第5話 青い時ー2(了)

 二人は三階にある医務室の扉を叩いた。すぐに中から返事がして扉が群青色に色づいた。


「んー、どうしたのかな」


 中からすらりと背の高い男性が顔を出した。黒いシャツと黒いスラックス、そして白衣を着ているのがいつものスタイルである。というかトキは彼のそれ以外の服を着ているのを見たことがない。


おさむさん! トキちゃんが腕に怪我して!」

「おや、本当だ。二人ともこっちおいで」


 修はトキと葵を中に入れた。医務室の中は、診察や治療のための器具や、体を休めることの出来るソファやベッドが並んでいる。トキは促された丸椅子に腰掛けて、腕を出した。


「まずは消毒しとくね、ちょっとしみるかもしれないけど我慢して」

「ううー」


 腕にピリピリと痛みがきて、トキは思わず小さく唸った。その後すぐにガーゼが被せられて少し痛みはましになった。


「ありがとうございます」

「いえいえ。それにしてもトキちゃんが怪我するなんて珍しいね」

「あたしと一緒にうんていしてたら、落ちちゃって、それで……」

 葵がしゅんとしながら修に答えた。


「あーなるほどね。トキちゃん、何でもやってみるのはいいけど、体力バカの葵ちゃんについていこうとしたら大変だよ」

「バカとは失礼なー!」


 ぷくーっと頬を膨らまして反論する葵を、はいはいと流して修はもう一つの丸椅子に座るように示した。


「はい、葵ちゃんもおいで」

「え」

「足、捻ったでしょ? 気づかないと思った?」

 葵は気まずそうに視線を逸らしたが、大人しく椅子に座って右足を出した。


「腫れてはいないから、一応テーピングだけしとくよ」

「うん、ありがとう……」

「葵ちゃん、大丈夫……? 痛くない?」

 トキが心配そうに葵の顔をのぞき込むと、葵は眉を下げて笑った。


「心配かけないように言わなかったんだけど、逆に余計心配かけちゃった、ごめん。そんなに痛くないし、慣れてるから大丈夫」

「はい、じゃあ二人ともそれぞれ懐中時計と傘、出してね。さくっと直して治療するよー」


「はーい」

「え、もう腕の治療してもらいました、よね……?」


 修の言う治療がよく分からず、トキは首をひねっている。それを見て葵と修も首をひねったが、修は合点がいったようでぽんっと手を打った。


「そうか、トキちゃんはほとんど怪我しないし、定期的にメンテナンスきてるもんね」

「?」

「あのね、俺たち付喪神はいくら人の姿をしていても物だからね。自然治癒力はないんだ。怪我をしたら、物の方にも何か不具合ができてて、それを直すことで体の方も治っていくんだよ」

「ゆっくり治っていくことも多いから、自然治癒みたいに見えるけどね」


 修の説明に、怪我の常習者である葵がなぜか得意気に捕捉した。それを見た修は、頬杖をついて拗ねたふりをして呟いてみせた。


「直すの俺なんだけどー?」

「修先生、お願いします」


 すかさず葵はわざとらしく先生と呼んで傘を差し出した。トキもそれに倣って懐中時計を取り出した。


「俺は先生なんてガラじゃないけどね。まあ、すぐに直してくるよ。トキちゃんはついでにメンテナンスもしておくね」

「よろしくお願いします」


 修は奥にある隣の部屋へと繋がっている扉を開いた。確か隣は作業室だったはず。無意識に体がそっちへ向いていた。


「こっち来て見るかい?」

 トキの様子に気づいた修が小さく笑ってそう言った。


「はい!」

「あたしもー」


 二人は修の後に続いて隣の部屋に移動した。部屋の壁に沿ってぐるりと置かれた小さめの机、そして部屋の中央の大きな作業台が存在感を放っていた。それぞれの机には様々な道具が整頓されていて、修理する物に合わせて使い分けるのだろう。


