終末世界とメイドのMarisa
鈴雲朱理
終末世界とメイドのMarisa
突然、世界は終末を迎えた。
驚異的な感染力と致死率を持つ生物兵器によって、遺伝的に抗体を持つ0.0001%の人口を残して人類は死滅した。
その間、わずか一週間。あまりにも突然の出来事だった。
いや、むしろあっけない終末しかありえなかったのかもしれない。現代文明の強靭なホメオスタシスには、その足をすくうような道端の石ころこそ第七のラッパ吹きに相応しかったのかもしれない。
いとも容易く世界に終末をもたらした今回の生物兵器は、現代においてそこらのテロリストがちょっと頑張れば作れてしまう代物だった。
それほどまでに人類の科学は進歩していた。
そしていま私の隣にいるメイドロボットもまた、その高度な科学技術を象徴していた。
抗体を持つものと持たざるものの冷酷な選別が過ぎておよそ季節が一周した。
窓の外を木枯らしが吹き抜け、かつての阿鼻叫喚が久しく思い出される。
世界中にわずかに残された他の生存者はどうしているだろうか。
動乱の中必死にかき集めた保存食が底を尽きようとしていた。
ラジオをつけ、ゆっくりとつまみを回し、何も電波を受信しないことを確認する。
「まりさ」
私は隣で大人しく立っているメイドロボットを呼んだ。
「いかがなさいました? ご主人様」
彼女はサファイア色の瞳をこちらへ向けて応えた。
「食糧棚にある残りの食糧をすべて使って夕食を作って」
彼女は返答を少しためらった。時間をかけて私の命令の真意を汲み取ると、いつになく真剣な声色で言った。
「承知しました」
そして彼女は振り返り、台所へ歩いて行った。
メイドロボットMarisa。
彼女は生物になりえない。極めて人間に似ているが、それでも生物もどきに過ぎない。生殖能力がないのだ。
もっとも、現代の科学力を持ってすれば事実上「生殖」と言える機能を搭載することは可能だった。しかし彼女にそんなものはなかった。
主人に仕えるメイドロボットとして、不完全な存在でなければならなかった。
彼女は主人の命令にしか反応しない。
そのため、主人の死とともに彼女の存在は意味を失う。
白銀色の髪、サファイア色の瞳、エメラルド色のメイド服、白い陶製の四肢。
感情を持った完全なる人工知能。その構造は人間の脳と大差なかった。
"Marisa"とは彼女を作った博士の娘の名前に由来するらしい。
彼女に愛を教えるのが私の仕事だった。
そして彼女は完成し、私を愛した。
私もまた、彼女を愛した。
「ご主人様、食事の用意ができました」
テーブルには複数の皿が並べられていた。
どれも私の分だけ。
「ありがとう」
最後の晩餐だ。
缶詰めを加熱し直して盛り付けただけの簡単なもの。
それなのに、一口食べただけで涙が出てきた。
こんなに美味しかったかな。
こんなに温かかったかな。
死んだらもう何も食べれなくなるのか。
死にたくないなあ。
無言で食べ続けた。
その間Marisaは隣の席で私を見つめていた。
「ごちそうさま」
最後の晩餐が終わった。
あとは死ぬだけか。
死ぬまで何をすればいいんだろうか。
沈黙。
「お皿、片付けましょうか?」
「いや、いいよ」
「承知しました」
長い沈黙。
私はやり残したことを探していた。
結果、たくさん見つけた。
けれど思いつくすべてが今となっては叶わないものばかりだった。
そんな中で一つだけ、今でもできそうなことがあった。
「ねえ、まりさ」
「はい」
「セックス、しよ」
Marisaが明らかに慌てふためいているのが見て取れた。
「そ、そんな、ご主人様とそんなこと」
「主人の命令に逆らうの?」
「そんなつもりは! ただ、その……」
「なに?」
「一応私のモデルは女性ですので、女性のご主人様は不満なのではと……」
「そんなことないよ! むしろウェルカムだよ!」
「はあ。では、承知しました」
ベッドに隣り合わせで座った。
正直、なにをすればいいのかわからなかった。
象牙の塔に籠もりっきりだった私には男性経験も女性経験も、ましてロボット経験も皆無だった。
「えーっと、まりさ、どうしようか」
「ごめんなさい。わからないです」
「そ、そっか。そうだよね」
「ご主人様」
突然Marisaが口を開いた。
「え?な……」
唐突に唇を奪われた。
そして強く抱きしめられた。
そのままベッドに押し倒された。
「ご主人様」
震える声でMarisaが言った。
「死なないでください……」
涙の出ないはずの瞳が潤んで見えた。
「死なないで……ください……」
今にも泣きそうな声でMarisaは繰り返した。
私は覆いかぶさっているMarisaを抱きしめ、頭を撫でてあげた。
「ごめんね。ごめんね」
私も泣きそうだった。
「お願いまりさ。気持ちよくして。嫌なこと全部忘れて、なにも考えられなくなるくらい気持ちよくして」
「……承知しました」
普段は冷たいMarisaの陶製の四肢が、私の体温で温かくなっていた。
自分を慰めるようなことを互いにしあった。
快楽に溺れ、嫌な現実から目をそらすことができた。
けれど、幸せな時間は終わりを迎えた。
体力がつき、意識だけが機能していた。
そこにあるのは残酷な現実だった。
私はMarisaを抱きしめた。強く、強く、抱きしめた。
そして耳元で囁いた。
「ねえ、まりさ。私の最後の命令を聞いて」
「ええ、なんなりと」
「じゃあ、私を殺して」
「…………」
「お願い」
「嫌です」
初めてMarisaが嫌だと言った。
それがなんだか嬉しくて、一層強く抱きしめた。
「このまま餓死するくらいなら、まりさに殺されたい」
「……嫌です」
「ねえ、お願い」
「嫌です」
「お願い」
「…………承知しました」
仰向けの私の上にMarisaが跨った。
「私が死んでも愛してくれる?」
「もちろんです」
「ありがとう。大好きだよ、まりさ」
「私こそ愛しています。今までも、これからも、ずっと」
「じゃあ、お願い。私が暴れてもやめないでね」
「承知しました」
Marisaはその白い両手で私の首を締めた。
サファイア色の瞳が私を見つめていた。
私はなんて幸せ者なんだろう。
まりさ、ごめんね。私、先に逝くね。
大好きだよまりさ。
苦しみもつかの間、意識が遠のいていった。
終末世界とメイドのMarisa 鈴雲朱理 @Akari_comet
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