第6話 時は進むあなたと共にー2
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「着いたかな……?」
長い浮遊感の後、トキは砂利道に着地した。かなりの眩暈に襲われたが、立っていられないほどではない。
辺りを見ると、見たことのない景色が広がっていた。トキが立つ一本の道を挟んで、木造の建物が両側にずらりと建ち並んでいた。瓦屋根が家を守っていて、開かれた玄関には商品が並んでいたり、お茶を勧める女性がいたり、とても賑やかだった。着物を身に纏った人たちが闊歩する姿は新鮮で、違う時代に来たのだと、実感する。
「わあ、すごい……」
思わず感嘆の声を零したトキだったが、ここに来た目的を胸に、気を引き締めた。
「ちゃんと三百年前、江戸時代に来れたってことだよね。まずは、あの男の人が言ってた呉服屋を探さなくちゃ」
トキは他の人から見えない、触れられないことを上手く使い、行き交う人の中をずんずん進んでいく。道を尋ねることが出来ないのは不便だが、自由に歩き探すことが出来る。
そうして、町を探索して歩いている中で、『ごふくや』と書かれた看板を置く一軒の店を見つけた。同じ通りにある店の中ではかなり大きい。
「ここかな?」
地面に置かれた木製の台座の上に乗っている、和紙で作られた長方体の看板をじっと見つめる。夜にはこの中に明かりを入れて辺りを照らすのだろうか。
「おっ、着いた着いた」
「お前が言ってた呉服屋ってのがここかい?」
「ああ、そうだ。この辺りじゃ呉服屋はここだけだからな。しかもいいもんを揃えてる」
「一世一代の贈りもんを選ぶには持ってこいか」
浮き足立った様子の二人組がそう言いながら暖簾をくぐっていった。ここで間違いなさそうである。
「よし、ここで火事のことと、あの男の人のことを調べて本当のことを見つける! 灯さんのために!」
トキは気合いを入れるために右手を空へ突き上げた。そのとき、背中に軽い衝撃が来た。
「え」
「おい、こんなとこに突っ立ってると危ねえぞ。気をつけな」
「え、あ、すみません……」
今すれ違った男性は、明らかにトキに向かって言っていた。トキが見えていた。
「どういうこと?」
トキはおそるおそるその和紙の看板に触れる距離まで手を伸ばした。すると、指先はざらざらとした和紙とその下にある木の骨組みに触れた。
視線を感じて後ろを振り返ると、道行く人たちがトキをもの珍しそうにちらちらと見ている。この時代にセーラー服を着た少女が突然現れれば、当然の反応だが、今トキにとっては見える、触れられることが問題であった。
「どうなってるの!?」
ふと、ポケットに入れていた懐中時計に違和感を覚え、右手に持ってみると、違和感は確信に変わった。震える指先でボタンを押して蓋を開ける。文字盤を見た瞬間、トキの体から血の気がさっと引いていった。
「止まってる……」
過去に行っている間は左回りに進んでいるはずの時計の針が、五時二十五分を指したまま止まってしまっている。
「どうしよう、今までこんなこと一度も。えっと、落ち着いて、大丈夫。大丈夫」
トキはわざわざ声に出して、自分を落ち着かせよう努める。
「えっと、そう。修さんに、直してもらわなきゃ。また怒られちゃうけど。一旦本部に。『時よ、進め』」
いつものようにその言葉を紡ぐが、何も、変化しない。
何も、起こらない。
「そんな……」
トキは、本部から遙か遠いこの江戸の町に、一人取り残されてしまった。
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女郎花と鈴蘭は、念のためトキを医務室に運び、修に事情を話し、様子を見ていてもらうことにした。
「ねえ、ともるんには言う? このこと」
鈴蘭はおずおずと女郎花を見上げて問いかけた。同じことを考えていたのだろう、女郎花は顎に手を当てて、悩んでいる。
「いいえ、言わないでおくわ。聞いた途端、飛び出してしまいそうだわ。まだ何も聞けていないもの、あの部屋にいてもらわなきゃ困るわ」
事が起こってからずっと冷静に見える女郎花だが、何も言わない灯への怒りを抱えたまま、冷静に冷静に、と自分を律している。鈴蘭は隣で女郎花の顔を見てそう感じた。
「うん、分かった。リンには端末で簡単に伝えておく」
「そうね、お願い。あ――じゃあ、端末そのまま繋いでてくれるかしら?」
「いいけど、どうして?」
「今からあの男に話を聞きに行くから、竜胆にも状況を把握しててもらうわ」
「了解」