「あ、そうだ」

 修は何かを思い出したようで、細長い紙に何か書き込むと鳩の足に結んで飛ばした。


「さて、まずは傘から行こうか。たぶん骨のどこかが……あ、やっぱりそうだ」

「ちょっと曲がってる?」

「そうそう」


 修は先が丸くなったペンチのような道具を使って傘の骨を真っ直ぐに直した。傘を傾けて色々な角度から確認した後、修は一つ頷いた。


「よし、これで大丈夫。はい」

「わーい」

 傘が綺麗に修理されて戻ってきて、葵は嬉しそうに受け取ると定位置に背負った。


「時計は表面に傷かな、どこだろう……あ、あった」


 修は明るめのライトを当てながら懐中時計を動かして、側面についた小さな傷を見つけた。何かチューブに入ったものを取り出し、布と合わせて傷の辺りを撫でつけていく。少しずつそれを丁寧に何度も繰り返している。そして修はよし、と言いながら頷いた。


「わ、傷が消えてます……! すごい」

「じゃあ、メンテナンスするね。小さい方もやっておこうか」

「はい」


 修は懐中時計を裏返して、先が薄くて細いドライバーのようなものを隙間に差し込み、裏蓋を開けた。その中には一回り小さい懐中時計が入っていた。


「トキちゃんの時計って二つあるんだ!」

 葵が目を輝かせて修の手元を横から見た。


「あ、うん、そう。職人さんが遊び心で入れたみたいなの」

「あれ、あんまり言っちゃいけなかった……?」


 トキは俯き加減で沈んだ声で答えたから、葵は不安になって修の顔をちらりと見た。トキは手をもぞもぞとさせて、少し臆病な声音で付け足した。


「だって、二つもあるせいで、音うるさくない?」

「全然」

 葵はきょとんとして即答した。


「時計の音は安心する音だよ。安心の音が大きいのはいいと思う。ね?」

 急に振られた修は、一瞬驚いたが顎に手を当てて考えながら答えた。


「なるほど、安心の音っていう人は初めて聞いたかも、いい表現だね。俺としては規則正しく時間を刻む音は美しいと思う、かな」

「そっか、そうなんだ……」


 トキは二人の言葉にほっとして笑顔を浮かべた。仲間からそう言ってもらえるのは嬉しいし、何より安心した。


「トキちゃん、最初は灯にも秘密にしてたもんね。いやー、あの時はなんで言わないんだって俺も怒られたなー」

 修は思い出し笑いをしてけらけらと笑っていた。本部に来た初期のころの出来事だった。トキももちろん覚えていて、申し訳なさで体を小さくした。


「すみません」

「いやいや、面白いもの見れたし。『俺がうるさいなんて言うと思うか?』って怒ってた灯は新鮮だったよー」


 同期である灯と修は、お互い気を遣わずに言い合えるらしく、よく話しているのをトキも見ていた。


「……まあ、あれはトキちゃんに怒ってたっていうか俺が知っているのに自分が知らなかったってことが嫌だったんだろうなー。いやー面白かった」

 修がぼそっと続けた言葉はトキにはよく聞こえていなかった。


「修さん、今何か言いましたか?」

「いいや、何でもないよ。……あれ、小さい方の電池の減り早いね。なんでだろう」

「あの、たぶんですけど、過去をみるのに使ってるような気がしてて、大きいのも小さいのもデザイン同じなのでたぶんですけど」

「わ、ほんとだ。すごい細かくて綺麗」

 葵がのぞき込んでいるのを、軽くかわして修は両方の時計を見比べて、観察した。


「ああ、なるほど。大きい懐中時計を本体として本部に残して、小さい方を分身として過去に持っていってるってことかな」

「そうです。そんな感じです!」


 トキは上手く言葉にならなかったことを修が代弁してくれて、ぶんぶんと頭を縦に振った。


「じゃあ、こっちの時計も念入りにやっておかないとね」

 修はてきぱきと手を動かしてあっという間に二つの時計のメンテナンスを終えた。


