第4話 カフェ・ブレイクー2

 トキは二人の顔を交互に見比べて聞いた。マスターの手元ではカフェオレ用だろうミルクが温められている。


「あのアルバイトは、ヒトだ。付喪神じゃない」

「?」


 いまいち理解していない様子のトキを見て、灯はテーブルに肘をついていた手を額に当てて、あーと声をあげた。


「そうか。まだちゃんと言ってなかったか。ヒトに付喪神の存在及び自身が付喪神であることを教えてはならないんだ」

「付喪神の法律、条令みたいなものですね。はいどうぞ、カフェオレです」


 トキの前にもコーヒーカップが置かれた。コーヒーの上にきめ細かいミルクの泡がふんわりと乗っている。淡い茶色がカウンターに置かれたわずかな揺れで顔を覗かせる。


「わあ、美味しそうです」

「お口に合うと嬉しいんですが」

 トキは一口、カフェオレを口にした。すぐに、ぱあっと顔を輝かせてマスターを見て何度も頷いた。


「美味しいです! あたしこれ好きです」

「それは良かった。もう少し甘めが好みでしたらハチミツを入れるのもおすすめですよ」

「じゃあ少しだけ」


 小さなガラスのシロップポットを受け取り、ハチミツを一垂らし。ふわりと甘い香りがあがる。


「ふわああ、美味しいー。……あれ、何の話してましたっけ」

「何でしたっけ」

「お前らなあ。『りつ』の話だろう」


 灯は呆れ顔でため息をついた。コーヒーで口を潤して、講義をするように話し始めた。


「俺たちはヒトの世界にいるから基本的にはヒトの法律や決まり事に従う。その中で、付喪神特有の決め事を律と呼ぶ。代表的なものでいうと、さっきのヒトに付喪神であることを明かさないこと。物を故意に壊さないこと。これはヒトでいうと殺人にあたるからな」


 トキは、いつも肌身離さず持っている手帳をさっと取り出し、メモをしていった。

「あとは、ヒトと恋愛関係及び婚姻関係になってはならない」

「え、だめなんですか」


 思わずペンを走らせるのをやめて、トキは顔を上げて聞き返した。カフェオレのいい香りが傍に寄り添う。


「ヒトに紛れて暮らすからにはそういう関係になることもあるが、俺たち付喪神は物が壊れない限り永い時を在り続けるのに対して、ヒトはそうじゃない」

「それは」

「その時間のズレのために、過去に心中や後追い、それ以外にも問題が起きてな。律だけで完全に防げるとは思わないが、抑止力にはなるだろう」

「そう、だったんですね」


 仕方のないことではあるが、もやもやした思いを抱えてトキはカフェオレを口にする。美味しくて、気づけばもう半分も飲んでいた。


 そのとき、カランカランと扉が音を立てた。茜と、その後ろに二人の男性が立っていた。


「掃除終わったよ。そしてお客さん二名様」

「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」

 二人の客はテーブル席に座り、茜が持ってきたメニューを広げて見ている。


「茜くんありがとうございます」

「いえいえ。たぶんだけどあの二人ブレンド頼むと思うから、準備しといて」

「分かりました」


 マスターはにっこり微笑むと、コーヒー豆とカップを用意し始めた。茜の言う通りの用意をしているようだ。


「茜さん、そんなことまで分かるんですか」

「んー、なんとなくだけどね。けっこう当たるよ?」


 テーブル席に座る一人が手を上げて、店員を呼ぶ。はーい、という声と共に茜がオーダーを取りに行く。帰ってきてピースサインを作って得意気に笑った。


「ブレンド2ね、マスター」

「さすがですね、茜くん」

 ミルに手を当てて、マスターは豆を挽き始めた。茜はトキの顔をのぞき込み、観察するようにじっと見た。


「な、なんでしょうか……」

「ねえ、あなた甘いもの好き? 具体的に言うとクッキーとか」

「好きです、けど」

「ほんとに!? わたしが試作したメレンゲクッキーあるんだけど、食べてみてくれない?」


 言いながら茜は店の奥に行って、クッキーを持ってきた。淡い黄色のプレートの上に綺麗に整列したクッキーたちは丸いものやハート型のものもある。


「いいんですか?」

「食べて食べて。で、感想教えて欲しいの。店の新しいメニューに加えたいんだけど、マスターがオッケー出してくれなくてさ」

「私はあまり甘いものは食べないので、判断しづらいと言っただけですよ」

「だから、この子に食べてもらって判断してよ。ね?」


 何やら責任重大な試食になってしまったが、トキはハート型のクッキーを一つ手に取り、一口かじった。その瞬間ほろほろとクッキーはほどけて口の中にふんわりとした甘さと、少しの苦味が広がった。


「これ、コーヒーが入ってますか?」

「そう! ちょっとだけ、メレンゲの甘さを邪魔しないくらいに入れてみたんだけど、どう……? やっぱ苦い?」

「いえ、美味しいです。確かに苦味はありますけど、強くはないので、次が食べたくなります」

 それを聞いて灯が興味を示し、一つ口に放り込んだ。


「うん、なかなかいい。俺はもっと苦味が強くても好きだが、コーヒーと合わせて食べるならちょうどいいかもな」

「でしょでしょ。ねえ、マスター、採用してよ」


 マスターは熟考し、クッキーを一つ、二つと口にして、また熟考した。トキと灯、そして茜はマスターが答えを出すのをじっと待った。


「分かりました。来週から試験的に出してみることにしましょう」

「やったー!」

「良かったですね、茜さん」

「ありがとう。あなたのおかげ!」

「いえ、あたしは何も――」

 トキは一つ気にかかり、茜に聞いてみることにした。


「あの、どうしてあたしに試食を? 他にも色んな人、常連さんとかもいるんですよね」

「なんとなく、いや、あなたなら正直な感想を言ってくれそうだと思ったからかな。結局なんとなくってことじゃんって感じだけど」

「そうですか」


 茜は、ちょうど出来上がったブレンド二つを持ってテーブル席に向かった。ちゃっかりクッキーの宣伝もしている。


「どうした? 何か引っかかるのか?」

 灯が頬杖をついて不思議そうに尋ねてきた。


「前に、はなのさとに行ったときも、試食みたいなことを頼まれて、茜さんと同じようなことを言われたんです。嫌なわけじゃないんですけど、あたしってそんなに単純そうに見えるんでしょうか……」

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