第24話 あたしはズレてる? だからどうした。

 最近、テレビで「発達障害」を扱う番組が多い。NHKでも、エッセイストの小島慶子さんが出演してらして、彼女の軽度のADHDについて語っていた。


 彼女はマッハで動いているつもりらしいが、どうしても遅刻してしまうんだとか。


 小島さんは、周りからは、うっかりさんとして見られていたり、ちょっと変わってる、と見られていただけで、ADHDを持っているなんて誰も気づかなかったくらいのレベルだけれど、本人はに、相当悩み苦しんだらしい。


 だから、軽度のADHDだと診断されてホッとしたと言っていた。


 発達障害かどうか、その判断は難しいけれど、本人が苦しんでいる場合、きちんと機関で見てもらって、サポートを受けることは必要だと思う。お薬だけでかなり楽になるケースもあるらしいし。また、小島さんも言ってらしたけれど、「適材適所」を見つけて行くことも大事だと思う。


 その番組を熱心に見終わった夫は、テレビを消して、静かに言った。「君はADHDだ……」と。


 知ってるよ。


 私は、マッハで動いてる感じはないし、遅刻もしないけれど、ただやはりその傾向はあると思う。いわゆるグレイゾーンだろう。


 小学生の頃からは、気を付けないと「普通」とか「標準」からズレてしまう気がしていた。だから、マッハに緊張して、頑張って生きていた。


 お勉強で遅れをとるとか、学習障害的なものはなかったと思うけれど、やっぱり、1+1=2に疑問を持ったし、みんな同じ行動というのはつまらなかった。


 今、ここでこうしたらきっと面白いだろうな、と思ってやりたくなるのを堪えることもあった。


 例えば、星飛雄馬のお父さんみたいに円卓をひっくり返すとか、志村けんみたいにスイカを食べるとか、そんなことを今したらどうなるんだろう? という好奇心はいつもあったが堪えた。


 勿論、家でも。


 父が厳しかったし、キリスト教がバックグラウンドの教育は、ある意味、道徳や常識をしっかりと教え込むし、思考まで制限する。今となっては、それは、ある意味、では良かったかもしれないと思う。もちろん、その不自由さっていったらなかったし、その歪みを矯正するのに、大人になって苦労した。けれど、情報のありすぎる世界で、何にもルールを親から与えられない子供たちも、ルールを与えられすぎてる子供達と同様、精神的に迷子だ。


 だから、どちらにしろバランスが大事なんだろう。


 とにかく、私は、ちゃんと「普通」と「標準」を目指して、模範をイメージし、真面目にしっかり行動する努力をしていた。思い出すと、それでも、たまにやっぱりズレたことをしてたなと思う。全部笑って許してもらえる範囲だったのが良かった。


 だから、中学生までは「しっかり者のAKARIちゃん」だったのだ。どや。


 というわけで、生徒会などの立場で学生生活をしていたのだ。どや。

 

 社会に出ても、仕事では能力を認めてもらっていたのだ。どや。 


 それでも、私は、「天然」とか「不思議ちゃん」とか、そういう類に分類された。それはありがたいと思う。「変わってる」よりも柔らかく優しい光り輝く分類だ。「バカ」の代わりのに「天然」を生み出した、さんまさんに感謝である。


 私は、家ではOFF、外でON、をきちんとわきまえている。どや。


 しっかりと家でOFFるので、夫は結婚してから、私のことを「あれ? 外で会った時と随分と違うな」と思ったようだった。今でも私の忘れ物の連続や自由な生活にちょっと驚いている。私にとっては些細なことだから、気にしていないが、夫はよく頭が痛いと言う。


 私の変わり具合は、社会生活に支障は出ないし、日常生活にそれほど支障が出るレベルではない、と思う。夫が少し頭痛もちになるくらいだ。


 ただ、特有のマッハの緊張は、おそらく自閉症の傾向も多少あるからかと思う。疲れているときは、耳に入ってくる音が脳内に入るから、かなり緊張する。沢山の音や、沢山の色がごちゃごちゃありすぎるのも苦手だ。


 芸術的に並んでいるのなら、大丈夫だけれど、そうでない場合、脳内にうわーっと形と色が入ってきて、心臓がバクバクしてしまう。だから都会はちょっと苦手で、片付いてないところも苦手だ。


 そして、やっぱりマッハの緊張は続かなんだ。


 普通に社会でみんなと同じように働き続けるのはきつかった。だから、20代で「普通」と「標準」ではなくて、「自分に合った生き方」を模索した。どや。


 結局、「できる」「できない」があるのが人間当たり前なんだから、それを受け入れて、自分の「できる」を尊重した。どや。


 そういうふうに、人生の舵を20代できった事は、我ながら偉かったと思う。どや。


 頑張っていたけれど、そして、それをそれなりに認めて頂けたけれど……。それでも、自分を頼もしく感じたことなんて、ない。


 でも、ふと振り返ると、「あれ? どうやってあれを乗り越えたんだ?」と思う。過去の自分、積み重なったその人生を見ると、少しだけ自分を誇らしく思う。

 

 すっ転んでも、変わっていても、今、「できる」ことだけして、それなりに幸せに生きてることに感謝だ。多少標準からズレていても、胸を張って生きていこうな、自分。私は私だ! 


 どやどやどやどや……。

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