「はい、どうぞ」

「ありがとうございます。修さんってこんなにたくさんの道具を使いこなしててすごいですね」


「おれは道具箱の付喪神だからね。しかも彩は〈知識を入れる〉だ。天職じゃないかって思うよ」

「知識を入れるってどういう……?」

「あたしも詳しく知らない、見せて見せて!」


 二人にせがまれて修は、反対側の机に置いていた自分の道具箱を持ってきた。箱を形作る木材が長い年月を感じさせる。角の部分が鋲打ちされているので、強度もばっちりである。


「例えば、この道具を初めて見たとするね」

 先ほどトキの時計の裏蓋を取るのに使った道具を手に持つ。そして、道具箱の蓋を開けた。


「道具をこうやって箱に入れて、一旦閉じる。で、もう一回開けて取り出すと、その道具の扱いを習得出来るんだよ」

「おおおー」

「おおおー」

 二人は感嘆の声を上げて、そして興味津々で道具箱をのぞき込む。


 ちょうどそのとき鳩が修の元に飛んできた。いや、戻ってきた。


「何かあったんですか?」

 トキの心配そうな声に、葵が出動の準備をし出した。が、すぐに修からストップがかかる。


「違う違う。二人の上司に一応伝えておいたんだ、トキちゃんと葵ちゃんが怪我したから直したよって。そしたら、ここに迎えに来るって返事が来た」


「え」

「え」


 二人は同時に戸惑った声を上げた。怒られることは目に見えている。トキと葵は機械仕掛けのようにぎこちない動きで顔を見合わせた。


「なんか、二人とも似てるよね。雰囲気とか、表情とか、自分のことをあたしって言うところも」

 修のふいの言葉にトキと葵はにっこりと笑い合った。


「だって同期で友だちだもん。ねー」

「ねー」

「そっかそっか。お、ノックの音がしたね。医務室の方からかな」

 修が医務室へ戻り、扉を開けた。二つ分の足音が近づいて来る。


「トキ」

「葵」


 二人は上司に名前を呼ばれて背筋を伸ばした。灯はトキに歩み寄り、腕を凝視した。


「痛むか?」

「いえ、もうそんなに痛くないです」

「そうか。体を動かすこと自体はいいが、もっと気をつけろ。あと、自分の体力の限界も把握しておけ、あいつについていくのは今のお前じゃ無理だ」

「はい、すみません……」


 しゅんとしたトキを横に見ながら、葵の上司の女性がつかつかと歩いてきた。長い黒髪が揺れ、巫女のような和とフレアスカートの洋が調和した服を身に纏っている。クールな表情を浮かべる彼女には可愛いよりは美人という形容が合いそうである。


紅花べにかちゃん、その」

「警備する者が怪我させたらだめでしょう」

「ごめんなさい……」


「体力バカの葵についていける人なんてそういないのだから、自覚しないと。それで、足首の状態は?」

「大丈夫、動ける!」

「それは良かった」


 ほっとして笑った彼女の表情は柔らかく、葵のことを心配していたのだと分かる。彼女は灯とトキの方へ向き直った。


「うちの葵が迷惑をかけて、すみませんでした」

「いや、こいつが勝手に怪我したんだ。気にするな」


 彼女は小さく頭を下げて灯の気遣いを受け取った。トキと葵は目が合うと、ふにゃりと笑った。やっぱり似た者同士かもしれない。


「さあ、行くぞ。明日の聞き取りの準備がある」

「行くよ。鍛錬には私が付き合ってあげるから」

 トキと葵は、それぞれの追う背中についていって、医務室を後にした。


「またね」

「うん、またね」


 手を振り合って別れた二人を、修は頬杖をつきながら見送った。


「トキちゃんも葵ちゃんも、まだまだ青い。でも、だからこそ、これからだよ」

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