鈴蘭は気を引き締め、端末で竜胆を呼び出す。一回目の呼び出し音が鳴ってすぐに竜胆は応答した。
『どないしたん?』
「ともるんには聞こえない位置に移動して」
『もうしとる』
「トキちゃんが過去に行っちゃった」
『!』
端末の向こうで竜胆が息をのむ音がした。それを聞いて、鈴蘭は改めてトキから目を離した自分の責任を重く感じた。
「……おみおみの指示でこのことはともるんには言わない。これからあの男のとこ行って話聞くから、端末このまま繋いでて」
『了解や』
竜胆の返答を聞いて一旦端末から耳を離そうとしたとき、名前を呼ばれた。
『ラン、背筋伸ばしや』
鈴蘭は反射的に背筋を伸ばしたが、そう言われて初めて自分の背が丸まっていたことに気が付いた。竜胆には声だけで見抜かれていたというのに。
「ありがと、リン。大丈夫」
今度こそ端末を耳から離し、会話が聞こえやすいように制服の外側のポケットに入れた。女郎花と視線だけで頷き合った。
「話、聞かせてもらえるかしら?」
女郎花は、椅子に座らされている男を見下ろすように、言った。男の手首には薄い紙で作られた札が巻き付いている。修理課の者が作り出した、拘束のための道具で、巻かれた本人の体力を奪う。奪われる体力は本部の者たちが普段使う端末の比ではない。
「くそっ、オレはこんなことをしてる場合じゃないってのに」
男は札を破ろうとするが、力が入らないようで叶わない。すぐ傍には見張りとして葵が傘を床に突き立てて仁王立ちしている。
「あなた、何を見たの? 何を知っているの?」
「オレは、火を見た」
「火?」
「たくさんの火だ。それに逃げ惑う人たち。町が燃えた。それから、オレを見るたくさんの目。暗い所にいて、いや、明るくて。火なんかなくて、黒くて」
その男の言葉はだんだんと早くそして不安定になっていく。記憶を辿っているような表情はどこか虚ろ。
「そうだ、オレは透明な箱の中にいた。暗くて、明るいところ。いや、そうじゃない、町が燃えているんだ。オレはそれを見た。見ていた」
女郎花は要領の得ない言葉たちに眉を寄せたが、さらに情報を聞き出そうと問いかける。
「どうしてここに来たの?」
「どうして……? そうだ、オレはあいつをずっと探していた! あの人殺し、あいつにオレは言ってやらなきゃならない。…………何を?」
男は何かを堪えるように、両手で額を抱えて呻いている。その男自身が混乱しているようにも見え、鈴蘭は何か違和感を覚えた。
ふいに、鳩が飛んできた。その足には紙がくくり付けられていて、しかも朱が入っている。緊急の証だった。鈴蘭はすぐに紙を開いて内容を確認すると、女郎花の腕を強く引いた。
「トキちゃんの様子がおかしいって!」
「なんですって!?」
引き続き葵に見張りを任せると、二人は医務室に走った。端末の向こうで竜胆が何か言う声が聞こえたが、それに答えている余裕はなかった。医務室の扉を開けるなり、女郎花が声を張りあげた。
「修、トキちゃんは!」
「今は落ち着いてる。ついさっき、苦しそうに顔を歪めたと思ったら、懐中時計を手放したんだ」
修は手のひらにトキの懐中時計を乗せて見せた。過去に行っている間は絶対に離さないはずの時計を、自ら手放したのは初めてのことだった。
「こんなこと今まで……」
「俺も何かおかしいと思ったから、時計を開いてみた。そうしたら」
修は言葉を切って蓋を開けた時計を二人に見せた。
「止まってる……」
「この前のメンテナンスではまだ余裕があった。今回、相当無茶をして遠い過去に行ったんだろう? 針が止まったのはおそらくそれが原因だ」
「そんな。トキちゃんは大丈夫なの!? さっき苦しそうだったって言ったけど」
鈴蘭は修に詰め寄った。わずかに後ずさった修だが、診察の結果をきちんと伝えるべく一つ息を吸った。
「俺の憶測も入るけど、今トキちゃんは過去に取り残されていると思う。帰ってくるには、こっちにある時計と、過去に行ってる時計、両方を修理して針を動かさなきゃならない」
「修理って、すぐ出来るのよね」
「今、俺が持っている方はもちろん。でも、過去にあるトキちゃんの持つ方は、俺には直せない」
修は時計を持っていない方の手を握りしめ、机に押し付けた。大きい音がしたが、傍で横たわるトキは無反応である。
「じゃあ、どうなるの」
「トキちゃんも、針を動かさなきゃならないことは、本能的、感覚的に分かると思う。けど、直すことが出来る者がいるかどうか……」
「そんな……」
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