2-5同居
醒めない夢の中に俺はいた。青黒い世界の中にいるのは俺と何人かのヒトガタ。俺とヒトガタ達は座禅を組んで輪になって座っていた。その真ん中には球があり、それは赤や青、緑、白とせわしなく色を変える。
ヒトガタのひとりが言った。「ツブセ」
その言葉に反応し、球のあちこちでポツポツと白いデキモノのような斑点が浮かぶ。
「ワレワレノイコウハアナタサマトトモニ。ウーヌスサマキテクダサッタノデスネ」
別のヒトガタが、
「アナタサマハスデニ《カギ》ヲテニイレタ。シンセカイノソウゾウマデノミチガヒラク。ワレワレハアナタサマニツイテユク。アラタナセカイノジュウニンガコウフクトトモニアランコトヲ」
と言って俺に一礼する。
真空のように静かな世界。空気や空間といった概念はないのかもしれない。ただただヒトガタと俺は中央の球を見つめその変遷に一喜一憂していた。
そうだ、この球を綺麗な緑にしてみたい。
すると球の斑点がなくなり今度は茶色からだんだん緑に変わる。どうやらこれは俺の思った通りの色に変わるようだ。
何人かのヒトガタは残念そうに嘆いていたが、嘆いていないヒトガタは何も無かったかのように無を貫く。俺はまるで神のように真ん中の球の色を変化させ、ヒトガタはその変化を観察する。ただそれだけ、それだけだ。
「ウマレルマデアトスコシ。《カギ》ハミツカッタジキウマレル」
「まだ待て。まだ時は満ち足りてない。《カギ》はその力を全て解放しきれていない。まだその時は遠い。同士達よ。今しばらく待て」
俺が言った。その言葉にヒトガタ達は頷き、他のヒトガタと何やら話をしてるように見えたが、やがて全員が俺に向き直った。
「シカシアナタサマガココニイラシタノハ《カギ》ヲテニイレタカラ。コウシテドウシトトモニカオヲアワセルコトガカナイシゴクコウエイ。ワレワレハユウキュウヲナガレルモノタチ。イツマデモカエリヲマツ。ドノブンキヲタドロウトアナサマヲウラギルコトハナイ」
しかし、別のヒトガタが反論する。
「ワレワレノジカンハエイエンデハナイ。イツカハツキテナクナルカモシレナイ。スクナクトモブンキヲエラブジカンハナイニヒトシイ」
「きみの言う通り時間はない。だがまだその時ではない」
ピキッ。
天井に穴が空いた。いや、どこが上か下か右か左かもわからないので本当に天井かはわからない。でも俺の頭の上で割れたから多分天井だろう。
やがてその穴から光が差し込んできた。それは点から線、面と形を変え青黒い世界を浄化してゆく。
「どうやら迎えが来たようだ。吾輩はまた来る。しばしの別れだ」
世界が光に包まれ、
消えた。
「ご主人様、ご主人様、ご主人様」
なんだうるさいな。俺はまだ寝てたい。
「起きてください」
「わっ」
思わず俺は飛び起きた。
「五十川か。ビックリした」
どうやら俺は気を失っていたらしい。次第に両頬の痛みが戻ってくる。
「先程はすみませんでした。ご主人様に対してあのような振る舞いをしてしまったことをお詫び申し上げます」
五十川が俺に土下座した。
だんだんと記憶が戻ってくる。俺は五十川にあらぬ気を起こし、叩かれ(全面的に俺が悪いが)気を失ったんだ。
ああ。俺はなんて取り返しのつかないことをしてしまったんだ。
「いや、悪いのは俺の方だ。ほんとうに申し訳ない」
すかさず俺も土下座を入れる。床に頭が擦れるが構わない。
「顔をあげてください。悪いのは私です」
「五十川があげるまでは絶対にあげないしあげれない」
ここで引き下がるのは五十川の方が悪かったと俺が思ってることになる。本当なら自分で警察まで行って手錠をかけてもらいたいぐらいだ。
「ここは引き下がれません。ご主人様が家来に対して謝ることなどあってはならないことです」
「俺はそうは思わない」
え。疑問符を十個ぐらいつけたような声を五十川があげた。
「こんなこと頭を下げたままの恥ずかしい格好で言うことではないけど、俺は五十川を家来となんか思っていない。いや五十川が思っていても、それを望んだとしても五十川を家来なんかにしない」
五十川の肩を掴みそのまま上に押し上げた。
五十川が「キャッ。」と声をあげる。
これでいい。
「悪いのは俺だ。乱暴してすまなかった」
再び頭を下げる。殴られるぐらいは覚悟の上だ。もちろん避けるつもりも防ぐつもりもない。歯を食いしばって俺は来るべき一撃に備えた。だが、それは来なかった。
「なんで謝るんですか」
五十川のすすり泣く声が聞こえた。涙は拭われることなく床にこぼれ落ちる。
「悪いのは私です。常識も何もわきまえずに振舞った私が悪いんです」
「違う」
「間違ってないです」
「いや、間違ってる」
「私はご主人様のアンドロイドです。人間ですらない私になんで優しくしてくれるんですか。ご主人様は私に仕事だけさせとけばいいんです」
