第2話 電話ごしの声 ー1
「トキ、仕事には慣れてきたか?」
後ろから声をかけられ、振り返ると外出から帰ってきたらしい灯がいた。
「はい。覚えることはいっぱいですけど、少しずつ。制服も、着せられてる感が薄れてきましたよ!」
「ん、そうだな。それ半分持つから渡せ。資料室の弐か?」
そう言いながら、灯はトキの腕の中にあった資料の束を半分より少し多く引き取って歩き出した。
「ありがとうございます、灯さん」
「ああ。そういえば、端末はもう受け取ったか?」
「ついさっきミーナさんからもらいました。なのでまだ使ってないですけど」
「そうか。――って、鳴ってるぞ」
制服のポケットに入れていた端末が、音を響かせて主張してきていた。
「わわわっ。これどうしたらいいんですか!?」
「ここを押してから、そう、それで通話状態になる」
「はい、トキです」
資料を片手に持ち替えつつ、なんとか初着信に出ることが出来た。弾んだ声で応答したが、相手からの言葉はその温度を一気に下げるものだった。
『緊急事態だよ!!』
鈴蘭のその声は灯にも聞こえたらしく、端末越しに耳を寄せてきた。トキはそっと中腰になって高さを合わせた。
「何があったんですか!」
『とにかく大変なの。早くお店に来て。場所はともるんが知ってるから、一緒に来て。お願い!』
「分かりました、すぐ行きます」
トキが答えたことを確認すると、通話が切れて端末が静かになった。
「灯さん! 早く行きましょう」
「ああ」
資料を近くの部屋に放り込み、二人は急いで本部を出た。
「…………で?」
腕組みをした灯が、不機嫌に半笑いを浮かべて鈴蘭に問いかけた。
本部からほど近いところにある店、『はなのさと』に着いてみると、特に緊急で大変なことは起こっておらず、ただテーブルの上に大量のさつまいも料理が並んでいた。竜胆と鈴蘭、そして女郎花もいて、にこやかに迎えられたのだ。
「だからー、お客さんにさつまいもをおすそ分けってもらったんだけど、量がすごくて、全然減らないから緊急事態。皆に食べてもらおうと思って!」
「それだけでわざわざ端末で呼び出したのか?」
「なんだかんだトキちゃんここに来れてなかったから、呼びたかったし」
にこーっと鈴蘭に笑顔を向けられて、ぎこちなく笑い返すが隣の灯がこわい。
竜胆と鈴蘭の店はスナックと言っていたが、外観は木製の格子の引き戸に、淡い黄色の暖簾が印象的で、こじんまりとした小料理屋、という形容が一番しっくりくる。中はカウンター席が多くを占めていて、テーブル席もいくつかはあるようだ。
「いいじゃない。サプライズよー」
カウンターに腰掛けている女郎花が灯をなだめようとする。グラスの中身は半分ほどまで減っていて、カランと氷が音を立てる。
「でも、ともるんも察しはついてたんでしょ?」
「まあ本当に緊急事態ならああいう連絡はしないだろうな」
ほらねー、と得意気に言う女郎花を、灯が睨みつけ、二歩三歩と詰め寄った。
「というか、なぜここにいる。今日は仕事があるだろう、課長」
わざわざ女郎花を課長と呼び、圧をかけている。
「こんなときだけ課長って呼ぶのやめてよー」
「はあ……。俺と女郎花は本部に戻る」
「えー、ワタシも?」
「じゃああたしも戻ります」
トキも後に続こうとしたが、灯にストップをかけられた。灯の視線はトキをすり抜けて、竜胆と鈴蘭に向いた。
「トキを置いていくから、彩のことを教えてやってくれ」
「ええよ、任せといて」
カウンターの内側で、竜胆が穏やかに頷いた。
二人を見送って、店で残されたトキはしょんぼりしていた。鈴蘭が手招きして、カウンターに座らせた。
「トキちゃん何飲むん? オレンジジュースとかでもいいやろか」
