後でメールしておきますから」

 今週の競馬を終えてから練習すれば本番で固まってしまうような事にはならないだろう。何分晴れがましい舞台には縁のなかった人生であり、エトの時もどうにかこうにか理由を付けて逃げ回っていたから、結局この手の式典に慣れる事は無かった。

「ところで、もう出発しちゃいますか?」

 壁掛け時計に目をやりながら、蓬田君がこちらの様子を伺ってくる。ハナからメールで送れば良いものをわざわざ持参してくれたのだから彼にも聞きたい事があるのだろう。こちらの依頼に応じて貰った以上、可能な限り応えてやらねばなるまい。

「調整ルームならトレセンの方に入るから、時間は気にしないで大丈夫」

「トレセンの調整ルームに入るんですか?」

 少し意外といった風に蓬田君は聞き返してきた。トレセンの調整ルームと言えば開催日当日まで厩舎の仕事を手伝っている若手騎手が使うイメージで、俺みたいなオッサンが使う印象は薄いのかも知れない。

「レラの世話があるから、基本的にトレセンと競馬場の往復してるよ。土曜の朝にアイツの世話をしてから競馬場まで乗りに行って、乗り終わったら美浦に帰って来て、日曜の朝の世話してから競馬場まで乗りに行く……って、改めて口にしたら訳わかんない位ハードな生活してんな」

 話しているうちに肩が重くなったような感覚に襲われると、反射的に首回りをさするように手が動き、しかしてその仕草のオッサン臭さを自覚してしまうと更に気の方が重くなる。

「そんな生活で今の成績出してるんだから凄いですよ」

 この上真顔でそんな風に言われてしまえば苦笑するしかない。

「そんな生活って言い方はひどくないか」

「だって、大越さん現時点でもう六勝でしょ。単純計算で一日一勝って超一流の数字じゃないですか」

「出来過ぎではあるよな、実際」

 超一流とおだてられると満更でもない気がしてしまい、情けなく緩んだ表情を隠すように、微妙に伸び始めた坊主頭を乱暴に掻いた。

「何より、宮代系列の馬に乗らずにその数字を出している事が一番凄い。これから先は今の結果で馬質も上がるでしょうし、そうしたら成績だってもっと」

「どうだか。人気が無いから好きに乗らせて貰えるってのもあるし、そんなに簡単な話じゃ無いよ……ところで、おだてる為に来た訳じゃ無いだろ?」

 照れ臭さから逃れるように多少強引でも水を向けると、蓬田君も懐からレコーダーを取り出して話を本題に向けた。

「カムイエトゥピリカの受賞に関するコメントを一言頂きたくて」

「コメントって言っても、正直今更な感じだけどな」

「確かに前年度の表彰ですけど、改めて壇上にも上がりますから……区切りをつける意味で、コメントを掲載するにはいいタイミングです」

 蓬田君はまだ少し慎重に言葉を選んでいるようでもあったが、敢えて視線を逸らすような仕草はなかった。まっすぐに俺の目を見て質問を投げかけてくる彼の姿は俺自身が立ち直れた事を表しているようで嫌な気はしない。

「今回の表彰式に呼んで貰えた事は、本当に有り難い事だと思ってます。去年の表彰式を揃ってすっぽかすような厩舎だってのに、今回改めて壇上に上げて頂ける事をファンや競馬会の人たちに感謝したい……とかで良いのか?」

 生涯戦績八戦七勝、うち三歳は五戦四勝。無傷の二冠を達成したエトの活躍は、菊花賞での事故から年度代表馬にこそ選ばれなかったものの、最優秀三歳牡馬については他の馬を選べないという理由で当該馬が死亡したにも関わらず選出されていた。

 ところが、肝心の表彰式に関係者が誰一人として出席しなかったのである。

「去年欠席した理由とかも話して頂けるとファンもすっきりすると思うんですけど、伺っても良いですか?」

 苦笑いを浮かべながら蓬田君は言う。要するに、上手いこと取り繕ってやるから何かしら言い訳してくれという話らしい。

「馬主さんも亡くなったばかりだったし、俺も馬主の縁者も牧場の仕事で忙しかったし、先生とか斎藤さんだって俺の後始末やらで厩舎が忙しかっただろうし、二人だけで表彰式出る訳にもいかなかっただろうし……要するに、単純に人が揃わなかったんだ。貧乏暇無しってのが本当のところだよ」

