第3話-1 異世界でクエストを受けてみた

 俺と伊藤さんは向かい合って座っていた。狭いテントの中。正座だ。お互い見つめ合っている。俺から見る伊藤さんの顔は真っ赤で、おそらくは俺の方もそうだろう。


 何しろ俺たちはこれから、恋人同士として重要な一線を越えようとしているのである。お互いに緊張しないでいろという方が難しいだろう。


 心臓が早鐘のように鳴る。喉が乾く。だが、いつまでもこうしているわけにはいかない。俺は歯を食いしばって顔を上げ口を開こうとした。が、一歩、伊藤さんの方が早かった。彼女の可憐な唇が開いた。


「…ショウ…」


 俺は仰け反った。クリティカルダメージだ。こいつはやばいぜ。ただ単に名前を呼ばれただけなのに魂が持って行かれそうになった。


 だが、こうなれば俺もやらねばなるまい。俺は彼女をぐっと見つめて言った。


「カエデ!」


「ひぁぁあああああ!」


 その瞬間彼女は奇声を上げてひっくり返りバタバタとのたうち回った。やはりクリティカルダメージを食らったらしい。


 頭から毛布を被り、脚をバタつかせていた彼女だったが、にゅっと毛布から顔を出して言った。


「もう一回!」


「か、カエデ!」


 彼女、カエデは顔を茹で蛸のように赤くしつつ身悶えした。


 何をこんなバカなことをしているのかと言えば、お互いを名前で呼び捨てる練習をしているのである。まぁ、恋人同士なら当たり前というか、関係が進めば二人にしか許されないあだ名で呼び合うものなのかも知れないがそれは兎も角、俺たちが名前で呼び合おうと考えたのはその事とはあまり関係がない。


 この世界にはどうも名字が無いらしく、俺と彼女が名字で呼び合っていると「勝手に翻訳魔法(俺が名付けた(仮))」が上手く働かないらしいのだ。ノイツの村ではそれで混乱したことがあった。


 明日にはホロウの村にたどり着くという段階で俺たちはその解決法としてお互いを名前呼びしようと決めたのだったが、それがなかなか中学生にはハードルが高かったという訳である。どうにも言うのも言われるのも恥ずかしくてお互い逃げ回る始末だった。なので逃げ場が無いようにテントで儀式であるかのごとくやってみたというわけだった。


 やっている当人は結構まじめに考えた結果の行為であるので、バカじゃねぇのおまえ等なんて言わないで頂きたい。



 結局、ノイツからホロウの村まで10日掛かった。当座の目的地である都まではまだ遠いらしい。俺は少なからずウンザリしており、馬車でも手に入れようとカエデに提案したのだったが、彼女は難色を示した。


「私は馬になんて乗ったこと無いし世話の仕方も知らないわ。ショウは知ってるの?」


 知ってる筈が無い。そもそもノイツで聞いてきた話だと街道は道も悪く荷馬車は通行が難しいので、交易貨物はロバの背中に括って運ぶのだということだった。この世界の旅は基本徒歩なのである。


 ホロウの村はノイツの村と同程度の大きさで、のどかな農村であった。俺たちはかなりくたびれた格好で村の境を潜ったのだが、旅人は珍しくないようで特に誰も寄ってはこなかった。


 村に一軒しかない宿屋に行き、部屋を取る。ベッドが二つの部屋を取ったのはテントから解放されたのだから手足を伸ばして寝たかったからだ。部屋を別にしないのは防犯上の問題である。


 何とも有り難いことにこの世界には湯を張った風呂があり、この宿には大浴場があった。俺たちは交代で喜び勇んで風呂に浸かって旅の汚れを落とした。道中では顔を洗い身体を拭くのが精々であったから生まれ変わったような気分すらした。


 風呂から戻ったら眠気が耐え難くなり、二人して食事もせずに爆睡した。次の日まで起きなかった。


 次の日、宿の食堂で餓鬼の如く食べ物を胃の中に詰め込んでいる俺たちの姿があった。パンとハムと茹でただけのジャガイモと簡単なサラダという貧相なメニューだったが、10日もトカゲの肉と木の実で過ごした俺たちに文句があるはずもなかった。


 まだ年若い俺たちが宿の食料を食い尽くす勢いで黙々と食事をしている様が余程異様だったのだろう。村の人々は最初遠巻きに見ていたが、やがて数人が声を掛けてきた。


「どっから来たんだ?お前さんがた」


「ノイツの方からです」 


「なんだ、交易か?それにしちゃ二人は少ないな。モンスターに襲われなかったか?」


「そりゃ襲われましたよ。倒しながら来ました」


 村人はびっくりしたような顔をした。


「なんだって?見かけに寄らず強いんだな。まぁ、そうでなきゃ二人で街道を旅するような真似はしないか。どこへ行くつもりなんだ?」


「クスリュピースです」


「ああ、迷い人なのか。迷い人にはたまに魔力の多い奴がいるという話だしな…」


 そこで村人は考え込むような様子を見せた。俺はカエデとじゃがバターを取り合いつつ、ちょっと面倒なことになりそうな予感を覚えていた。やがて村人は少し深刻な表情で言った。


「…なぁ、お二人さん。腕を見込んでちょっと頼みたいことがあるんだが…」



 何でも村から少し離れた所にある洞窟に、モンスターが巣穴を造りつつあるのだという。現在はそう大した数では無いそうだが、そこで増えられると村にとって深刻な脅威に成りかねない。


 なので今の内に駆除すべく準備を進めているのだが、何せ農民しか居ない村であるのでモンスターを相手にするには不安がある。都に用心棒を雇いに行こうかどうしようかと考えていたところだったらしい。


 そこへたったの二人で街道のモンスターをやっつけてきた俺たちがやってきたのは正に天が恵んだ幸運。是非力を貸してはくれまいか?


