第2話 それにもきっと意味がある
マサエにはヒロシという夫がいたが、ふたりに子供はなかった。そしてローンもたいしてないかわりに貯金もあんまりないという、そういう経済状況だった。事故のあと、腰の痛みが意外に長引きすぐに復帰できる状態ではないことから、パート先を辞めたいことを告げるとヒロシは
「まあ、いんじゃない。ゆっくりしてれば」
とだけ言った。
「うちは、子供もいないしさ。まーちゃん、今回ほんとに大変だったねえ」。
43歳の妻を夫はいまだ「まーちゃん」と呼び、マサエは「ヒロシくん」と呼ぶ。夫婦仲はそんなに悪くはない。でも、寝る部屋は別々だ。新婚当初からヒロシはいびきがひどく、マサエは神経質だった。
4歳上の夫ヒロシはおだやかであり、かつ複雑なことを嫌うので(復帰して、またパート辞めるとかいうのも面倒だしな・・・)と思ってのことだろうとマサエは思った。まあとにかく、これでもう面倒なパートに出なくていい、そのことがマサエを安堵させた。
とくに働かなければというわけでもなかったが、マサエは日中ひとりで家にいる罪悪感からパートに出ていたのだった。何もできない自分が、のうのと楽しく家にいていていいはずがない。呑気な夫、ヒロシですらかつての母のように本当は自分を責めるのではないかと内心、おびえていたのだった。
子供も、本当はほしかった。でも、できなかった。友達も、ぜんぜん多くない。そんな自分は本当は「仕事のできるかっこいい女性」になりたかった。でもフルタイムで勤めるほどのこともできず、そして自分で決めたパートに毎朝出かけながら、本当は辞めたいと思っていた。マサエはいつもそうして、昔から本心とはちがうことをし、そしていつもそれを他人のせいだと思っていた。人を癒そうという前に、そもそも自分の軸というものがなかった。いつも自信がなく不安定で、グラグラしていた。
今回、人生ではじめてのまさかの交通事故に遭い不幸だと思ったけれど、それにもきっと意味がある。台所にたてない間、ヒロシのつくるあまりおいしくないごはんを日々食べながら、マサエはゆっくりと回復していった。不思議なことにヒロシの料理の腕はあまり、上がらなかった。
交通事故の示談も済ませた6月のある日、ATMで通帳の記帳をしているとき、急に自分のなかに「やってみよう」というひらめきが舞い降りた。なぜだかは、わからない。「傷ついた自分ができることは、きっと人を癒すことだ」という、空からふってきたメッセージだった。行きに見かけたナンバーが8888だったのもよかった。8は、たいへん縁起のよい数字だという。それが4つも揃っている。
まとまった示談金が入ったのも「やりなさい」」ということかもしれない。事故にあったということは、それにはやはり意味があったのだ。そうだ。「今の自分ではない、新しいに自分になろう」。エンジェルナンバーと、預金通帳の残高が自分に勇気をくれた気がした。神様、天使様、私がんばってみます。沖田マサエ、43歳の初夏だった。
そしてオープンさせることとなったヒーリングルーム・えびす。何もかもが、初めてだった。そうすることを夫であるヒロシにはもちろん相談したが
「いんじゃない。まーちゃんがなんか、楽しそうだから。えびすっていうんだ、へー。いんじゃない」
というくらいで特に、反対はなかった。「いんじゃない」は、彼の口癖でもある。
「まーちゃんはさ、あんま外向きじゃないと思うんだよね。うん、家でなにかやるほうがいいかもしんないね」
と、今回めずらしく付け加えたのだった。
とりあえず、開いたらなんとかなるかもという、そんな手探り状態でのオープンであった。人生、つらい思いをしてきた自分ならではの感性でカードを読み、お客様の心のサポートをするのだ。ブログを毎日書いて更新。そして、「必要な方にメッセージが届くといいな」そう、意気込んでいた。実際、自分はカードリーディングがうまい。通信で習っただけだけれど、これでやっていく自信がある。みんな、誰でも最初は初心者だ。
初めてのブログを書き、そしていざサロンをオープンさせてみると・・・。1カ月
たってもお客は、ぜんぜんこなかった。お問い合わせすらなかった。現時点では、
ブログの読者数もまだ10人にも満たない状況であった。読者登録もしているのに「いいね」も5件あればいいほうだった。マサエは落ち込んだ。やはり、カードリーディング30分3000円は、高いのだろうか。カウンセリングだって、できるのに。
「ダメだ・・・。私、どうしよう。やっぱり、パート辞めなきゃよかったかな」と、急に不安になった。よく考えなくても自分はもう43歳。パートを勤めなおすにも、スピリチュアルデビューするにも遅すぎる年齢であった・・・。わかっていたのに。そしてもうあとがない。・・・でも、これでやっていける自信もない。
カードリーディングでは「進みなさい」「前途は明るいです」って出ていたのに。
呑気な夫、ヒロシは爪を切りながら
「最初からそんな、うまくいかないって。焦らなくていんじゃない」
と言った。その呑気さに救われることもあれば、たまに憎いと思うこともあるマサエだった。真剣に相談しているのに爪切りの音が、イヤだった。
お客は来ない。メールもない。それでも毎日ブログを書き、「今日のカード」を投稿し、パソコンのメールボックスを頻繁に見る。お申し込みフォームからはうんともすんともなかった。その他の受信欄に来るのは以前、派遣社員に登録していた際の連絡の「その後いかがですか?」「お仕事のご案内です♪」などというメールばかり。寂しかった。ブログは更新するけれども、「いいね」はあまり、つかない。「今日のカード」ではやはり、つまらないのだろうか。
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