第9話 今日の出来事
美百合の強烈なカウンセリングを受け、マサエは帰宅後もぐったりしていた。家で独りになってもなんだかやる気が出ず、結局、夫ヒロシの帰宅に合わせて出前のピザをとってしまった。疲れていたし、そういう時ほど何かそういうものが食べたくなる。
午後8時。宅配のピザが来て、その後入れ替わりにヒロシが帰ってきた。
「今日さ、ピザなの。よかったかな?」
「んん?いんじゃない、たまにだし。まーちゃん、疲れたでしょう」
そう言ってくれる夫の存在が、今のマサエにはとてもありがたかった。
「マサエさんはまず、自分が傷ついてるってこと、自覚したほうがいいですよ」
美百合はそう言った。(傷ついてる、か・・・)。それは確かにそうだ。母とのことは積年の問題であり、たぶんおそらく生きている間に解決するものではないだろう。何もかも人のせいにし、自己の正当化のために激しい怒りのメールを送ってくる母である。解決のしようがない。忘れようと思ってもつい、意識にあがってきてしまうのは無理ないことだ。
「行ったんでしょ?今日。どうだった?」
麦茶を飲みながら、ヒロシはマサエに聞いた。マサエは手酌で赤ワインを飲んでいた。この家は、互いに好きなものを飲む。
「うん、それね。なんかさあ、コテンパンだったよ・・・。『人を癒したいってのは、あなたが傷ついてるからですよ』とか『人をどうこうする前に、まず自分ですよ』とか言ってた・・・」
今日の出来事をヒロシに逐一話しながら、マサエは思い出す度にだんだん、腹がたってくるのだった。グラスのワインはもうじき三杯目だ。
「なんかさ、ひどいのよ。言葉遣いも雑だし。吉谷さんて人、いきなり子供連れてくるし。で、いきなりちょっとカウンセリングがはじまってね。あたしにも他の人にもひどいこと言うんだもん・・・」
美百合の、図星をついた自信たっぷりな物言いは、家に帰ると魔法が解けるかのように、みるみる、ただのフテブテシさに様変わりした。(なんで、あの場では『すごい』って思っちゃったんだろう)。あの雰囲気の中で、本格的なコンサルの申し込みを即決しなくて本当によかったと思う。
「うん。まあ、子供はしょうがないよ、その人にも事情があったんだろうし。ホラ、うち子供いないしさ。その人も、大変なんじゃない」
「まあ、そうだよね・・・」
こいう時、マサエは自分の度量の狭さ、他者へのまなざしの厳しさを思い知らされる。ヒロシは優しい。
「聞いてて思うのは、まーちゃんの気が乗らないならさ、無理に申し込むことないんだよってこと。いい悪いじゃなくて、それはもう『そういうご縁でした』ってことだもん」
「うん・・・」
「3日以内っていうのもさ、その人なりの作戦なんだと思うよ。だいたいそれ、そんな気軽に申し込める金額じゃないじゃん」
「そうだね・・・。ありがと、ヒロシくん。なんかさ~、いろいろ言われた上に『あたしがおかしいんじゃないか』とか、『だったらすぐ決断しなきゃ』って、ちょっと焦っちゃうところだったよ~」
「まーちゃんの話聞いてるとさ、その人さ、自信ないんだよ。やめときなさい」
こういうときのヒロシの言葉は、だいたい正しい。
「まーちゃん、『マウント』って知ってる?」
「まうんと?」
「相手より優位に立とうとする行為のことだよ」
「んん?」
ピザを食べ終えたヒロシは、絨毯の上に肩肘をついて横になると、ボワーッと大きなあくびをした。昔からソファ―でなく「床」が好きなのだ。眠そうな目をこすり、おなかもぽよんと出ている。その姿を見て、よく「ビーナス」とからかうマサエであるが、そのビーナスが言う。
「今日のことは『勉強』だと思っときなさい。ね・・・」
聞きなれない言葉、マウント。確か、それは犬どうしの優劣を決める争いのようなものではなかったか。大柄でみっちりした不愛想な美百合を犬に例えると、セントバーナードに思える。では自分はどうか。(ま、マルチーズかシーズー?)自分よりも小さな犬に自分の強さを誇示したところで、それは確かに「犬の世界」においては有効だろう。ぞしてどちらがボスか、それは「強いほう」だ。しかし「人間の世界」において、しかも客に対して「こっちのが上だからね」という美百合のマウントは何の意味があるのか。
(結局、ナメられてたってことか・・・)と、マサエは笑い出したいような気になる。ワインを飲んで気が大きくなったせいかもしれない。そして今なら、美百合に
「実はあなたも、ほんとは傷ついてるんじゃないですか」
と言えるような気がする。自信ありげな態度は、「自信のなさ」の裏返し・・・。傷ついているのは、たぶん自分も美百合も一緒なのだ。「起業女子を応援する」と言いながら、言葉の端々に怒りを含んでいると思ったのは、最初に感じた違和感はやはりあれはあれで、正しかったのだ。
「天使からのギフト」というカードの、本当の意味をようやく今、理解した気がする。自分は傷ついている。確かにそうだ。そしてそのことを見ないようにしていた。だから、傷ついている人のところへ行ってしまったのだ。それを知ることができただけでも今日はよかったのだ。あんな態度をとられたのも、こちらの自信のなさを見透かされたからだろう。美百合に対する怒りや批判は、だんだんと小さなものになっていった。(あの小さな子・・・)姉の子であると言った美百合。みやびにしてもたぶん色々、事情があるに違いない。そう、問題のない人なんか、いない。
気づくとヒロシが、軽くいびきをかき始めている。
「ヒロシくん、ちょっと!そこで寝ないでよ。コーヒーのむ?」
「・・・のむ~」
ヒロシにタオルケットを掛け、マサエは2人分のコーヒーを淹れた。お気に入りはムーミンのカップ。ちょっぴり意地悪な笑顔をして、ミイがほほ笑んでいた。
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