第6話 時は進むあなたと共にー1

「あー、話長かった」

「ただいまですー」


 灯とトキは聞き取りから帰ってきて、本部の扉を開けた。ずいぶんトキの制服姿も板についてきた。今回の付喪神は、自分の話を聞いてほしいタイプだったようで、情報を聞き出すことには苦労しなかったが、想定より時間がかかってしまった。


「トキちゃーん、おかえり~」


 頭上から声がして見上げると、鈴蘭が手摺から身を乗り出して手を振っていた。一歩下がったところには竜胆も。二人とも珍しく管理課の制服を身につけている。


「ただいまです! お二人とも今日はお店お休みですか?」

「そうなの。店で収集した情報をまとめようかなーと思って。トキちゃんも見る?」

「はい、見たいです!」


「お前ら一階と二階挟んで話さなくていいだろう。すぐ上がる」

「はいはーい。ついでにトキちゃんの私室見たいからそこの前で待っとくね」

「え、鈴蘭さん!?」


 トキと灯が階段を上がろうとしたとき、扉が乱暴な音を立てて開かれた。

 穏やかではない訪問者は、エントランスをぐるりと見渡して灯を見つけると、まっすぐに向かってきた。



「やっと見つけた、この人殺し!!」



「は?」

 その男が発した言葉に、エントランスは一瞬の静寂の後、ざわめいた。


「何なん、その人。あんまり失礼なこと言うてると追い出しますで?」

「そうだそうだー」


 二階から竜胆と鈴蘭の声が降ってくる。一階の奥にいた葵が、騒ぎを聞きつけて駆け寄ってくる。


「呉服屋の納屋の火事は、お前のせいだ! 江戸の町に火をつけた人殺し!」

「これ以上騒ぐなら出ていってもら――灯さん?」


 葵が自らの傘を構えて防御と威嚇を示そうとしたが、灯の様子がおかしい。灯はぼう然としたまま彼に一歩、二歩と近づき、その顔を見た。



「…………お前、誰だ?」



「!?」

 エントランスにはさらなるざわめきが広がった。灯の言葉の裏には、「なぜ知っているのか」という意味が隠れているように聞こえたからである。

 しかも、灯の顔はみるみるうちに真っ青になっていく。トキに心に言いようのない不安が押し寄せてきた。


「灯さん……?」

「ふざけるな! お前のせいで!」


 その男は、怒号と共に灯へ拳を躊躇いなく振り上げる。踏み込んだ足と力が込められた右手が勢いをもたせ、灯へ直撃する。


「……ッ」

 と思われたが、次の瞬間にはその男は首を押さえてうずくまっていた。葵が傘で首元に衝撃を与えたようだった。


「あれ、失神するくらいに叩いたと思ったんだけど、だいぶ丈夫な体なんだ」

 そう言いながら葵は、男の目の前に傘を突き立て、動きを封じた。


「灯さんも、動かないでください」

「え、葵ちゃん……?」


 葵は灯に強張った声を向けた。灯とうずくまる男の間に立ち、葵は戦闘態勢を崩さない。ピリピリとした空気が辺りを支配する。


「この人が暴れたのは灯さんが要因だと思われます。そのまま距離を取ってください」

「くそ、どけ!」

「どかない。暴力行為の未遂で拘束するから。話はあとで聞く」


 敵意を露わにした訪問者は、抵抗むなしく葵に連行されていった。あまりにも突然のことで、トキは何も出来ず見ているだけだった。ただ、ほぼ無意識に灯から一歩距離を取ってしまった。


「灯、とりあえずこっちにいらっしゃい」

 いつの間に近くに来ていたのか、女郎花が灯に声をかける。見たことのない硬い表情で、いつものようにともるんとは呼ばない。


「女郎花、謹慎でいい。この騒ぎの原因は俺だ」

 平坦な覇気のない声で灯はそう言い残すと、自ら二階へ上がっていった。トキは、その場にペタンと座り込んでしまった。上手く足に力が入らない。


「一体、何が……」




 二階の空き部屋の椅子に灯は一人腰掛け、その周りを女郎花、竜胆、鈴蘭、そしてトキが囲んでいた。


「あの男が言うのは、約三百年前の、江戸の商家の並ぶ町で起きた火災のことだ」

「人殺しっていうのは?」

「……」


 表情を凍らせたまま、灯は口を開かない。トキは制服の裾を両手でぎゅっと握りしめて声を絞り出した。


「灯さん、違いますよね……?」

「うちらだって信じてるけど、話してくれな分からんよ?」

 皆の視線を一身に受け、それでも灯の表情は固まっている。


「……言えない」

「ともるん!」


 鋭く責めるような鈴蘭の呼びかけにも灯は口を閉ざしたまま。トキはたまらず部屋を飛び出した。これ以上、灯の顔を見ていられなかった。


「あ、トキちゃん! もう、ともるんの馬鹿!」

 鈴蘭は灯に思いっきり言葉を吐き捨ててからトキの後を追いかけた。





「トキちゃん、大丈夫? ……じゃないよね」


 トキは廊下の端っこでうずくまっていた。鈴蘭はその横に同じようにしゃがみ込んで、寄り添ってくれた。しばらくそうして二人とも動かなかったが、やがて鈴蘭がそっと口を開いた。