まるで駄々をこねてる子供のようだった。予想外の行動をとった五十川に俺は言葉が詰まる。どうやら俺は大事なことを同棲が決まった最初に言ってなかったようだ。
「兄貴は五十川を僕の娘と言っていた。兄貴は俺の大事な家族だ。だから五十川、お前は俺の家来でも家政婦でもなんでもない家族だよ」
「私はそんなんじゃありません」
私は、私は…
「お前がアンドロイドだろうがロボットだろうが人間なんだろうがそんなこと関係ねぇ。俺はお前を人だと思ってる。しかもお前はクラスメイトじゃないか。クラスメイトに主従関係を求めらるなんておかしい。間違ってる。俺はお前を初めて見た時すごく可愛いと思った。正直タイプだし好きだ。なんなら結婚したいぐらい」
だから、だから……
「もう、敬語を使うな。俺をご主人様って呼ぶな。よそよそしくするんじゃねぇ。約束してくれ」
五十川はしばらく黙っていた。そして「考えさせてください」と言い残しとぼとぼと台所へ向かっていった。
綺麗に配膳されたご飯と味噌汁と肉じゃが。一般的な和食ほど食欲をそそるものは無い。
「食べていいか」
「どうぞ。」
いただきます。
しばらく黙々と食べた。味噌汁も肉じゃがもとても美味しい。ご飯もいつも俺が適当に炊いたのと違ってふっくらとしている。ちなみに米は俺の実家産コシヒカリ。有機農法で作られた環境にも優しいブランド米である。
「味はどうですか」
「とても美味しいよ」
「なら良かったです」
肉じゃがの人参とじゃがいもは硬くもなく煮崩れてもなく程よいやわらかさで味が染み込んでいた。味付けは少し薄いがこれぐらいで丁度いい。いつぞや部下にビーフシチューを作れと言った海軍大将も食べたらきっとビーフシチューより美味いと言うだろう。
「あの。ご主人様」
「俺は山瀬だ」
「じゃあ、あなた」
それ違う。
「旦那さま」
元に戻るな。
「誠さん」
もうそれでいいよ。
「私は今まで男の人に乱暴されたら抵抗しろと教えられてて。あの時は誠さんが居ると知らなくて隠さなかったのに、私が乱暴なことをしちゃって」
すみません。
「この件は喧嘩両成敗ということで無かったことにしてしまっていいですか」
「五十川がそうしたいんだったらそうしてくれて構わない」
腑に落ちないところもあるが、俺にはあれこれ言う自由も権利もない。
「私は常識が抜けてるんです」
五十川がポツリと呟いた。
「研究所で教わることには限りがありますし、私はまだ生み出されてから数年しか経ってなくて本来人間が生まれてから身につけるルールや習慣がなってないんです」
なので。
「どう振舞っていいかわかんなくて、私はその…」
「言わなくていい。それに泣くんじゃない。五十川は何も悪くないんだから」
「誠さんは優しいんですね」
袖の先で目元を押さえると五十川は俺に笑顔を作ってみせた。
「誠さんにお話したいことがあります。聞いてくれますか」
「もちろん聞くよ」
それから五十川が話した内容をまとめよう。
会社の上の方の人達は五十川を俺と同棲させることに難色を示していた。だから五十川には社会におけるルールやマナーを教えないまま俺との同棲をさせ、問題を起こして実験を中止させたいらしい。しかし五十川は兄貴に迷惑はかけたくない。要するに実験を中止させることを阻止したい。なので社会のルールやマナーを身につけたい。だが自分の正体を知っている人間は俺しかいない。だから俺に教育係になって欲しい。という事だそうだ。
「俺はそんなできた人間じゃない。教えるようなことはないと思うけどな」
「それは話を飲んだということですか」
「ん、まぁそういう捉え方でいい」
なーなーのまま返事してしまったが、特に今まで数時間変なこともなかったし案じることはないか。変なこと言ったりしてたが生活に支障はきたさないだろう。昨日だって学校にいたわけだけど変な噂を聞いたりもしなかったし。
「先程誠さんは私に約束をしてくれと言いましたよね」
「ああ。たしかに言ったな」
「私は誠さんの言ったことを守ると約束します。なので誠さんも約束してください」
私に教育をして私を人間にすると。
その言葉は俺に深くのしかかった。五十川はこれまでアンドロイドというだけで辛い思いをしてこれまで過ごしてきたのだろう。今朝の五十川はとてもテンションが高そうだった。それはこれから普通の人間らしい生活ができると期待に胸をふくらませてたからだと思う。その期待を裏切る訳にはいかない。
「約束する。ああ、絶対におまえを人間にしてみせる」
「絶対にですね」
「ああ。絶対にだ」
夕食が終わったあとは食器を洗って片付けて歯磨きをして、と普通に過ごした。しかし俺はかなり大事なことを忘れていた。繰り返すがけっこう重要なことを忘れてた。
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