 という話だったのだ。勿論お礼はくれるとの事でタダ働きでは無いし、数日はこの村で休養を取る予定だったので時間も別に問題は無い。そもそも急ぐ旅でも無いのだ。


 ただ、気になるのがそのモンスターだった。


「リザードマン?」


 つまりトカゲ人間。というよりこの世界では「竜人」のニュアンスに近いらしかった。つまり道中散々遭遇した竜種に多少の知能が付いたバージョン。人間の様に二足歩行し、武器や防具を使う。


 最も大きさは平均して人間の半分程度。動きこそ早いが力は低く、知能も高いとは言え子供程度らしい。うん、良くゲームで出てくるゴブリンの竜バージョンみたいな奴だな。と俺は理解した。


 数匹なら兎も角これが巣穴を得るとどんどん増えるらしい。魔法生物がどうやって増えるのかというと、食べ物に含まれる魔力を体内に蓄積して行くとやがて分裂するように子供を産むのだとか。ちなみにこのため魔物は魔力の高い食べ物を欲する習性があり、特に生き物の中で魔力が高い人間を狙うようになるのだとか。なるほど良く出来ている。


 つまり人家の傍に巣穴を作り、増え始めたリザードマンが人間を襲い、食べた人間の魔力で更に増加し、更に人間を襲うという悪循環が生ずる。そうなると下手すると一都市をも壊滅させることがあるので、リザードマンの巣穴はなるべく早く、小さい内に退治するのが大事らしい。ゴキブリ退治と同じだな。


 そういう話であれば協力するのにやぶさかではないのだが、問題は…。


「カエデ、どうしようか?」


 戦うのは主に俺ではなく彼女なのだという事である。俺の一存では決められ無い。しかしカエデは渋い顔をしていた。


「嫌なの?」


「…人型なんでしょう?そのモンスター」


「ああ」


「あんまり人型を斬り殺したくないんだけど」


 気持ちは分からないでも無い。しかし、モンスターはモンスターだ。俺たちの剣なら(そしてカエデが使えば)大体勝てるだろうし、斬っても血飛沫上げて絶命するのではなく結晶化するだけだし、心理的負担は小さいと思うが。


 渋るカエデを見て(どうも権限は彼女の方にあるらしいと気が付いて)村人は必死に彼女に懇願し始めた。


「お願いしますよ。お礼はします!」


「…何をくれるの?」


 カエデにしては珍しい問いだった。


「金貨3枚でどうでしょう?」


「いらない。こんな旅なら路銀はそれほどいらないしね」


「じゃぁ、道中でお役立ちそうな武器や防具、食料などでは?」


「買えば良い物はいらないわ」


「じゃぁ、秘蔵の銘酒を進呈します!」


「お酒飲めないし」


 というか、どうも気が乗らないのでお礼の品に難癖付けて断ろうとしたらしかった。こんな小さな村であるからそれほど価値のあるものは持っていないのだろう。すぐにネタが尽きてしまい、村人は困り果てた顔をした。


 カエデは元の世界にいた頃からやや頑固ではあったが、情には厚い方だ。人の頼みをこうも頑なに断るのは珍しい。それほど人型モンスターと戦いたくないのだろうか?俺が疑問形の視線を向けている事に気が付いたのか、カエデはちょっと困ったような顔をして言った。


「あんまり良い予感がしないの」


 そうまで言うなら仕方が無い。俺はどうにか穏便に断るべく口を開こうとした。そこで村人の一人が言った。


「じゃぁ、ロバは!ロバはどうです!荷物運びの!」


 ぴくっとカエデの頭が動いた。


「ロバ?」


「そうです。まだ若い奴を一匹進呈します。おとなしいし力があるから人も乗れますよ!」


 カエデはややジトっとした目で俺の事を見た。う、た、確かにロバは魅力的だ。荷物を持ってくれるだけでなく、たまには乗せてもらえれば旅はずいぶん楽になるだろう。しかし、それは俺の願望であって、そのためにカエデに気の乗らない事をさせるわけにはいくまい。俺は断りの言葉を言おうとしたが、その機先を制して村人が更に言った。


「いらなくなりゃ売るか、いざという時は食べちまっても良いんです。邪魔にはなりませんよ!」


 がた、っとカエデが立ち上がった。


「分かった。やります」


 おお~!と村人がどよめき喜ぶ。おいおい。今、カエデ、こっそりよだれを拭かなかったか?まさか貰ったロバが食べたいとか言い出すんじゃないだろうな…。この道中ですっかりジビエ料理に嵌ったみたいだなとは思っていたが。ゲテモノ食いもほどほどにして欲しい。彼氏としてというより同じ鍋の食べ物を食べなければならない仲間として…。


 そういう訳で、数日後のリザードマン退治に俺たちも同行することになったのだた。



 


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