「私はともるんのこと信じてるよ。トキちゃんは?」

「信じてます。もちろん。でも」

「信じきれない部分もある、よね。そりゃ、あんな様子のともるん見たらね」


 俯くように頷いたトキは、じっと自分の足元を見つめて、あることを考えていた。その考えをトキは気づいたら口にしていた。


「あたし、過去をみてきます」

 言葉にしてみれば、それが最善だと強く思えた。トキは立ち上がり、ポケットから懐中時計を取り出して握りしめた。


「あたしが過去にいって何があったかをみれば、解決します!」

「待って、ともるんが言ってたことが本当だとすると、三百年も前だよ!? いくらなんでも遠すぎる。無茶だよ」

「でもっ!」

 語気が強くなり始めたトキの肩に、落ち着かせるようにそっと触れる手があった。


「ミーナさん」

「焦らないで、トキちゃん。まずは徹底的に調べるわよ。そのための管理課の資料だもの」

「でも、あたしが頑張って行けば――」

「だめよ」


 女郎花はなおも食い下がるトキにぴしゃりと言い放った。さらにだめ押しと言わんばかりに言い足した。


「行ってはだめよ。これは上司命令よ。分かった?」

 普段女郎花から上司命令などと言われたことは一度もない。この状況で、その言葉の持つ重さにトキは唇を噛んだ。


「……はい」

 トキは小さな小さな声で答えた。その声を拾い上げた女郎花は、無言でトキの頭を撫でた。


 そして、女郎花は切り替えるようによく通る大きな声を出した。

「さあ、手分けして資料室を探すわよ! 竜胆には灯に付いていてもらう。ワタシは手が空いてる子たちと一緒に資料室の壱と弐を、トキちゃんと鈴蘭は参をお願いね」

「うん、分かった」


 鈴蘭はトキの手を引いて、資料室の参へ急いだ。トキは唇を噛みしめたまま、鈴蘭と共に走った。






 資料室参に着き、トキと鈴蘭は手分けして手掛かりになりそうな資料を探した。棚を挟んだ向こう側にいるため、鈴蘭は見えない相手に少し声を張って話しかけた。


「ともるんはさ、管理課のエースだし、何でも出来ちゃうから、あんまり人に頼ろうとしないよね。でも、今回絶対何か隠してるし、抱えてる」


 返事はないが、トキがページをめくる音が止まったことで聞いていることを察し、鈴蘭は続ける。


「だからさ、無理やりにでも私たちに頼らせちゃおう。よし、頑張ろう」

 ふと、資料を持ったトキが鈴蘭のいる方の棚にやってきた。言いにくそうに、何度も口を開けたり閉じたりしている。


「あの、鈴蘭さん」

「どうしたの?」

「すみません、少し、部屋で休んでもいいですか……。その、しんどくて」


 俯いたトキの表情は細かくは見えないが、落ち込んでいることは分かった。鈴蘭は先ほどの自分の言葉を反省し、トキに両手を合わせて謝った。


「ごめん! そうだよね、つらいよね。それなのに、頑張ろうとか簡単に言っちゃって。ほんとにごめん。ここの調べ物は私に任せて!」

「はい、ありがとうございます……」


 手にしていた資料を置き、資料室を後にするトキの丸まった背中を、鈴蘭は心配そうに見送った。




 資料室を出て、トキは顔を上げた。その目には、失意ではなく、まっすぐで強い意思が灯っていた。


「鈴蘭さん、ごめんなさい」





「鈴蘭、少し休憩しましょ」


 肩が凝ってきた頃、参に女郎花が顔を出してそう言った。鈴蘭は両手を組んでぐっと体の前で伸ばした。


「そうしようかな」

「休むことでまた効率も上がるのよ。あれ、トキちゃんは?」

「部屋で休んでるよ、やっぱりつらいみたいで」

「そう……。少し様子を見に行きましょうか」

 二人はトキの私室へ行き、扉をノックした。が、返事はない。


「トキちゃん、少し休憩しようと思うの。一緒に温かいお茶を飲みましょ、落ち着くわ」

 女郎花が話しかけるが、やはり返事はない。ノックを繰り返しても、返事はない。


「ねえ、トキちゃん大丈夫かな」

「心配ね。よし、開けるわよ」


 女郎花は思い切って、菜の花色に色づく扉を押し開けた。二人は部屋の中に入った途端、悲鳴にも似た声を上げた。


「――!」

「トキちゃん!!」


 トキは、スカートの裾と襟に引かれた紺のライン特徴的な真っ白いセーラー服を着て、ベッドの上で横たわっていた。よくよく見るとその手には懐中時計が握りしめられていた。



過去へ、行っている。



「トキちゃん、焦らないでって言ったのに……!」

「ねえ、おみおみ。トキちゃん制服じゃなくて、私服のセーラー着てる」

「それがどうしたのよ?」

「制服じゃないってことは、仕事じゃないってこと。トキちゃんは上司命令には逆らってないんだよ。あくまでプライベートで見に行った、ってことにしてる……」

 鈴蘭の独り言のような返答に、女郎花は膝から崩れ落ちた。


「ワタシの言ったことで、余計にトキちゃんを追い詰めちゃったのね。何やってるのよ、ワタシは」

「トキちゃん……」


 前代未聞の過去へ行ってしまったトキの、ただ眠っているように見えるその顔を鈴蘭は不安いっぱいに見つめた。

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