「なるほど。では、牧場の仕事が忙しかったというのは、具体的には?」

 蓬田君は頷きながらとぼけた風に聞いてくる。

「クーとレタルはもうこの時期には帰ってたけど、閉める直前だったから、人がいないのに整理する事は山ほどあったし、そもそもレラが残ってたしな……とにかく色々とバタバタしてたんだ」

「つまり、牧場の仕事はレラカムイを鍛える為だった、という事ですよね?」

「アイツの場合、俺が鍛えなくても勝手に山走ってたけどね。色々教えはしたけど、鍛えるって意味で言えば俺がいなくても速い事は速かったと思うよ」

「しかし、その時期があったからこそ今のレラカムイがあると」

「まあ、そうとも言えるのかな」

 やけに粘り腰を見せる蓬田君に気圧されるように肯定すると、彼は満足気に頷いてレコーダーを止めた。

「有難うございました、これで大丈夫です。きちんとした記事に仕上げますので、後の事はお気になさらず」

 短時間で最低限のコメントだけ取って終わらせた辺り、記事の方向性自体は蓬田君の中で既に固まっているのだろう。言ってしまえばこのインタビューもアリバイ作りのようなものだろうが、相手が蓬田君だからこそ変に疑うような真似をせずに済む。

 ムラ社会の常として、慣例から外れた事柄は必ず叩かれる。今回のエトへの改めての表彰という対応についても、影でネチネチと言い触らしている関係者がいる事は臼田厩舎にもそれとなく伝わっている。蓬田君はそうした事を承知しているからこそ、わざわざ言い訳を記事にする為に聞きに来てくれたのだ。

「すまんな、ありがとう」

「プレミアムの御礼って事で良いですよ」

 蓬田君はそんな風に笑うと、んまい棒を小洒落た風に回してみせた。






 豪華ホテルのホールで行われた表彰式は競馬産業を所轄する農林水産大臣をはじめ競馬会のお歴々がこれでもかと顔を並べていたり、BGMがクラシックの生演奏だったり、ともかく肩がこってしまう空間であり、御大を筆頭に俺やちせといった育ちの悪い人間は場の空気に触れるだけでも萎びれてしまいそうなものだったが、どうにか無事壇上での表彰を終える事が出来た。

 冒頭での登壇を終えてからは余計な力も抜けて呑気に表彰式を眺めていると、まず始まった調教師部門の表彰が終盤に向かうにつれて、隣に座っていたちせがソワソワとしだして実に鬱陶しい。

「お前が表彰される訳じゃないだろ」

 呆れを隠さず言ってやるがどうやら耳に入っていない様子だ。まさかフェスの会場よろしく絶叫する事もあるまいが興奮の次第によってはやらかす可能性もある。騒ぎ出した時に口を押さえ付ける為のハンカチを密かに構えながら、騎手部門に入った表彰式の様子を見守る。

『――最多勝利騎手、最多勝率騎手、最多賞金獲得騎手、鎬総司騎手です』

 司会者が淡々と読み上げるだけで登壇者の紹介は終わり。同職からしてみれば味気なくてつまらん表彰式だと皮肉ってやりたくなるが、とてつもない記録である事は認めなければならない。

『騎手表彰三部門を同時に受賞された鎬騎手には騎手大賞が贈られます』

 二十歳そこそこで騎手大賞まで獲ってしまったら馬に乗る意欲も失せるのではないだろうかと半ば願望込みで思ってしまうが、壇上の総司にはそんな気配はまるで無い。

『鎬騎手の次の目標は、ずばり何でしょう』

「それは……ダービーです」

 プレゼンターからの質問に答えるその僅かな間に、俺達のテーブルへ視線を向けていた。御大は小さく舌打ちをして、斎藤さんは御大の不機嫌を察知して縮こまり、俺は何も気付いていないフリを決め込んで明後日の方向を眺める。ただ一人、ちせだけが嬉しそうにヘラヘラしているのが非常に腹立たしい。

