ヒーリングルーム・えびす

犬神まき子

第1話ヒーリングルーム・えびす

マサエは自宅で「ヒーリングルーム・えびす」を開いている。開いているといっても、まだ1カ月前にオープンしたばかりである。ここはカードリーディングを行う、天使とつながるスピリチュアルサロン。でも、えびす。天使を扱うわりに、な

んだかすっとこどっこいともミスマッチとも思われるネーミングであるが、そこは気にしない。


オラクルカードができることとそれまでの経緯からある日、思いついたのがこの「おうちサロン」の仕事だった。学生時代は「おまじない」や「占い」というものに傾倒していたので、「セラピスト」「ヒーラー」というものはマサエにとっては憧れの職業でもあった。


えびす、などという古風な名前にしたのも初心者の素人なりに「縁起がいいかな」程度のことで、和風な名前も実はお気に入りだ。いつもにこやかな笑みをたやさないこの神にあやかれば間違いないと思った。ヒーリングルーム、と名付けたのも「サロンと呼べるほどの家ではない」という、生来の真面目な気質と自信のなさによるものだった。


マサエの自宅は3LDKの小ぶりなマンションの3階にあり、まあまあ眺めはいいが最寄駅からはバスがない。駅までは徒歩30分もしくは自転車で10分だった。でも車での送迎ならできる。そういう場所にヒーリングルームというのも無理があるかなあ、と思いつつの決断だった。


もともと人づきあいが得意なほうではないし、パートも長くは続かなかった。昔からどこにいっても周囲の人はみんな意地悪で、マサエを遠巻きにしたり仲間外れにしたりして嫌がらせをしてきた。だがそれもこれも、自分の波動が高くて周囲の人間にはそれが理解できないからだったろうと、今ではマサエはそう理解している。自分には他の人とは違うところがあるから、だからそしられたのだろう。


自分の過去世のひとつである魔女の時代にも、相当な苦労をした。もちろん、両親ともうまくいっていない。子供の頃から家庭内において常日頃「帰りたい」と思っていたのも、もともとこの地球が自分の故郷ではないからだろうと思う。自分はかつて他の星で生まれ、そして転生してきた。そしてそのときのひとつに魔女狩りということがあった。それは映画を見たりしてデジャブのようなもので感じたし、カードリーディングでもそう読んでいる。


私はかつて、魔女だった。現世にこうして生まれた以上、こうした特異な能力を活かし、悩める人を癒して救うことこそが自分の生きる道、とある日マサエは思ったのだった。


そもそもの始まりはちょうど昨年の夏、パートの帰り道に交通事故に遭ったことがきっかけだった。夕方の帰宅ラッシュ時、青信号で渡るマサエの右方向から完全に信号無視をした大型車が横断歩道にずいずいと、ゆるやかに侵入してきた。そしてマサエの自転車に車体が当たり、なんとか倒されまいとしたマサエは全身に力をいれ両足でふんばった。「事故だ・・・」と思った。まさか。なんでこんなことに。警察を、呼ばなくちゃ・・・。夏のとても暑い日で、買ってきた食材がこのまま傷んでしまうであろうことがとても悲しかった。


警察が到着するまでのあいだマサエは自分の勤め先の名前がどうしても思い出せずにいた。そのくらいショックが大きかったのだった。夫にはすぐに連絡がつき「これから帰るからね」という声がありがたかった。加害者である中年の女性ドライバーは衝突後すぐに車から降り、「大丈夫ですか?」と一応はマサエを気遣った。派手な感じの、でもどこか抜けたところのあるオバチャンだった。警察への連絡もマサエがしたのだった。


そのオバチャンが言うには「本当にすみません。あの、あのね。なんだかメガネがくもっちゃって。それで拭くものを探そうとしてて、それで・・・」とのことだった。そんなまぬけなことが事故の原因であるということで、被害者であるマサエのアドレナリンを余計に沸騰させた。あんたの不注意のせいで、危うく死にかけるところでしたよ!と怒鳴ってやりたいのをぐっと我慢した。


事故で自転車が多少曲がったことと、あとは腰を痛めたくらいであとは幸いにも、その場では目立った外傷はなかった。しかしあとから腰や関節がひどく痛んだ。現場に到着した警察官によれば「あ~。これもうちょっとスピード出てたら、奥さんあっちまで吹っ飛んでたね」とのことだったから、確かに危ないところだった。でも、とにもかくにも生き延びた。顔も頭も無事だった。死ななかった。そしてこのことがマサエの人生の転換期となった。


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