転編 仲直りの方法は。
ファイアラと喧嘩してから、実に五ヶ月は経った。
私は、ただ彼女が飢えないようにご飯を作りに行っては帰ってくる毎日。仕事にも身が入らず、最近は土砂降りの日が多い。
早くファイアラの機嫌を治さないとな…。
そう思いながらも、何も実行に移せていない。今日は気分転換に下界に降りてみようか。
私はたんっと足を踏み鳴らした。それを合図に私の城の床が抜けて、ふわりと浮遊感が起こり、私の体は宙に浮いた。
両手を広げてバランスをとる。雲を抜ければ下界の空だ。くるりと体を回転させて、自分の姿が人間たちに見えないようにする。
この魔法は天界の住人だったら誰だってできる。
私はちょうどお昼どきの下界へと降りていった。
―。
下界には様々なものがある。電気はもちろん、高いビルや車、電車。初めてここに来たとき、驚いて言葉を失ってしまったものだ。
人間たちは自分たちのように力が使えなくても、成長の過程で身の丈より大きいものを作る技術と知恵を持っている。
私が最後にここに来たのは九〇年前ぐらいか。結構大きくなったな。人も個性的になった…。
私はひとまず人間らしい格好を見繕い、姿を変えて街を歩き始めた。
デパートだろうか、百貨店だろうか。人間のつける名前は細かくて見分けがつかない。
とにかく私はそのお店に入っていく。
すると、人間の字で何か書いてある垂れ幕を見つけた。
『ホワイトデーフェア!!』
ホワイトデー?前回ここに来たときにはなかったフレーズだ。周りを見渡すと、周囲にはチョコの山。
チョコを渡すの?
しかし、少しだが、ほかのお菓子も置いてある。しかも、そのお菓子には意味が込められているようだ。
なになに?
マシュマロ:「あなたが嫌い」
キャンディ:「あなたが好きです」
クッキー:「あなたは友達」
キャラメル:「あなたは一緒にいると安心する人」
バームクーヘン:「あなたとの関係がずっと続くように」
マカロン:「あなたは特別な人」
あ。
ひとりでに声が出てしまった。
特別な、人。
存在を認識されていなくて、それでも認めて欲しくて。でも、もし彼女が他人だったら、多分こんなに執着しない。
私はファイアラに“特別”を感じていたんだ。
考えは止まらなくなって、私は手持ちの古い紙幣を銀行で目を剥かれながら変えて、マカロンを購入した。
ついでに日付も確認する。下界に繋がるタブレットを持っていた彼女なら、このイベントを知っているはず!
目指せ!明日のホワイトデー!である。
―。
そんなこんなで次の日が来た。
そう、今日はホワイトデー。
昨晩ひたすら練習したおかげで、料理も完璧だ。
あとはファイアラがお腹を空かせて降りてくるのを待つだけ。
……。………。来ない。
時刻は既に十四時。
私はしびれを切らしてファイアラを探しに行くことにした。
いつもの部屋、いない。
歌う部屋、いない。
ダイニングに戻っても、いない。
なかなか彼女の出入りしない城内の部屋を探し回っても、彼女の姿は見つからなかった。ちょくちょくダイニングに戻るが、やっぱり居ない。
不安と焦燥に刈られながら、私はついに開けてはいけないファイアラの自室の前にやってきた。
ここは、一番最初の喧嘩の元。
開けたらすごく怒られて二年も口を聞いてもらえなかった。
コンコンコンとノックをする。
………返事はない。
「ファ、ファイアラ〜。入るよ〜」
声が震える。私はおそるおそる部屋の中に入った。
まず、真っ暗な部屋にぽつりと明かりが見えた。彼女のベッドの天蓋のなかだ。
そっと近寄ると、彼女がなかにいるのが分かった。
「ファ、ファイアラ?」
こっそりと声をかけてみる。もう怖くて私の目には涙が溜まっている。
ぴくん、とファイアラの肩が震える。
「ミ、ミースア?」
あ、噛んだ。可愛い。じゃなくて!
「ファイアラ?ご飯できたから呼びに来たんだけど…。勝手に入ってごめんね」
………………。
あー、怒っちゃったか。もう今回は四年は覚悟せねばならない。
そう思って私は立ち上がり――――かけたその時だった。
ズバンッと音がするぐらい勢いよく、何かが私に突っ込んできた。ふわりとバラの香りがして、どこか暖かかった。初めて間近で見た草原の草木のような黄緑色の髪。私を見て、今にも泣きそうな銀の瞳。
初めて、初めてこの温もりに触れた。
「ごめんなさいごめんなさい。私があそこで力を放ってしまったから…!ミーシャは怒ってしまったのね!ミーシャミーシャ!ごめんなさいぃぃ!」
幸せに陶然とする私にファイアラが子供のように縋って泣きじゃくる。なにがなんだかわからないけれど、幸せ。
「ファイアラ?今まで何してたの?」
意味がわからず、ただ無意味にそう問う。
だけどファイアラは私の言葉なんか聞いていないようで、続けて言葉を繋げる。
「だって、今までこんな私にもめげずに一緒にいてくれたのに。なのになのに」
あれ? 私は今まで認識されていたの?。
周りの景色が彩られる感覚に、私は微笑んだ。
そっとそっとファイアラの髪に触れる。
私は今、幸せだ。
―。
「はい」
私はそう言って、ファイアラにマカロンの入った袋を渡した。本当のホワイトデーはお返しをあげるみたいだけど、これは女神式。
「あ、あの。私も、私もですね」
言葉をつっかえさせながら、ファイアラは紙袋を出してきた。
「タブレットで、見ましたから。ホワイトデー」
二人で中身を開ける。
これは……。りんごのキャンディ…。
キャンディの意味は「あなたが好きです」だったはず。嬉しい。ファイアラからこんなメッセージを受け取れるなんて。
あ、待って待って、りんごの意味もあったはず。
りんご味「運命の相手」
全部私の空回りだった。ファイアラはずっと私のことを見ていてくれた。
ファイアラもこっちを見て、顔を赤くしていた。
ああ、こんなにもテーブルが邪魔だと思った日は、今日をおいて他にない。
ファイアラ、好き。大好き。
「ミーシャ、手を伸ばして」
私はいつの間にか、立ち上がっていた。ファイアラもまた、同じく。
きゅっと手を握り合う。あんまり乗り出すと危ないので、理性で衝動を抑えて、私たちはおでことおでこを合わせた。
「ミーシャ、お願いします。私と一緒にいてください」
「ファイアラ、私からもお願い。ずっとそばにいて」
なんて幸せな日なんだろう。私たちは、涙を流し、喜びを分かち合った。
「あなた以外に、私が欲しいものなんてなかったのに、もう願いを叶ってしまった」
「あら、それなら、また新しい願いを作りましょう。私たち二人で」
とても幸せなホワイトデーはこれから。
女神さまに愛の祝福を。 紫蛇 ノア @noanasubi
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