「少しは緊張感持てよ、一応敵陣営だぞ」

 降壇する総司へ送られる拍手に紛れ込ませるように小言を伝えると、

「だって、格好いいじゃん」

不貞腐れた風に吐き捨てる辺りどうしようもない。

「頼むからアマツヒの時は反応するなよ、フォローのしようがなくなる」

「それは流石に大丈夫ですよ」

 心底不安だったので言ったのだが、ちせにはいかにも心外だと言わんばかりの表情で返された。

 式典は進み、司会が変わらない調子で告げる。

『――最優秀二歳牡馬はアマツヒです』

 最優秀二歳牡馬という称号それ自体の価値は、正直なところさほど感じてはいない。ホースマンからしてみれば目標はあくまでクラシックでありダービーであって、二歳戦での結果が必ずしもそこに直結しない現実がある以上それは当然の感覚だ。

 しかしそれでも、気が付けば拍手を忘れて膝の上で拳を握っていた。勝っていれば、その称号はレラのものだった。

 見上げた壇上に眩いスポットライトで照らされたホースマン達がいる。馬主の宮代明、調教師の藤井剛士、担当厩務員は持ち乗りの安部健介、そして主戦の鎬総司。彼等は勝者であり、あそこは勝者の場所なのだ。

「――アマツヒとこのチームであれば皆さんに日本競馬の未来を見せることができると、私は確信しています」

 受賞後の挨拶で、宮代明は記念トロフィーを無造作に持ちながら淡々と宣言した。


 式典後の立食パーティーも無事に終わりそれぞれの陣営ごとに食事会などへと移動する頃合いとなると、俺もようやく取材カメラから解放された。蓬田君から貰った原稿を読み上げる機械となっていた俺には軽食に手を付ける暇などなく、無情にも片付けを始めたホテルの職員達をひもじい思いで眺めるだけである。

「持ち帰り用のパックとかくれないですかね。勿体ない」

 いつの間にか隣に立っていたちせは文字通り指を咥えながら言った。およそ馬主とは思えない感性の発言に心底ホッとしてしまう。

「先生は?」

「斎藤さんと一緒に帰りました、ここじゃ酒飲めないからさっさと帰るって」

「お前は、総司とどっか行かなくて良いのか?」

「宮代さん達と打ち上げですって、流石にお邪魔する度胸無いですよ」

 淡々と答えてはいるが内心期待はしていたのだろう、少し声に張りが無い。話題を戻して流してやる事にした。

「ま、諦めろ。この手のパーティーに無駄は付き物だ」

「食べ物を粗末にするなって教わらなかったんですかね、気分悪いですよ」

 妙な義憤を覚えているちせを改めて眺めてみると、えらく値の張りそうな黒のパーティードレスで決めており、ちんちくりんな行動とは対照的に垢抜けて見える。

「すげー高そうだな、その服」

「お金の事ばっかり、品が無いですよ」

「お前に品がどうこう言われたく無いっての」

「これ、有紀さんがくれたんですよ。素敵でしょう」

「へー、お前の方が痩せてんのか」

「暫く着ていなかったのであげただけですけど、それが何か?」

 不意に割り込んできた声の方へ振り向くと、腕組みをした宮代有紀が底冷えするような表情で立っていた。

「私がちせちゃんに服をあげる事は、貴方に何か関係があるのかしら?」

「いえ、ありませんね」

 頬が引きつるのを感じながらも、そう答えるより他に選択肢は無い。

 宮代有紀は俺の反応を鼻で笑うとすぐにちせへ向き直り、俺への対応からは考えられないような自然な仕草で、いかにも友人に対する風に話しかける。

「この後一緒にご飯行こうよ、良いお店見つけたんだ」

「でも、打ち上げは行かなくて良いんですか?」

「クラブの方は日を改めて会員さんと一緒にお祝いするから今日は何もやらないし、アマスケの方は父さんの名義だもん。父さんのつまんない話は藤井先生と総司君に任せて、私は自由にさせて貰う」

 言いながら携帯を取り出すと、

「予約取っちゃうけど、良いよね?」

どうやら店へ電話しているらしい、慌てた風にちせが頷くと満足気に微笑んだ。

「あ、もしもし、予約お願いしたいんですけど。はいこれから、二人……いえ、すみませんけど少し待ってください――」

 ふと通話を止めると、やはり冷めきった表情で俺の方へ向き、

「来ます?」

一応確認してあげます、みたいな圧力を隠そうともせずに聞いてきた。万が一にも【はい、行きます】という返事をしてはいけない問いかけに違いなかった。

 当然俺も断ろうとした――のだが、

「はい是非、大越さんも一緒にお願いします!」

俺が返事をするよりも先に、ちせがそう答えていたのである。

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