第4話 調和 

 今年の目標に「本当の自分で生きる」を掲げた。つまり私は、遠慮をしないぞ! と決めたのだ。だからだと思う。それが波動として夫に影響したのかもしれない。中1で勉強する理科の音さの実験みたいに。


 彼が不服そうに言った。


「君のそのフワッとにおうの何? 香水つけてるの?」


 匂いというより臭いという響きで言ったそれに、私は内心焦っているのを隠しながら、しれっと答えた。


「え? つけてないよ。んー、シャンプーくらいじゃないの? 私がにおい付きのものを使っているのは……」


 実際そうなのだ。彼は臭覚が良く、いろいろなにおいに敏感だから、私は気をつけている。彼は首を傾げながら言う。


「それだけで、におうかな?」


 私がシャンプーを変えたのは、もう半年以上前だけど……。その頃、髪の毛が抜けていくのが怖かったから、シャンプーを少しだけ高いローズエッセンスが多めに入っているものに、こっそり変更していた。彼は、シャンプーのボトルが変わっていることなんて気にしてないから特になんにも言ってなかったけれど……。私は、すぐにお風呂場からシャンプーの容器を取ってきて蓋を開け、彼の鼻の前に突き出した。


「このにおいかな?」

「あーーー! これだ!」

「私が使っているのはこのローズのシャンプー」

「俺さ、本当はローズとかフローラル系のにおいって苦手なんだよね」


 え?! シャンプーは結婚してからも、いつもフローラル系だったけど。やはり、ちょっとお高いこのシャンプーは香りが強よすぎるのか?! 今までとそんなに違うのか? などと思いめぐらしていると、彼は手のひらをヒラヒラと白旗を振るようにして言った。


「いいよ、いいよ。君の体臭かと思った。女性のシャンプーとかなんて、みんなそういうにおいでしょ」


 体臭がローズ? なんて素敵な体臭。でも、彼はその素敵な香りを生理的に受け付けないから、いちいちフワっとローズが香る私を、くせーなと思っていた? ずっと?! マジか……。ん? なのに、その白旗振るような諦めた態度はなんだ!


  カッチーン! 頭にきた。


 私の掲げた今年の目標――「本当の自分で生きる」にそぐわない彼の意見へ私の心が過剰に反応したのだ。


 君は、本当の君になりたくないのかね?!  


 私は意を決して言った。


「世の中には調和というものがあります! WinーWinの関係です。私にも合うシャンプーで、君も生理的に受け付けられるものがきっとあるはずです!」


 その日から私は調和的なシャンプー――お互いが満足できるシャンプー探しを始めた。


 正直、ないのではないかとも思っていた。最悪、ない場合は、たとえ私の髪の毛がパサッパサになろうとも、夫が受け入れられる香りを優先にして、私は風呂上がりにBioilというのを髪に塗りたくってしまって、そのパサッパサ度を抑えてしまえと思っていた。あれはきっと無臭だ。(どこにいった調和? 妥協というのを私はよく知っている)


 さて、ドラッグストアーのシャンプー売り場へ行ってみた。やはりフローラル系がずらり。でも、その中に柑橘系の香りのものほんの数種類あったので、そのお試しを100円で購入。その夜、私の髪の毛はパサッパサになった。その髪の毛を彼の方へ近づけて「どう?」と訊くと「悪くないね!」とのこと。


 「でも、こんなパサッパサ……。アカンわ!」


 と思って、翌日は、flatというシャンプーのお試し品を購入。ただ、サンプルの香りを嗅いだけど、なんのにおいこれ?っていう不思議なにおいがした。(私にとっては……)


 だから、その晩シャンプーをしながら怖かった。だって夫に、あんなに不服そうに「なんのにおいこれ?」って、私からにおうその香りに嫌な顔されるって本当に悲しかった。私まるごと全否定な気がしたんだもの。もう、あんな絶望、懲り懲りだ。


 さて、そのflatというシャンプー。私の髪質に合っていた。


「おおーー! まっすぐうるつやに使用し続けてたらなるんじゃないのこれ?!」という感じだ。ドライヤー後、私の頭を彼の鼻へ近づけて確認を取る。


 くんくん。

 緊張の瞬間。


「うん。いいね!」

「本当?! これ私の髪質にも合っているの!」

「……あるもんだね。お互いにとって丁度いいものが。小さなことはさ、一緒に生活しているんだから諦めてた。そんなもん、我慢しなければいけないと思っていたよ」


 そう言う彼の笑顔の前で、私は愕然とした。


 なんだって? 


 もっともっと我慢している小さなことがあるってこと? そんな小さなことに我慢してるなんてナンセンス! カッチーン!


 だって、そうでしょ? 


 宝くじが当たるとか、自家用ジェット機が欲しいとか、そんなことは諦めていいと思う。でも、小さなことだからこそ、やりようがあって、工夫できるだろうし。それに、“幸せな日常”は、小さなことの積み重ねだっ! 


 私は意を決して言った。


「そういう小さな我慢とかストレスを、1つ1つなくしていこう!」

「ええ? あーーー。じゃあ、実はさ、本当はね……」


 続く。

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