第44話 西さんのエッセイを読み終えて

 西加奈子さんの「この話、続けてもいいですか。」というエッセイを読み終えた。なんだか精神的に強くなった。


 *


 9月。休みが夫と重なったので、小さなイタリアンレストランへ出かけた。注文し終えて、料理を待っている間、夫はスマホを取り出し、私のカクヨムで公開している、日常のエピソードと薬膳を織り交ぜたエッセイを読み始めた。


 彼は、くすくすと笑いながら、スマホ画面をスクロールして、次々と読んでいる模様。しかし、『梨』のエピソードのところで、ぴたりと手が止まって、キレ気味に、「はあ?」と言った。その理由は、以下の彼のセリフでおそらく理解していただけると思う。


「はあ? 君が梨の真ん中ちゃんと切り取らないから、酸っぱいのを、俺も我慢して食べてたんだけどっ! この前、一言、ちょっと梨剥くのヘタクソだねって言っただけで、こんなに落ち込んで、結婚指輪つけないで出かけたの? そんなになる? あーあ、もうこのエッセイは読まない方がいいな。君がますますわからなくなる!」


 何年も?!


 脳裏に、私が暗闇に真っ逆さまに落ちていく映像が浮かんだ。あぁ。落ちていく。申し訳ないという気持ちと、失敗したという気持ちの中へ。


 私は、人間として、梨の剥き方を含め、なんてレベルが低いんだろう……。夫は梨が大好きなのに、「剥くの面倒だな~」と思いながら、本気度低めで適当に考え事しながら毎年剥いていた。結果、夫は毎年、毎回真ん中のところ少し残った梨を「なんか酸っぱい! 残念だ!」と思い続けながら食べていたのか。


 何年も?! 


 しかし私は、既に西加奈子さんのエッセイを読み終えていた。すぐに脳裏に西加奈子さんが泣きながら土下座している姿が浮かんだ。私は、それにより救い上げられ、気持ちはぐんぐん上昇した。しっかりと、支えられた。暗闇から脱出成功。


 西さんは、大抵お酒をのんだ翌日は土下座しているそうだ。


 泥酔して、トイレの個室によじ登り、編集者さんの用を足しているところを覗いて、んふふふふ♪と笑ったり、泥酔して、大事な仕事仲間、編集者さんを蹴り続けたり。西加奈子さんは、私以上に色々やらかしている。しかし立派な作家だ。


 大丈夫。それに比べれば、梨の真ん中を何年もちゃんときっちり切り取らなかったことぐらい大したことではないのだ。だから、謝る代わりに言った。


「でも、すごいでしょ? 些細な心の動きをここまで汲み取れるようになって、書けるようになったんですよ~」


 夫は、エッセイを読み返しながら、「、梨なんてここまで本気じゃなくても剥けるでしょう?」と笑いながら答えた。


 ……。その言葉に、私はまたひるみそうになる。でも、大丈夫。


 脳裏に西さんのエピソードたちが流れていく。


 もう20代後半だろうに、テレビを見ながら鼻くそをほじったり、挙句、鼻くそを大きい順に並べる西さん。43インチのテレビを買ってたので、「貧乏人よ、ひれ伏せ!」とエッセイの冒頭に書いた西さん。


 西さんの飾らなすぎるエピソードで心の底を支えられるのだ。勇気がわく。


「あのね。実は、私ほど変わってる人に、人生で会ったことがなかったの」

「だろうね……」

「だけど、西加奈子さんは、私以上に変わってるの! だから私は自信をもって生きていこうと思う!」


 夫は、しばらく無言でスマホの画面を見つめていたが、


「良かったね~。そういう人に出会えて。僕も、そういう本や人に出会ってみたいよ……」


 と言ってくれた。ありがとう。


 西さんの言葉たちは、とても素直で正直だ。喜怒哀楽の激しい日常。びっくりするくらい面白くて、お腹を抱えて笑った。


 解説には、西さんのしっとりした小説を読んだことのある人は、このエッセイは読まない方がいいかもしれないと、書かれていた。


 確かに……。


 彼女が失敗して、落ち込んだり、恥ずかしい思いをしたことを、笑って許してもらったりする心理を、細かく書いてあるそのエッセイは、ほんわかと私をあたたかく包んだ。


 人間らしい人って、なんだかあたたかいですね。



(あっ。夫もあたたかい人間です。西さんほどではないですが、変わっている私と、忍耐強く何年も一緒に生活しているんですから……。ね。)

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