「はい、大丈夫です」
笑顔で答えるが、またすぐにしょんぼりしてしまう。
「ともるんがいなくて寂しい?」
「はい……。それに、あたしもお仕事手伝いたかったなぁって」
「ほんと、すごい仕事熱心だよね、トキちゃんは」
鈴蘭は感心しながらスティックタイプの大学芋を食べている。皿に山のようにある大学芋がどんどん減っていく。
「まだ入ったばかりやのに、なんでそない頑張ろうて思うん?」
「あたしは、灯さんが拾ってくれたからここにいるんです。早く、灯さんの役に立ちたいんです」
「ほんとにそれだけ~?」
鈴蘭が左手で頬杖をついて、トキにニマニマと笑みを送っている。
「それだけ、ってどういう……」
「だってさっき、ともるんがいなくて寂しいって言ったじゃん? それってさー」
鈴蘭の言わんとすることが分かり、トキは頬だけでなく顔全体を赤らめた。
「灯さんはあたしの特別です。大好きです。でも、きっと灯さんはそうじゃないです。いい人だから。だからこんなあたしを傍に置いてくれるんです」
トキは次第に俯いていき、無意識に膝の上で握りしめていた自分の両手を見つめた。
「灯はん、そないな風には思うてないと思うけどなあ」
「きっとそうです。でも、いつか」
「想うだけやなくて、想ってもらいたい?」
「え」
「乙女やねー。可愛らしいわ」
竜胆の穏やかな口調はからかう風ではなく、年の離れた妹を見守るようだった。着物の似合う姉から渡されたスープマグには出来上がったばかりのさつまいもスープ。優しい甘さが広がる。
前にね、とふいに鈴蘭が声を上げて二人の視線がそちらに向く。独り言のニュアンスで鈴蘭が話す。
「ともるんがね、ここに来てハイテンションでめちゃくちゃ酔っ払ってて、どんな女の子が好みか話してたんだー」
「!?」
危うくスープをひっくり返してしまうところだった。
「ツボミの頃、ただの行燈だったときに一度だけ見た女の子、って言ってたはず。その子がセーラー服を着てたって」
鈴蘭はさらに記憶を辿るように、宙に視線を動かしている。
「ともるんがツボミだった頃って江戸くらいでしょ? その頃にセーラー着てたとか相当洒落てたか裕福だったか、もしくはその両方だよね。まあ、かなり酔っぱらってたから本当か分かんないけど」
「そう、なん、ですか」
スープが喉に張り付いて、それしか言葉が出てこなかった。
「――ラン」
静かに鈴蘭を呼び、竜胆は無言で首を横に振った。
「はっ、余計なことだったよね。頭の端にあった記憶が気になっちゃって……ごめん……」
「……大丈夫です。あたしは灯さんの役に立てれば、それで」
「そう。灯はんの役に立ちたいって思うんやったら、まずは彩のことを知っていかんとね。教えてやってくれって頼まれたことやし。一肌脱ぎましょ」
「お願いします」
ぺこりと頭を下げた。気持ちが多少もやもやしていても、灯の役に立ちたいという思いは変わらない。
「ほなまず、うちらの彩やけど――」
唐突に、店の扉がスライドし、来客を告げた。数人のおじさまたちがなだれ込んで来る。
「あれ? もしかして今日やってなかった?」
「おいおい、ちゃんと表見ろよー」
「見たぜ、お前らも見ただろ?」
「まだなら出直そうか」
「でもすごい美味しそうな匂いしてるじゃん」
竜胆が鈴蘭に目線を送る。鈴蘭は顔の前で両手を合わせて、口パクでごめん! と言っているようだった。どうやら準備中の札を出し忘れてしまったらしい。
「かましまへん。どうぞ、おこしやす」
竜胆は穏やかな表情のまま、歓迎の口上を言い、客を席へと促した。
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